僕は本当に子どもだった。

今日、神様と力比べをしに行った。

そしておやさまの前まで着いた時、あまりにもおやさまが大きくて、思わず泣きそうになった。

あんなにたくさん言いたいことがあったのに、急に何も言えなくなって、ただ、

「・・・・・おやさま。・・・・・おやさま。・・・・・おやさま。・・・」

と、ずっと繰り返していた。

いつの間にか、頭も手もひれ伏していた。

小さく屈み込んだ僕に、こんなイメージが流れてきた。

僕は、本当に子どもだった。

僕には僕の心しか見えないから、僕は僕が神様に可愛がられていることしか見えていなかった。

おたすけの上では、僕はたすける側だと思っていたし、理の上では親だなと感じたこともあった。

一れつ兄弟という上では、自分は兄だと思ったこともあった。

でも、僕は本当にただの子どもだった。

他の全人類の誰一人とも変わらない、神様の子どもだった。

頭ではずっと前から知ってはいたけれど、それが本当のことだったんだということが、初めて身に迫って痛感した。

僕の大好きなあの人も、大嫌いなあの人も、ウクライナで苦しんでいるあの人も、ロシアで苦しんでいるあの人も、みんながみんな、同じく、神様の可愛い子どもだった。

「僕にはもう手に負えません」と、おたすけを放り出したあの人も、可愛い神様の子どもだった。

そのことを、ちゃんと心得ていなかったから。

僕はあの人よりもずっと我が身のことが可愛かったから。

だからあんなに簡単に手を離せたんだ。

これは大きな心得違いをしていた。

僕は、あの人よりも誰よりも、特別に我が身を可愛がっていた。

いつだって自分が可愛かった。

そして、神様も僕を可愛がってくれていた。

でも、それと全く同じだけの愛が、あの人にも、この人にも、この世界中の誰であろうとみんなに注がれていることに、僕は今の今まで本当の意味で気付いていなかった。

神様と、おやさまと同じ心に全くなれていなかった。

これはさんげだ。

さんげだ。

しっかりさんげしよう。

そして心を入れ換えよう。

僕は子どもだ。

そしてみんなも子どもだ。

そこに分け隔てのない愛を、持てるおやさまの心を求めていきたい。

おやさま、ありがとうございます。

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