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コミュニティができる時

おととい、30日間連続で続けてきたリディズバが終わりを迎えた。リディズバは簡単にいうとリディラバが主催した「社会問題のオンライン勉強会」。僕はこの企画の裏方をしていたのだがこの30日間で素晴らしいだけでは形容できないくらい奇跡的なコミュニティがうまれる瞬間を目撃した。きっと10年20年後にも自分の心に残り続ける学びと感動になるだろう。だからこそ忘れずに文章に残しておこうと思う。

※リディズバとは

ズバ

コミュニティが生まれた瞬間

リディズバはもともと社会問題を考える勉強会と銘打っていたのだが30日間続けていく中で自然発生的に素敵なコミュニティになっていった。ツイッターでのつぶやきが関西でトレンド入りしたり、参加してくれたメンバーが自主的に知り合いを誘ってくれたり。また勉強会中わからないところはお互いに知識を出し合って助け合うという光景が見られた。しかもその参加者はほとんどが一度も会ったことがない人同士で行われていたのだ。これは本当に新しい形のコミュニティだと思う。

そもそもコミュニティとは何だったのか

近年のオンラインサロンブームに見られているように「コミュニティ」というキーワードは多くの人の関心事になっている。ここで呼ばれるコミュニティの何が新しいかというと「1人1人が自分の興味や嗜好に合わせて所属するコミュニティを選ぶことができるようになった」ということだ。そして同時に村や家族、地域、学校、会社といった狭い従来のコミュニティの限界を表している。これらのコミュニティは日本において誰もがほぼ必ず属すことができるという一方で、自分がマイノリティになったときに逃げる場所がないからだ。コルク佐渡島さんの言葉を借りれば

「安心」はあったが「自由」はなかった

という状態。だからこそ、今の時代のコミュニティは「選ぶ自由がある」ということが新しくて素晴らしい。僕も休学したときに所属するコミュニティの選択肢が無限にあったことで本当に多くの価値観に触れることができたし、多くのコミュニティに所属して自分に合うものを見つけることができた。

そして新しい形のコミュニティでは今までと大切にすべきことも違ってくる。そのキーワードが「心理的安全性」と「熱狂」だ。(これは佐渡島さんの本にも書いてある)これは本当にリディズバというものを通して実感したものだった。

まずは心理的安全性について。今の日本では、社会問題について普段から考えたり行動したりしている人たちはマイノリティだと思う。そんな真面目な話を飲み会でしようものなら白い目で見られることだろう。(笑)これは会社であっても高校であっても同じできっと社会問題に関心のある多くの人は肩身の狭い思いをしてきたのだと思う。そしてこのリディズバという勉強会はそんな肩身の狭い思いをしてきた人たちのたまり場となった。(そうでない人もいるだろうけど)なぜならそこで社会問題に関して発言したり発信することに対する「心理的安全性」が確保されていたからだ。ここなら自分が隠してきたことを話しても大丈夫。そんな空気がオンラインなのに漂っていた。もちろんこれは場を作る人の努力だけではどうにもできない。参加してくださる人たちが優しくて受容力のある人ばかりだったから成り立ったものだといえる。これをオンラインだけで成立させるということは本当に奇跡だ。印象深かった出来事は2つある。1つはZoomのチャット欄で勉強会で出てくるわからない単語を質問してわかる人が答えてあげるという循環があったこと。会ったことのない人に質問をすることができてそれにすぐに答えてあげる人がいる。これだけでもすごいコミュニティだなと実感した。もう1つが最終日終了後の打ち上げ(オンライン)。僕は用事があり途中から参加したのだがそこでは参加者の方が自分の過去の苦しい体験経験について赤裸々に語り、それを認め合う、またそれに対して参加者も切り込んでいくという光景があった。ちなみにこのZoom飲み会にいるのは100人以上、しかもみんな初めましての状態。そんな人たちにいきなり友達にも話せなかった過去を打ち明けることなど普通できるだろうか?これはもちろん本人の勇気もすごいのだけれど、参加者の受容力なしには成り立たなかった。このコミュニティにいる人なら大丈夫。長くなったがこの心理的安全性としてあったからこそリディズバはコミュニティと呼べるものになったのだと思う。

2つ目が熱狂だ。このリディズバは30日連続で夜に勉強会を開くというの半ば無謀な挑戦だった。その分人手も割くし何より社長は毎日しゃべり続けなければならない。進めていくうちに主催者も参加者も多くの人がこれに気づいたと思う。(笑)でもそれをやり遂げようという姿勢を見せた時にスタッフ、参加者の方の中に「熱狂」が生まれた。僕が印象的だったのは参加者の方が進んでリディズバについて発信して参加者を誘ってくれたこと、そしてなぜか運営スタッフのことをめちゃくちゃ気遣ってくれたことだ。(笑)これは勉強会を「消費」するという視点からは絶対に生まれない行動だと思うしこのリディズバという企画に熱狂してくれたからこそ。この主体性にリディズバという企画は支えられていた。ちなみにその発信の結果Twitterでのトレンド入り(関西)を果たしたのだがそれが本当に嬉しかった。少し話は変わるが、この企画をやる前、社員さんとリディズバと全然別の話をしていて印象に残っている話がある。言葉自体は正確に覚えていないが「人って狂気的なほどの強い意思だったり行動に魅了されるものだよね。」というニュアンスのことを言っていた。たしかに熱狂という漢字も「熱量」と「狂気」という言葉から成り立ってるなぁと思い、とても納得した覚えがある。今回はこの30日連続という狂気的な挑戦に多くの人が共感してくれたのかもしれない。(もちろん素晴らしい参加者が来てくれたからというのが一番大きいけど)。

本当に長くなってしまったがこのリディズバを通してコミュニティというものがどうやって生まれていくのかをこの目ではっきり見ることができたのは本当に大きな経験だった。

自分の中での「無関心の打破」への考えが少しだけ変わった

他にも僕が学んだことはたくさんある。リディラバの理念は「社会の無関心の打破」でありこれはリディラバで働く人には骨の髄まで浸透している。笑だからこそ結構人の関心を生むにはどうしたらいいかということを考えることが多いのだが僕はこの無関心の打破についての考えが少し変わった。1番感じたことは社会に関心を持っている人は実は意外と多いということだ。

(これはあくまで肌感)日本財団の有名な調査で「あなたは社会を変えることができますか?」という質問があり日本の数値が圧倒的に低いというデータもある。これをだけ見ると日本は社会への関心がそもそもない人が多いように見える。

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これに関しても印象的な出来事があった。それはリディズバに東大のクイズ王伊沢拓司さんが出演したときのことだ。伊沢さんと言えばクイズの会社を起業して今ではyoutuberとして中高生を中心として若い女性のファンを多く持つカリスマ的存在。恥ずかしながら僕はこのファンのみなさんがジャニーズのコンサート的な気分で勉強会に参加してしまうのではないかと勝手に心配していた。(本当にすみません、、笑)しかし実際にその会が終わったあとの反応は全く違ったものだった。ツイッターを見てみると

今まで社会問題というものに抵抗感を持っていましたがこれをきっかけでもっと社会について知りたいと思いました
伊沢さんが出るからと思って参加したけど今まで社会に対してなんとなく感じていたけど誰にも話していなかった違和感がこの場で間違いではなかったんだと気づくことができました

といったような感想を言ってくださる方が。中には手紙を書いてその画像をTwitterにあげてくれる方も。僕はてっきり伊沢さんというイケメンを見るついでにクイズもやろうと思っている人が多いのかなと思っていたのだが(本当に失礼、、)学校の勉強への違和感の出口がたまたまクイズになっていただけである意味その人たちは社会に関心があるとは言わないけど自覚もしていないけど、知らぬ間に関心を持っていたのかもしれない。そしてそういう人はほかにも一定数いるのではないかと思ったのだ。

話を戻すとそういった人が多いのであれば、社会への無関心の根本的な課題は「その思いや考えを吐き出したり自分で気づいたりする場所を作ること」なのかもしれない。つまり無関心な人を振り向かせるアプローチだけではなく関心を持っている人に対してその関心に気づいてもらうアプローチもあるということだ。でも結局、根本的にリディラバがこういった人たちに対するアプローチの仕方は変わらない。それがメディアでありスタディツアーでありイベントで、興味を持ってもらう機会を提供し続けることしかないのだと思う。

社会を変えるのは本当に小さな積み重ねでしかない

もう1つ言いたいのは社会問題というものは知っただけで満足してはいけない。自分の知的好奇心を満たす対象になってはいけない。正確にはなってもいいのだけれどそこに対するアクションを少しでも起こすべきだと思う。1人ですべての問題に取り組むのは無理だが何も動かないのでは、知った意味がない。

しかしこう言うと「社会に貢献することを日々実感することなんて無理だよ」という声もよく聞く。正直僕もリディラバという常に社会のことを考えている会社で働いていても、毎日を社会に貢献したという実感を感じることは難しい。なぜならやっていることは日々の資料づくり、打ち合わせ、お問い合わせ対応などなど本当に平凡で地味なものばかりだから。どれだけ大きな理念を掲げようとも日々やっていくことは本当に地道なことの繰り返しだということはリディラバに入って痛感したことだ。それでも日々楽しく仕事をできている人にはもちろん理由がある。僕はイソップ寓話に出てくる3人のレンガ職人の話がとても好きだ。この話は3人のレンガ職人に「ここで何をしているのですか?」と聞いたときにこんな3通りの答えが返ってきたという話。

「見ればわかるだろう。レンガ積みをしているのさ。毎日毎日,雨の日も強い風の日も,暑い日も寒い日も1日中レンガ積みだ。なんでオレはこんなことをしなければならないのか,まったくついてない。」
「オレはここで大きな壁を作っているんだよ。これがオレの仕事でね。」
「オレたちは歴史に残る偉大な大聖堂をつくっているんだ。」

要は同じ仕事をしていても何を目指し、何のために働いているのか、この志次第で仕事はいくらでも楽しくなるしやりがいを感じられるということだ。だからどんな些細な行動でも自分は社会をよくするために働き、勉強しているんだという実感を持つことが人生を豊かにしてくれるのではないかと思う。これがどうしても感じられないのであれば自分の身を置く環境を変えるという選択もあり得るのかもしれない。

最後に

今日のnoteはとても長くなってしまったがそれくらい学びの多い1か月だったということだと思う。リディズバという場所が今は小さな熱狂かもしれないけれど、いつか社会にうねりを起こしていけるようなコミュニティになっていけばよいなと思う。そしてそこに学生のうちに少しでも関われることは幸せなことだと改めて感じた。



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