資本主義と拝金主義は違う

ZOZOの前澤さんがお年玉で一億円をばら撒いたのは記憶に新しい。

僕は気持ち悪いというコメントを添えてRTした後にすぐにツイートを消した。

コメントが届けばいいと思ったが、あまりにも数が多すぎてどうせ見やしないだろうと思ったからだ。

警鐘を鳴らしたいとずっと思っていた。

資本主義の権化とも言える前澤さんに言いたいことはたくさんある。

彼は世界平和という言葉を事あるごとに言う。

僕もその言葉には賛成するし、そうなればいいと思っている。

でも、その道はとても辛いものだと思っている。

なぜなら人は争うからだ。

人は妬み、嫉み、憎しみ合うものからだ。良いとか悪いとかではない。人はそう出来ている。

妬み嫉みを押し殺し、憎しみを赦し合うことは自分の心に剣を突き刺すようなものだ。割れたガラスの上を歩きながら荊が生い茂っている道をかけ分けるようなものだ。

ポジティブなものじゃない。だから、今回の前澤さんのお金をばら撒く行為は僕は受け入れられない。

夢を応援だとか綺麗事を言う。でも、その一方で金のためにひたすらに媚を売る人たちがいる。何百万人もいる。それは健全なことではない。

何百万人の人がも百万円が欲しいために金持ちのご機嫌を伺うなんて、そんな悲しい話があるのかと思う。

税金の話、法律の話、社会契約論の話だったり色んなことから批判できると思う。

その中で僕は格差社会から言いたいことがある。

格差社会はある。昔からある。当たり前のようにある。これ見よがしのようにある。今だってある。

当たり前だ。強い奴が富を独占しようとする。それが腕力にせよ運にせよ。

でも、人はそうじゃなくて全体を活かすために富の再分配をしようとした。政府というものにそれを任せた。腐りかけたら、民衆がそれを正すのが民主主義だ。

つまり、彼の行いは人類史に対する侮辱だ。


政府を介さずに金をばら撒く行為は恣意的な富の再分配だ。社会資源の私物化を行った。

だから、僕は彼のことが嫌いだ。富を得てそれを使うことは好きにすればいい。

でも、世界平和を謳いながら前史まで人々の意識を逆行させることに僕は心から嫌悪感を覚える。

資本主義は拝金主義ではない。

拝金主義にならないために、行政のシステムを僕らは作った。

行政が腐っているのならそれを正す行為が本来の世界平和の道であると僕は固く信じている。政府を無視することではない。

だから、僕はあの人を批判する。

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