長文を書く時、ドンドンと潜っていく


そんな感覚がある

いわゆる余所からのまとめではなく、自分の気持ちを綴るような記事の話だ

没頭して、自分の心の中から何かを探して、かき集めて、何とか言語にして、文字として打ちだす。それの繰り返し

そんで、文章が長くなってくると、どんどんどんどん自分の中に潜っていく。深く深く、もっと深く。集中力の続く限りいくらでも潜っていける。

そして潜れば潜るほど、何かがある

でも深く潜れば潜るほど、見つけ出した後の言葉への「変換」が難しい

確かにそれはあるんだけど、イマイチ言葉に出来なかったりする

それっぽい言葉を探して紡いでみても、しっくり来なかったりする。

嗚呼、こういう事が言いたいんじゃなくて、クソ、僕はもっと、もっと考えているのにな。どうにかして伝わんねーかな

そんな感覚になる事もある

僕の書き書けの下書きが貯まっていくのはそういう所が原因だと思う

これは何だろう。単純に知識が足りないのか、感性が足りないのか

もっと書かせてくれよ。もっと表現させてくれよ

何か凄くもどかしい

それでも文章を書きながら深く深く潜っていく感覚が、僕はとても好きだ

自分の心の中を「書く」作業は、基本的に孤独だ

その孤独は、寂しいと同時に、どこか心地よく、落ち着く

例えば楽しい思い出は忘れる前に「集めておく」に限る

ただの「思い出」だけでは、寂しいからだ

誰かといて「楽しかった事」を1人孤独に振り返って、探して、集めて、言葉として残す

そして、それをいつの日か読み返す

僕はきっと、それを見て笑うだろう

だから、下手糞でも、誰かに読まれなくても、自分の中のそういった「想い」は、とにかく吐き出した方が良い。その方が楽しい

下書きに貯まっている「想い」は、ある程度のところまで潜って得た文章だ。目の前の思い出を拾い集めてたらいつの間にか潜っていた深さに、もう一度1から、ろくな道しるべも無しにトライするのは骨が折れる

でも、それなら、途中でも良い

ブログとしては駄目かもしれないけど、文章としてはそれでいい

そんで、こうやって自分で「潜り」ながら書いていて

「やっぱりこの気持ちを文章で表わすのって、難しい」

という結論になるのです

この記事で僕の書いた事は、果たして誰かに理解されるだろうか

僕の「変換」は適切だっただろうか

全然違って受け取るのも、また1つの面白さではあるけれど

こういった「感覚」「感性」が近い誰かがいたなら、それはとても幸せな事なのかなと思う

そして、こうやって発信を続けていたら、その「誰か」が見つけてくれるんじゃないかなと思う

そんな淡い期待を持ちながら、これからも文章を書き続けていこう

おわりっ

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