30歳になりまして

今思う事をふと、まとめてみようかなと。
35になって振り返ってあの当時はそんな事思ってたんだと思うかもしれないし、40になっても変わらないかもしれないけど、何となく自分の中で大事にしている価値観とか考えを棚卸ししてみます。
追記 なんか20代後半の振り返りみたいな記事になりました_(:3 」∠)_ 

面白い大人になるにはどうしたらいい?

って、ある時親父に聞いた事がある。
確か26歳くらいの頃で、当時自分はBARに通っていて、バーテンダーを面白い大人と思っていたし、他にも釣り好きで自分に構ってくれたおじちゃんとか、色んな「面白い大人」がいる事に気付いた。自分もそういう「面白い大人」になる為には? と思って、「面白い大人になるにはどうしたら良い?」と親父に聞いてみた。

親父いわく 
「お父さんは面白い大人じゃないから面白い大人のなり方は知らないけど、つまらない歳の喰い方した奴はつまらない大人になるよ」

この言葉がこの後自分にとって大きな指針になる訳ですが、当の本人は自分がそう言ったという事をすっかり忘れていました。

自分の好きを追求している大人が好き

つまらない歳の喰い方をした奴はつまらない大人になる。そういう大人は自分も今まで沢山見てきたし、親父の言葉は逆説的に、面白い大人になりたければ面白い歳の喰い方をしろって事だと思った。
じゃあ逆に、自分が面白いと思っている大人は今どんな歳の重ね方をしているだろう。
お酒や文化、歴史が好きでバーテンダーになった人。週末はいつも釣りに行って新しい場所や新しい仕掛けをひっさげてひたすら魚を追い求める人。学生時代はバンドマンしてたけど、やっぱり楽器で活躍してる先輩に憧れた。
彼らは世間的にみれば刺青だらけだったり、バツイチだったり留年してたりしてたけど、少なくとも私にはかっこよく見えていたし、自分が面白いと思う大人は自分の好きをとことん追いかけてる人らしいという事にも気付いた。
幸い自分もそこまで突きつめて無くてもそういう方向は向いていたし、自分の持つお金や時間、体力をそっち方向に向けようと思った。

転機

26歳の終わり際、なんとなく「今年好きな子ができるかできないかで自分の人生大きく変わりそう」って思ってたんだけど、本当にその通りになった。

自分の中の「好きな大人」は自分の好きを追求してる人で、既婚者か独身かよりもそっちの方が重要だった。むしろそんな生き方もありだなと思ってたから、今年好きな子が出来なかったら好きな事に一直線な大人になりたいと思ってた。
27歳の誕生日、この日も「キャンプがコンセプトのBARを開業したい」という妄想に駆られ、初めてのキャンプにオフ会という形で、経験者の中に混ざって1人素人として飛び込んだ。 
そしたら自分と同様、1人でキャンプを学びに来てる初心者の若い女の子がいた。彼女は、男の自分以上にキャンプに打ち込んでいて、自分より要領よく成長していて、面白い歳の食い方をしていた。
それから彼女と付き合って結婚して、私の人生は家庭を持つという方向に舵を切る事になった。

責任というものが具体的になった

大人とはなんぞや? という話をする時に、大体「自由」と「責任」というワードが出てくるのが自然だと思う。彼女と出会う前から自分は副店長で仕事上も歳の割には責任のある役職を任されていたと思うし、お金と時間は好き勝手に使って自分の好きな事を追いかけた。
ただなんとなく当時は「自由」はともかく「責任」とはなんぞや? という感覚で、仕事も必死にはしてなかったし、それに見合った自由を謳歌してたなと思う。
ただ、彼女と結婚というのが視野に入った時、このままでは駄目だと漠然と思うようになった。
別に誰に求められたわけじゃないんだけど、「副店長」のままで結婚する勇気が自分にはなかったし、一人前の称号が欲しくて「店長」を目指して、実際に店長になって結婚した。
仕事の上でもプライベートでも、自分の判断の後ろ側にいる人の存在が大きくなったような気がしていて、店長になり、旦那さんになってなお一人前との遠さというか、難しさを痛感している所ではある。「責任」という言葉の重みがましたような気がする。

30代に向けて

自分自身、最高にとまでは言えずとも、それなりにはちゃんと面白く歳を食えてると思う。
20代後半、自分の中の大きな命題だった上記の問題に、それなりには面白く歳食えてるぞと、今の自分ならそう答える。ただ、30代でそう答え続けるのは20代以上に難しいらしい。

20代、何故面白い歳の喰い方ができたのか?
その根底には「危機感」もあったと思う。
23歳の時に元カノと別れて、行き場を失ったエネルギーの矛先を求めて「面白い大人」とやらを目指すようになった気がするし、結婚を意識してからは今の自分のままではダメだという感覚もあった。だからそれなりに必死だったしがむしゃらで、その結果ある程度中身のある時間を過ごせたように思う。
ただ、なんかで見たけど、30代は違うらしい。

結婚して、これから誰と生きるのか? という大きな悩み事はなくなった。
今でこそ店長という役職が手につかないから仕事も必死だけど、それもいずれは慣れると思う。
よく言えば安定なんだろうけど、30代は20代と違って、「頑張らなくてもそれなりに生きていける年代」になるらしい。
親父の言葉を借りれば、ここから先はつまらない生き方をしても、それなりに楽しいんだと思う。
あくまで自分なりにという枕詞が付くけれど、これからも「面白い歳の喰い方をしているか?」と定期的に自分に問いかけていきたいと思う。

お金と時間と体力、その全てが揃うことは無い

ここからまたもう1つ怖い話
散々親父の株を上げてきたけど、ここで唐突にあるインフルエンサーの言葉を借ります。
「学生はお金が無い 社会人は時間が無い そして老後は体力がない お金と時間と体力、この全てが揃うことはない」
親父の言葉と同様に、私が1つ指針にしてる言葉です。
なんなら今、私は時間もお金も余裕はないですが、これから先体力も失っていくらしい。
実際店長になった途端に疲れが全く取れなくなったし、昔みたいに休みの度に深夜早朝まで飲み歩いたりする体力は無い。まして今でも毎晩飲んでるし不摂生なので、体力の有り余るようなパワフルな老後は送れないと思います。
今までの私の「面白い歳の喰い方」は体力ありきの物で、仮に何かで身体を壊したとして、それでも面白い歳の喰い方をし続けられるかは正直自信がないというか、それくらい身体に依存してるように思います。
それでもなんかして行くんだろうなとは思うけど、30代、思う所はその2つ。
危機感と体力が減っていく中で、それでも面白い歳の喰い方ができるか?
30代の、歳相応な歳の喰い方を見つけて、40歳になって振り返った時、今20代を振り返ってそう言えるのと同じように、面白い歳の喰い方を目指していきたい。
身体を壊さない程度に頑張っていきたいと思います。

それではまた、何か気が向いた時にnoteにも顔出します。
ありがとうございました!

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