まるちゃんでした

朝、スマホを手にしたらXの検索画面が開いていた。
検索画面には、トレンド上位というのだろうか?今検索されている言葉や人名がずらりと並んでいる。

その中に TARAKOさん があった。

あ、まるちゃんだ…なにがあったのだろう?と名前を押したら、大人になったわたし(さくらももこさん)へ、通称ちびまる子、小学生のさくらももこちゃんとして弔辞(お手紙)を読むTARAKOさんの映像の投稿が出てきた。

次の投稿はまるちゃんの思い出話
その次の投稿は、またさくらももこさんへの弔辞(お手紙)を読むTARAKOさん

どうしたのだろう?昨日、鳥山明さんが1日に亡くなっていたとのニュースがあったから、同じ漫画家のさくらさんのお別れ会にスポットが当たったのかな?なんて思いながら眺めていた。

次の投稿、次の投稿と見ているうちに、TARAKOさん死去の文字が出てきた。

あ………
言葉を失った。

家にテレビがないこともあって、もう何年もまるちゃんは見ていない。子どもの時もずっと見ていたと言ったら大嘘になる。好きか嫌いかと言われたら即答出来ない。

大好きじゃないけれどすごく気になって、嫌いとは言いたくないから好きだと言う。ちびまる子ちゃんとはそんな存在だった。

わたしにとってちびまる子ちゃんは元々楽しく笑っては見れない番組だった。見たくないものを見せられているような気持ちになることもあった。でも嫌いにはなれなくて、気にもなって結局は見ていた。

それはなぜ??

わたしがまる子だったから。

幼稚園時代のわたしはおかっぱ頭で、指定のスモックの下に、白いブラウスかポロシャツに赤いサスペンダーで留めた赤いスカートを履いていることが多かった。

ただちびではなくてでかかった。よく言われたのは、ぶたかでぶ。なんというか縦にも横にも大きかった。

とはいえ性格的には見た目ジャイアン中身はのび太。やられてもやり返せない。なによりわたしのそばにはドラえもんがいないから泣かされたら、大声で泣きながら、幼稚園から両親が帰ってくるまでお世話になっていた近所の祖父母の家に帰っていた。

「あなたみたいな子のテレビが今度始まるから見ましょう」ある日祖母に言われた。

言われた日か、ちびまる子ちゃんを初めて見た日はどんよりとした天気だった気がする。

初めて見たちびまる子ちゃんのアニメは、ツナ缶が何かの景品のノートをお姉ちゃんがもらったけれどまる子も欲しいと言って喧嘩して……みたいな話だった。この子わがままだなと思った。

それなのに「ね、そっくりでしょう?これから毎週見ましょうか」そう祖母が言う。なんだか納得いかなかった。

わたしは声は大きいけれど、この子みたいに自己主張をうまく出来ないのに、こんな風にちょっと嫌な感じをうまく出せないのに、我慢してるのにとモヤモヤとした。

けれど毎週見ているうちに、確かにこの中で1番自分に似ているのはまるちゃんだなと思うようになった。今まで気づいていなかった自分のちょっと嫌な感じにも気づいた。

そして時と場合によって大人をちょっとカチンとさせる話し方や、めんどくさがりなところなんかは他人じゃないな、わたしだなと親近感が湧いてきた。

何より見た目が似ている。幼稚園でも時々「でかまる子」と呼ばれたり「まる子がいる」と言われるようになっていた。

自分が出てくるアニメがある人なんて他にいないから、なんだか良い気分だった。

そんなこんなで小学校低学年まではまるちゃんのアニメを欠かさずに見ていたけれど、気づいたら一旦終わったか、放送時間帯が大幅に変わって見なくなっていた。

次にアニメを見た時には、わたしは中学生か高校生になっていた。リニューアルしたのか、わたしが幼少期に見ていたまるちゃんよりルックスも言動も可愛らしくなっていた。

クレヨンしんちゃんとちびまる子ちゃんは、どこかのタイミングで、放送開始当初とキャラが変わっている気がする。初期より空気を読んで大人うけする良い子になっている気がする。

少しさみしい気もしつつ、自分に似ていなくなったから、なーんにも考えずに楽しく見れるようになったので、一人暮らしをするまでよく見ていた。

「わたしの幼少期、大きなちびまる子ちゃんだったんです」

そう言うと、わたしと同年代くらいまでの人は「あぁ」とニヤリ笑って「なんか分かる」と言う。

わたしより若い人はなぜか「じゃあかわいかったんですね」と言ってくれる。

いや、まるちゃんかわいいっちゃかわいいけど……けど。あれ??

あ!!そうか!この人たちは見ていたまるちゃんが違うんだ!と気づいて、大慌てで訂正した。

「わたしが似ていたのは、今のまるちゃんじゃないの!!」

「え??」

初期のまるちゃんの画像をネットで探して見せたら「あ……!」と察して納得された。

声は全く似ていないし、今もわたしはでかい。ちびまる子ちゃんではなく、でかまる子ちゃんだ。そしてまるちゃんほど、可愛げとドロドロのバランスは良くない。

だけどまるちゃんは確かにわたしでもあった。
だからさくらさんが亡くなった時、そして今回、小さい時の自分が目の前で死んでしまったような気がした。

あと何年自分は生きられるだろうか、子ども時代はずいぶん遠くに行ってしまったんだなと気づかされた。

 ちなみに母はまるちゃんのお姉ちゃんに似ている。……秀樹ファンではないけれど。幸い今はぼちぼち元気だ。可能な限り少しでも長くぼちぼち元気でこの世界にいて欲しい。わたしはたぶん母が好きすぎる。

「あなたに似ている」とまるちゃんをわたしの人生に引き入れた祖母は、どこかまるちゃんのお母さんぽかった気がする。祖母は旅立ってもう四半世紀以上経過してしまった。祖母は強烈だったけれど、でももっと一緒にいたかったなとふと思う。

父はまるちゃんのお父さんやはまじに近いものがあるかもしれない。いやキャラクターとしては初期のまるちゃんにわたしより似ているかもしれない。父も幸いぼちぼち元気だ。父にも可能な限り少しでも長くぼちぼち元気でこの世界にいて欲しい。うまく仲良く出来ない日も多々あるけれどそれはそれこれはこれで。

生きていることの方が有り難い不思議なことだとまた思い知った日になった。

さみしいなまるちゃん。でもご冥福を祈ったり、ゆっくり眠ってねとは言いたくない。

大人になったわたし(さくらさん)に言っていたように天使になっていてほしい。

そして会いたかった人に会って、好きなこと、やりたいことたくさんやって、いっぱいお話しして、楽しく過ごしていてほしい。

まるちゃん、元気でね!
まるちゃん、またね!

もしサポートをいただいたら……いただくことがあったら……どうしましょう??どうしたらいいのでしょう??その時に考えまずでも良いですか?