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社会課題は未だクリアされていない「面白い」課題だということ

今日はリディラバ代表安部さんと山口周さんの対談イベントがあった。非常に面白い回だったので自分が考えていたことも振り返っていこうと思う。

そして先にいっておきたいのだがこの文章ではわかりやすいように家電メーカーを例に出したが、決して家電メーカーを批判しているわけではない。もちろん雇っている社員を食べさせたり、組織を存続させるために仕方のないことだと思っている。でも、本質的に考えてそれって意味あるんだっけ?という話は別の論点として捉えておく必要があるとおもうのでこの文章を書きます。

1.家電メーカーは重大な社会課題を解決した。

僕たちは今、人類史上最も裕福な時代を生きていると思う。それはなぜだろうか。それは資本主義という仕組みが素晴らしかったからだ。(もちろん他の要素もたくさんある)資本主義という仕組みの中で、大きな企業が誕生し、次々に生活が便利に、豊かになるものが開発され、人々に届くようになった。

ここで僕が今まで持っていなかった視点はこういったモノを生産しているメーカーはもともと壮大な社会問題を解決することを目指した企業だったのだ。例えば家電メーカー。日本の家電は世界でもトップレベルの技術、性能を誇るが、こういった家電たちはもともと「主婦の過労、多忙」という重大な社会問題を解決するソリューションとして生み出されたものだ。今となっては家にあるのが当たり前であるがゆえに何も感じないが当時の人にとってはとんでもない革命だったはずだ。

そして今、その「主婦の過労、多忙」という社会問題は家電によってかなり改善されたといえる(もちろん全くなくなったとはいわないが)

2.社会問題が解決した世界

日本の企業がこれだけ重大な社会問題を解決したことは本当に素晴らしいことだと思う。しかしここからが問題だ。この社会問題が解決した後に家電メーカーがやるべきことは本来なんなのだろう。それは「会社を解散すること」だ。どんな社会問題も究極の理想状態はその社会問題を解決して組織を解散させることだ。そうなって初めてその社会問題は解決したといえる。

では今家電メーカーがやっていることってなんなのだろう。それは無理やり需要を作り出し、無理やり新しいモデルを買わせることだ。例えば炊飯器だったら今の時代ほとんどの家庭には炊飯器がある。まあ多少の差はあれどそこそこどの炊飯器でもおいしい米が炊ける。でもメーカーにとってはそれではいけない。なぜなら新しいものを買ってもらわないと売り上げがあがらず、社員を食べさせることができないからだ。だから企業はその家電は古い新しいものを買おうと無理やりのように喚起する。

社会という視点でみたらその活動にほとんど意味などないのに。スマホなどもまさにそうだといえる。本来的に機能などほとんど変わってないけど、なんとなく新しいものがほしくなってしまうのだ。

山口周さんはこの状態を「クリアしてもうエンドロールが流れているゲームを無理やり続けているような感覚だ」といった。そしてクリアされたゲームをやり続けても面白くないのである。これはめちゃくちゃ納得したフレーズだった。

成熟した今の資本主義の社会では今までではなかったような問題は複雑に絡み合っているのである。例えば食べ物だって作りすぎて逆にフードロスなるものが問題になっている。今まで飢餓という問題こそあれど食糧が余り過ぎて困るなんて問題はなかっただろう。こういった問題も結局「もう終わっているゲームをやり続けた」がゆえに起きてしまっている故障なのだと思う。

3.クリアされていない問題を解こう

2で書いたことはすべて自分のキャリアを選ぶときにも大事な観点だ。人はよく社会貢献をしたいという。最初新卒で入ったときは生活を成り立たせるために組織の中で頑張るが、ある時、ふと「これって社会に何の価値をもたらしてるんだっけ?」みたいなことを考える。解かれたゲームをやり続けることは正直面白くもないし、むしろ今のゲームプレーヤーたちはクリアしたゲームを後退させるようなことすらしてしまっている。このことに気づいてしまうのだ。

そう考えるとクリアされている問題をわざわざ繰り返す会社に入るより、まだ解かれていないゲームを解きにいくほうが絶対面白い。今の若者は少しずつそのことに気づき始めている気もする

4.自分がクリアしたい課題

話はだいぶ変わるは僕はこうやって社会問題について1年以上がっつり学んできたのでもちろん社会問題の解決に一役買いたいと思っている。特に僕が最近興味のある話題は2つある。

「家族のあり方」。今の時代核家族が進んだことで様々な問題が起きていると思う。例えば子育てと仕事の両立。本来子孫を残し、育てあげることは人間にとって最も大切な使命なはずなのにそれを置き去りにしてしまうほど仕事が忙しいという謎の事態が起きてしまっている。これは従来の夫婦という枠組みだけで解決できるものなのか。それとも新しい家族のあり方があるのか。こういうところを考えて形にしていきたい。

もう1つがまちの経済圏だ。東京に住んでいると、まずお隣さんという概念がない。お隣さんの名前すらいえるか怪しいレベル、つまり困っても近くに助けてくれる人たちがいない孤独な社会だ。一方で小学校の時、僕は名古屋の比較的静かなまちに住んでいたのだが、約束しなくても近所の公園には誰かしらいるような環境だったし、マンションの人は半分以上顔なじみだった。だから例えば親が家に帰ってこなくてトイレにどうしてもいきたいときにトイレを借りるなんてこともしていた。(笑)こういう小さな経済圏というのを自分で作りたい。貸す、譲る、助ける。そんなことが当たり前にできる環境のほうが絶対よいからね。

かなり話がそれてしまった気もするが要はこれらは今すぐに解けないが10年とか20年とかかけてクリアしていきたいゲームである。人生100年時代と言われる今日、1か月で解決できる問題ばかりでは退屈してしまう。解決すべき難しい問題があるからこそ、人生は少し面白くなるのかもしれない。

今日はだいぶ周さんの意見をそのまままとめたような文章になってしまった。(笑)こんなことを書く予定じゃなかったのだが、まあそういう日もあるということでよしとしよう。(笑)

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