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ありあまる富〜捨てる強さがあれば幸せは味わえる

東欧のジョージアに来て半年。こんなに長くいるつもりではなかったから、人生って本当に面白い。1年前の私はジョージアに住んで今の生活があるなんて想像もしてなかったもん。(ジョージアがグルジアだってことも知らなかった位 )

今月頭に引越したジョージアの首都、トビリシで2つ目の部屋での生活も安定してきた。前のオールドスタイルとは変わって、新しいスタイリッシュな部屋。11階立ての最上階。

マンションのすぐ隣にスーパーもあって、食料品には困らない。飲食店はあまり見ないけど、私は殆ど外食しないので(自炊の方が自分の味に合うし)特に気にならない。

昨日、午前中に仕事を終わらせて、キッチンでランチを作っていた時のこと。窓から何かが落ちてくるのが見えて視線を外に向けると、青い風船が風に吹かれてふわふわと空を舞っている。

その風船を見ようと窓に近づき、大きく開けて下を見下ろしたら、気持ちの良いカラッとした風が吹き上がり、青、緑、と二つの風船が風と共に泳いでいるのが見えた。更に上から黄色い風船が落ちてきて、私は楽しくなってどこから来ているのか、キョロキョロと空を見上げた。

そのまま目で風船達を追いかけながら、更に視線を拡げると、トビリシの自然と街と、歩いている人、走ってる車、追いかけっこしている猫、小さな滑り台で遊んでいる子供。。。頭から椎名林檎の「ありあまる富」が聴こえて来て、一緒に歌ってみた。


歌った後、私はその一瞬に幸せを感じて、涙が溢れてきた。
「今」この時。私が感じたこの幸福感。
それは、私がずーっと日本で欲しがっていたものではないか。何かに物凄く感動したって訳じゃない。ただ、ここに幸せを感じた。

「一人で得られる幸福感」を得て思った。

私は今、ジョージアの首都トビリシに住まいを移し、一人で住みたい家に住み、自分の好きなファッションの仕事を選び、自分で仕事の時間も調整し、オーバーワークはしない。何かを考えたり、感じたり、思ったり、生み出す事、それが自分にとって大事な時間である事をわかっている。

だから、一人でいる。

全て自分で選択してこの生活がある。収入はグッと減ったけれど、この国では充実して暮らせてる。

「やっと一人で立っている」そう思った。

この言葉の意味は、精神的にという事で、そして全て自分で選択しているということ。

4年前。私は経営に苦しみ、婦人科系の病気になり、精魂込めて作り上げた写真館をクローズ。会社もたたみ、支えとなっていた彼も離れ、一度に色んな物がなくなって行ったことに精神的に耐えられず、精神病を発症した。

お洒落なもの、好きなものを沢山集めていたけれど、物がある事が怖くて、自分が作った作品、テレビやビデオ、調理器具、食器や家具も必要最低限にしてあとは処分した。家のものと写真館にあったものが、一気に小さい新居に移ったということもあり、荷物が多すぎて物が色々訴えてきて、息ができなかった。処分してくれる知り合いがいたのを思い出し、SOSで電話をしたらすぐに家に来てくれた。

「この状態で何日過ごしていたの?」と驚かれた。ダンボールが山積みになった部屋、それを片付けようとしてダンボールを開けるけれど、中に入っているものから思い出が出てきて辛くて片付けられなかったのだ。

その知人から「何があったの?」とカウンセリングを受けた。「荷物を減らした方がいい。今、息が出来ないでしょ?ダンボールは開けちゃだめだ。一番良いのはどこかの倉庫か何かに、このままダンボールを置いておく。そして、年月が経って開けられるようになったらそこから片付けたらいい。」

そう言われて、うつ病で色々考える事が出来なかった私は、「いいです。もう、全部処分します。」そう答えていた。それから、要る、要らないは自分のエネルギーに合うかどうかで直感で決めて、後の荷物はその方に引き上げてもらった。

アンティークのものは、もう気持ちが重くて所持できなかった。写真館で使っていたドレスも全て引き上げてもらった。部屋に空間が出来てやっと呼吸が出来、荷物を整理し生活する事が出来た。

私が今、「不要な洋服は処分するように」と言い続けているけれど、こういう経験から来ている。物もエネルギー、思いが宿るという事。そして、今一人旅をしていて思うけれど、本当に必要なものってトランク一つでこと足りるということ。

物や人に囲まれていなくったって、海外で一人でいたって、捨てれる強さがあれば、幸せは味わえるもの。ふとした日常の中に。


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