シャンパンタワーの法則

私はそんなに人の悩みを聞いたりとかするタイプでは無いけど、X(旧Twitter)とか色々見てると、この人もっと自分勝手していいのにな。とか、なんか変な遠慮の仕方するなーとか思う事がある。
私もそうなのかもしれないし、あるいは私は自分勝手すぎるのかもしれないけど、自己犠牲ってそんなにいい物なのか? 美しいものなのだろうかと思う。
今回は、自分を満たす事が結局は人のためになるよねって話をしていきます。

シャンパンタワーの法則

シャンパンタワーの法則 という言葉を聞いた事があるだろうか。
YouTubeで調べてもそんなに無いし、再生数も伸びてないあたりあまり有名な言葉ではないのかもしれないけど、私は大事にしてたりする。
実際にシャンパンタワーを見た事はないけど、ピラミッドのようになっているグラスの1番上からシャンパンを注ぎ、満たすイメージは誰しも持ってると思う。
人間関係をこのグラスに例え、1番上に自分。2段目が家族や恋人。3段目を友人やその他知人。4段目が世間、社会、お客様といった配置で、1番上の自分を満たせば自ずと2段目3段目にもシャンパンが注がれる。という教えを、シャンパンタワーの法則と言うらしい。
冒頭で触れた、私が「もっと自分勝手にしていいのに」と思う人達は、2段目3段目、あるいは4段目のグラスにシャンパンを注ぐ事に尽力し、自らのグラスは乾いたまま。
皆が皆そうだとは思わないけど、でもそういう人身の回りにもいるなと思う。

自分のグラスが満たされた時、自ずと2段目3段目を満たしたくなる

自分を満たした時、自ずと2段目3段目、4段目が満たされる。というのがシャンパンタワーの法則ですが、本当にそうなのか? という問いに対し、私は「満たされれば、いずれ与える事に喜びを感じるようになるから」という答えになるかなと思ってる。
自己有用感とか言ったりするらしいけど、自分のお陰で誰かが喜んだ。誰かに貢献したいという感覚は多くの人が持つ感覚だと思うし、私もこの感覚は持ってる。
自らが満たされた後、この感覚を求めようとするのならば問題はないけど、1段目2段目が空のままこの感覚を求めようとする人がいる。
この方法だとシャンパンタワーは乾いたままだし、自己有用感を満たす為に近道、裏道はないということなのかなと思う。
自らを満たすために自己有用感を渇望する人もいそうだけど、自分が幸せになれないのに人を幸せにできるのだろうか? と思う。

自分が優先順位第1の2段目、3段目にならない為に

家族にとって、私もまた2段目の家族だ。そして家族のコンディションは家庭環境に影響を与える。私のコンディションが悪ければ嫁さんが気を遣うし、親の機嫌に左右された経験がある人も多いと思う。

私の機嫌がいつも悪ければ、嫁さんは2段目の私のグラスにシャンパンを注ぐ。そうすると嫁さんのグラスは乾いたまま、今度は嫁さんのコンディションが悪くなる。
私が幸せであれば、嫁さんもまた自分の幸せを追求できる。私が1段目を満たし、2段目を満たす事で、嫁さんが1段目を満たせて2段目の私もシャンパンを頂ける。そういう事なんだと思う。
子供ができたとして、その子の幸せを左右するのは両親が幸せかどうかだと思う。自分の子供が親の幸せを優先するような夫婦ではいたくないし、そういう家庭を築きたくもない。
子供ができて、子供のグラスを満たす事が第1になる親は多いと思うしそれは自然な事だと思うけど、これが行き過ぎるとその子供のせいで家庭が壊れる。子のグラスに注ぎ続ける事で、その隣のパートナー、私にとっては嫁さんのグラスが乾くとそうなる。
仕事優先というのもまた3段目のグラスを優先する旦那の姿なのかなと思う。

自分のグラスは自分で満たす。人に注がせない。
結婚して、自分勝手ではいられなくなったとしても、お金や時間に依存しない幸せの満たし方を探していきたいと思う。

結論

自分のグラスを最初に満たす事が重要な事だという話をしてきたけど、結論自分の機嫌は自分で取りましょう、その為にできる自分の最適解を探していきましょう。という事だと思う。
再三ではあるけど、自分のグラスに注ぐシャンパンは自分のボトルから注ぐ事。自分のグラスに人からシャンパンを注がせるのは、誰かのシャンパンタワーが未完成になる原因になる。そうさせない為にも、まずは自分のシャンパンタワーのてっぺんからシャンパンを注ぎましょうよという話。

自分のグラスの満たし方は人それぞれだと思うしそこを語れるほど私は達者じゃない。
だけどそういう概念があるという事を知るだけでも私にとって大きな学びだったので、ここに共有したくなりました。
長くなりましたが最後まで読んで頂いてありがとうございました!

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