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貴方の手


 お父さんのこと、書こうと思うのに、上手く書けなくて、もっとちゃんと言葉にしたいと思うのだけど、やっぱり少し考えたら涙がでてきて、だから、ただ感情を整理するために、今の私が思ってることを少し。

貴方の娘に生まれて、私は幸福だった。他人が私たち家族をどう評価しようとも、私は来世でも貴方の娘として生きたいと願う。


 二〇二三年一月二日、私たちは貴方という宝を、命を、指針を失った。その存在を失ったとき、私たちはどう生きればいいのだろう。貴方の肉体から力が消えてすぐ、まだ温かかった時、貴方の手を、私を何度も抱きしめ、背中を摩り、握り返してくれたその手を、今度は私からとり、もう私の存在を認め、握り返してはくれないのだと気が付いた時、その悲しみは私の心の一部を何処かに連れて行ってしまった。肉体が、灰となり、煙が高くのぼり、小さい白い貴方を手に持った時、私は出口のない暗闇を歩かされているのだと感じてしまった。

 自分が自分であることをこれからも生きていかなければならないことを、認めるために。貴方のことを一九才の私が記すことを許してください。

 パパってずっと呼んでいたから、パパ。私のことが何より大切で誰よりも私のことを愛していたパパ。他の人に分かって貰おうなんて思わないし、それぞれにそれぞれの形があることを知っているけど、私は、私のことを本当に愛してくれた人がこの世に一人でもいると確信できる、そしてそこに揺るぎのない繋がりが存在していることをとても誇りに思っているし、心の中大切な一部分にそれを受け止めている。

 時々、もう少し普通の家庭に生まれたかったと思うこともあった。何が普通なのかは分からないし、それぞれにそれぞれの普通が存在すると思うけど、小さな私の身体や頭では、それを受け止めるのは少し難しかった。それでも、パパは私の一番の自慢で、パパの娘であることが自分の大きなアイデンティティだった。色んな人の中で大きな存在であるパパが、私のために時間を使ってくれることや、仕事を見せてくれること、私だけと時間を過ごしてくれることが何よりも嬉しかった。

 休日には一緒に映画館に行って、その後いつものラーメン屋さんでラーメンを食べる。あのラーメンが、世界で一番美味しい食べ物だと思ってた。今はその時より少し味も変わってて、多分それも特別美味しいわけじゃないのだと思う。でも私は今も、好きな人や大切な人と、そのラーメンを食べたいと思う。小さい私は一杯を食べきれなくて、食が細くなっていたパパと大盛りを二人で分けていたけど、途中から私が一杯食べ切れるようになって、パパは驚いてた。「凄いな」って言われたくて、ちょっと無理してスープを飲みきることもあった。

 映画を観て、ラーメンを食べたら、DVDショップか本屋さんに行って、好きな作品を一つ買って貰った。今思えばその時のチョイスは「うーん、子供だなあ」って感じだけど、色んなものを見て、読んで、私は「作品」が好きになった。

 知識があるだけとかミーハーとか言われることもあって、きっとそういう見方もあるんだろう。でも、私はパパが、私の感覚をできるだけ好きに伸ばしていけるように、その土台を作ってくれたと思っているから、その作品に触れたとき、どう思うのか、自分の中のどんな感情が動いて、どんな感情が動かないのか、それを自覚出来れば、それに触れる意味があるのだろうなと思う。小さい時にそういう感覚をできるだけ伸ばしていけるように、見たい、やりたいと言ったことを否定しなかった、それが今になって凄くありがたいことだったと思う。

 私は十九年という短い時間しかパパと過ごすことが出来なくて、私はまだ子供で、パパに側にいて、導いて欲しかったと思うことがある。ここ数年は私のことを認識できないことが増えていて、一緒に居ても苦しくなることがあって、まだ心が幼い私には向き合うには大きすぎる問題で、逃げていたし、一緒に居ることも避けていた。パパの肉体が私たちから離れていった時、逃げていた私が悲しむことを許されるのだろうか、恋しく思う権利があるのだろうか、とも思う。
パパはパパだったのに、向き合う勇気が私になくて、ごめんなさい。弱くて、子供でごめんなさい。私は、このことをずっと感じて、心に持っていなければいけないのだと思う。
謝ることをパパは望んでいないと思うけど、私はそのことを忘れないことが、貴方と繋がっていく術なのだと思っている。

パパが命の灯火を少しずつ小さくしているとき、その時を静かに待つように、家族とゆっくり大切に、時間を過ごしていた時、貴方の手を握ったとき。
私はこれが愛なのだと心から感じた。
私を認識できなくなっても、その力が段々と弱くなり貴方が変わっていっても、そこにあるのは貴方の元に産まれてきた感謝、共にした時間の美しさ、貴方という存在の尊さだった。私を抱きしめ、頭を撫で、握り返してくれた、その手。

「手が冷たい人は、心があったかいんだ」と言って、冷たい互いの手を握り、引っ張られて歩いた道。自転車の乗り方を教えてくれたこと、二人で下駄を履いて音を鳴らしながら銭湯に向かったこと、私の好きなアイドルのCDやゲームを若い人たちの中に並んで買ってきてくれたこと、私を膝に乗せて、文字通り世界を見せてくれたこと。

 もう目を合わせることも、抱きしめることも、手を握ることもできないけれど、貴方の血が私の中に流れ、細胞の一つ一つが繋がり、貴方が与えてくれた感覚が私を生かし、包み込んでくれる。「ああ、私にとってのパパはこれほどまでに大きな存在だったのだ、私は父の存在に生かされているのだ」、貴方のいない時間を少し過ごして、そう自覚した。

産まれた時から、私は父に守られていたのだ。

名残惜しいことを挙げたらキリがない。振袖を見て欲しかった、お芝居をする私を見て欲しかった、私が書いた文章や作った作品を観て欲しかった、ウエディングドレスを見て欲しかった、一緒に歩いて欲しかった、いつまでも、いつまでも、愛し、見守り、道を示して欲しかった。

 弱くなったり、間違えたり、傷つくこともあって、これからはその中に貴方は居ない。

 でも、だからこそ、貴方を忘れずに生きていけるのだと。温かいお茶を飲んで、本を読んで、映画を観て、お風呂に身体を浮かべ、パパと過ごした日々を少しずつ反芻しながら、私も私という人間を見つめ直したい。大人になる、その過程において貴方が私に与えてくれた感情を飲み込み、消化し、育てていきたい。どんなに、どれほど、貴方や私を批判する人がいても、認めない人がいたとしても、私は貴方の娘として産まれたことを絶対に間違いだとは思わない。貴方がこの世に残したものを、無駄なものにはさせない。生

まれ変わったとしても、貴方の娘に生まれたい。

私は、貴方に愛されて、とても幸福だった。
そのことを忘れない。

絶対に、忘れないから。

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