生き血と閾値と諭吉

可愛くなろうとも格好良くなろうとも思っていない。

ただ一般社会における大多数側の容姿が欲しいのであります。

せめて「大きめサイズ」のマスクに収まるぐらいに輪郭は整備したいし、細胞が暴動を起こして膨張した右頬にはいますぐSATを呼んで沈静化を図りたいし、いつ何時も口からはみ出ている巨舌は性格悪いお婆さんに切られたい。きちんとあとで大小二つのつづら用意するから。

しかし私にとって「リンパ管腫」なる病気は事象というより名称であり、ただの発端にすぎない。(もちろんリンパ管腫による摂食障害とかはあるけど)

私に然るべき「___」は、世間との容姿の相違にて起きる摩擦、周囲からの熱い視線による精神的全身火傷。という事象。

皆が私に火傷を負わせたいがために視線を向けているわけではないことは承知である。(例外除く)

太陽も地球を焼こうとして陽の光を落としてるわけじゃなかろう、多分。少年が虫眼鏡を手にすることで初めて対象物の蟻etcが「アツっ!」となる。

でも私には虫眼鏡を持つ少年なんてそもそもいない。全部セルフ。自家発電。誰も責められん。

だから運よく人のかたちをしてくれている人ではない偶像に、責任転嫁してる。

神様に生き血吸われたかもしれない。そのせいで辛苦を司る閾値はマイナスにカンストしてる。そのせいで真っ当な人間になれず真っ当に諭吉も持ってない。くそぅ……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?