「制限」があるからこそ幸せ

1日1noteを始めて3週間。もうそろそろ書くことがなくなってきました。笑
けど今日もnoteを書かなきゃと思うと自然と何気ない場面からでも学びを得ようとするので毎日何かしら発見があって充実しています笑

今日は昨日の晩飯で得た気づきを書こうと思います。昨日は友人と鍋の食べ放題に行ってきました。昨日の企画は学生が大好きなフードファイト。僕は小学校からずっと運動をやってきてご飯はかなり食べる方だし、今のところ太らない体質なのでよくフードファイトに誘われる機会も多いんです。(なんの自慢だって感じですが。笑)

しかし昨日食べ放題にいって思ったこと。それは

もう2度と食べ放題に行かない!!

食べ放題行くと帰りに「もう2度とやりたくねー」って冗談っぽくいいますけどそういう感覚ではなく冷静に誰にもメリットのない行為だから2度と行きたくない。そんなこと当たり前やん、やる前からわかってることでしょと思われるかもしれませんが学生は結構楽しんでやってます。でもほんとに百害あって一利くらいしかないです。笑

その一利は限界に挑戦することで生まれる深夜テンション的な楽しさですね笑たしかにフードファイトって後から振り返ると楽しい思い出になりますし。

でもパッと思いつくだけでこれだけ食べ放題の「害」が出てきます。

①健康によくない
「腹八分目」って言葉がありますが結局おなかいっぱいになる一歩手前で終わらせるくらいがちょうどいい。
研究でも食べ過ぎは不眠や胃の調子が悪くなる原因になるとありますし、健康にいいことなど何1つありません。翌日も体調わるくなります。(今おなか痛いです。)

②フードロス
社会問題を扱う僕からしたらこれは見逃せない問題です。実はフードロスの問題って消費者レベルのロスよりもお店から出たり、製造過程から出るロスのほうが多いんですが、食べ放題のお店はその元凶ともなっています。在庫の予想ができないので大量に仕入れるし僕らのような無意味にフードファイトを繰り広げる輩のために準備しなければならないからです。そもそも食べ放題という概念をなくしたほうがいいのかもしれないですね。

③ありがたみがなくなる
これが正直今日のメイントピックであり、最大の気づきです。
温野菜の肉っておいしいんですけど食べ放題でフードファイトになるとその肉が「消費」する対象に変わってしまうんですよね。この「消費」モードになることが誰も幸せにしない根源だと思うんですよ。食べ放題の時に味わいながら食べている人ってなかなかいないですもん。

しかも普通に3000円って高いし、3000円ならおいしいものたくさん食べれるし。まじでなんもいいことねえじゃねえか!!

ここから気づいたこと

ここから気づいたことは、人は制限とか期限とか「限り」があるからこそ幸せを感じる生き物だということです。例えば寿司好きな人が寿司屋で働くと寿司が好きじゃなくなるという話とかってよくあるじゃないですか。あれもたまにしか食べられないものだからこそありがたみを持って食べられるけれどもその制限がなくなったから好きという感情が生まれなくなってしまったんだと思うんですよね。華金とか社会人が羽目を外せる機会に「限り」があるからこそたのしいんですよね。毎日が華金だったらそれはたぶん楽しくないんです。

お金も同じ。お金は誰もがたくさん持っていたい、億万長者になりたいと思うものですがじゃあお金を無限にあげるので今日から高級寿司でもキャビアでも好きなものを食べて好きな家に住んで暮らしてくださいと言われても多分誰も幸せを感じない。これも自分の所得に限りがありその中で頑張って出して交換したものに価値を感じるんだと思います。

限りがあるからこそ感じる幸せがある。そう思ったら結構生きやすく感じることってあるんじゃないでしょうか。僕もつらくなったとき、この感覚をもって日々生きていきたいなぁと思います。

最近こういうしょうもないことからでも気づきを得られるようになりました。今日は以上です。



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