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幽幻狂鬼!②





三人は広東省の山奥から、1人の赤ん坊を預かって遥々香港まで戻ってきた。

あまりにも山奥の交通不便な場所まで車を乗り換えながら一走り。
香港から本土を繋ぐ特急鉄道、城際直通車(Intercity Express)を利用するのはかえって不便だった。

「よぉ~し、よし。それじゃあ、無事に赤ん坊を連れて香港まで戻って来ましたよと、かなり遅くなっちゃったけどあのオバちゃんにご連絡しましょおかねえ」

現代の若者らしい小気味よさとさっぱりした風貌を持つ漢良(ホンラウ)は、ぐずる赤ん坊をあやしながらスマホを取り出す。
服装は軽量の登山ウェアだ。

あのオバちゃん、などと呼ばれてはいるが、相手は20代後半と思しき崇瞳 翡翠(たかめ ひすい)と名乗る日本人女性だ。
遠路はるばる広東の山奥まで赤子を引き取りに向かったのは、この日本人女性からの仲介依頼が関わっていた。


崇瞳はいつ頃からか香港を拠点とした女富豪の人物で、女大人(ノイダイヤン)の異名を取り、香港全域に根を張った要人ネットワークをその手中に握っている。
政治家とも、香港を牛耳る裏社会とも、非常に関連が深い人物だ。
そしてかなりの呪術界隈ネットワークも彼女の元に集まっている。


漢良があやす赤ちゃんは同じく香港のある上流家庭の赤ちゃん、梁(リャン)家の赤ちゃん。
生誕を祝うために招かれた占術師に、生まれながらに短命を予告されたこの不運の赤子は、広東省の僻地に居を構える力の強い呪術師の元に預けられ、延命の秘術を三か月もの間身に施されていた。
やっと儀式が終わり、親元に返される。
かけられた秘術が壊れないよう道中の安全を守るためにも、赤ん坊は道教の道士と二人の弟子達によって大切に運ばれ、ようやく中国から香港への国境越えを果たしたところだった。



ピピピッ。崇瞳からの返信が届いた。

そこには短く

『takame:送信人


グッ‼︎0(*゚∀゚*)っ





とだけが記されていた。


「なんだよあのオバちゃんー!山越え谷越え、河を越え、こんなに困難な道のりを、赤ん坊を庇いながら連れて帰ってきた俺たちにたったこれだけー!」
漢良は、しばし同じく弟子の立場の一人である、車を運転する皓然(ホウイン)と、一緒になって香港語で崇瞳の悪口を言いあった。

香港語は広東語と概ね似ている部分が広範なので、広東省の、北京語なんかはほぼ使われていないド田舎地域でのやり取りも、何も問題がなくスムーズに行えた。
小高いなんてもんじゃない白雲山を抜け、下界を泳ぐ雲の下に隠す天高い秘境の奥地へと、赤子を求めての行き帰りはかなり険しくストレスのあるものだった。
車すら侵入できない難路から帰る途中、雲が滝のように流れ落ちる白雲山の絶景を横目に見て、漢良はもう二度とごめんだと吐き捨てた。
車中、道士は黙って腕を組み物静かにしているが、未熟な二人の旅疲れも無理はない。


蛇口から深圳湾へ。中国と香港を隔てる大河を、京港澳高速道路(けいこうおうこうそくどうろ)に乗って越え、長く広い大橋に辿り着く。


見る間に落差ある中国の景色から先進的な香港の都会の光景へと様変わると、見慣れた場所にやっと帰路した安堵感の暖色へと車内の空気は色を塗り変えられた。
順繰りに依頼を成し遂げつつある一歩手前の緩まった空気に、弟子二人は胸を撫で下ろす。
そこへ来てこの悪天候である。
国境に近づくまで雨は降っていなかったのに、香港に近づいた途端、嘘のような変化の雷雨が襲ってきた。降り始めのポツポツとした雨は、すぐにボツボツと大粒に変わり、瞬く間ボンネットに叩きつけられる。
漢良と似た動きやすい服装をした弟子が、ハンドルを切りながら、ガソリンメーターの異変に気が付いた。
「やばいな、ガソリンが無いな、どこかで一旦停止しないと」



「いいや突っ切りなさい。なるべく手早く帰るんだ」

それまで黙っていた、外見だけは若い細身の道士が、落ち着いた語調に強い威を含ませ、重い口を開いた。
服は、腰から下まで下がる長さの、前は着物のように折り重ねて閉じた、簡易(ラフ)に作られた白い道衣を纏い、中には焦茶の上下を着込んでいる。膝から下には同じく白で揃えた脚絆を付け黒い靴を履いている。


「しかしこのままじゃガソリンが!」

無理言わないでください!と皓然が泣き声と甘え声の中間を出す。


運悪くーー……!!三人を載せる黒車が急に道路のド真ん中で車内を激しくワンバウンドさせて立ち停まり、動かそうとしてもウンともスンとも答えなくなった。エンジンキーが回らない。
バッテリーの上がりか?皓然は青ざめる。
嵐の中、周辺には何も無い場所での立ち往生は、考え得る限りの最悪だった。

「先生!あそこに城があります!」

イギリス領地時代の建築物であろうか、雨風に揺れる大樹の向こう、暗い影を片側に帯びながら雨をはじくような妙な光を放ってそびえる、西洋作りの豪邸が見えた。
城、と呼んでいいような高く豪奢な建物だ。

「あそこで少し休ませてもらいましょう!!」


小柄で細身の姿に肩までの焦茶色をした長髪の、眉のあたりが気難しげな美形の貌をした道士は、肩を下げ、ままならなくなった車に機嫌の悪いため息を漏らしながらシートベルトをシュルリと上げた。

三人が赤ん坊を連れエンストした車を置いて出ると、早く走れと急かさんばかりに近くの木々に落雷が落ちた。
弟子二人は僅差の場所に落ちた凄まじい音に怯え、赤ん坊を抱えながら慌てて一目散に城まで水溜りを跳ねて走った。


白い石がモザイク状に積み重なる石壁。所々に花壇が埋め込まれていて、降る雨水が溜まっている。


三人とも手荷物である鞄を横がけに下げながら走り、石造りの階段を登り、城の前では丁度、軒下に女が、金のオイルランプを手にし、三人を待ち構えるかのように長い黒髪を濡れた柳のごとく垂らし、佇んでいた。
白い肌と黒い髪。
雨の風がこちらにまで届く中、立って赤ん坊連れのこちらを見ている。
手に持つのは英国有名ランプメーカーの印字が刻まれたアンティークの質良い灯りに見える。これがもし携行する行燈ならば、中国古典伝奇小説に現れる女幽霊と一瞬見紛ってしまうような、ポゥっと浮き上がる幽玄な存在感の佇まいだった。

まるで王朝の血を引いた貴人が身につけるような、外套の付いた豪華な紫のチャイナドレスとキラキラと光を放つ宝飾品を身に付けて着ている。

二つの双眼は目頭のピンクの肉が印象的で、近づく三人を見据えて裂かれたような形の瞳を更に半月状にソッと歪めた。


細められた女のその目に屈まれ、ほっぺの赤く丸い顔を覗き込まれ見つめられた途端
「おぎゃあおぎゃあおぎゃあおぎゃあおぎゃあ」
赤ん坊は癇癪を出し、漢良の腕の中で火がついたように激しく泣き出した。





「大層なお城であるようですが、一体どのような方がお建てになってどのような方が持ち主なんですか?」


白い道士着に染み込んだ水を手で絞りながら、道士、思聡(スーツォン)は尋ねた。
濡れて顔に張り付いた髪を剥がしながら、その目は女の横顔をキラリと射抜いて見ている。

弟子二人は軒先に寄せ合い、タオルを重ねて、雨から守った赤ん坊の様子を心配げに見ている。



「ここは1840年代の昔にイギリス人の香港総督が建てた、贅を凝らした居住用の城よ。今は私の富貴な夫の持ち物よ。それにしても見てられないわね。
ここに来たからには安心して。行要好伴 住要好邻(旅は道連れ 世は情け)、与人方便 自己方便(情けは人のためならず)だわ。おいでらっしゃい」

女は翻す。

「はーさむさむ。早く入りたいよ」
「赤ちゃんの体に悪いや」
弟子二人は歩き去る女の後に続きましょうと、手を擦りあい寒さに震える仕草をしながら道士を促す。

「……………」

道士は黙って険しく女の後ろ姿と二柱の間の開いた門構えを眺めている。
背後の雨は、弾丸をばら撒く音を依然立てては、階段の石畳に波紋円を描き降りしきっている。
女は振り向いた。

「入らないの?扉を閉めるわよ!」

気の強い女の一声を浴びた。



「あそこにいる男は?」

尚も道士は動かずに尋ねる。

「ああ、あいつは見張りよ。こんなに広い邸宅でしょう。ああやって雇った男を、あの塔の高い見張り台に置いて、夜中中、城を360度見張らせているの。防犯カメラと繋がるセキュリティ警備保障会社とだけじゃ、いざという時には間に合いやしなくてね」

一人の屈強な人相と肩をした男が屋根のついた見張り塔の中に立ち、厳重に警戒した視線を眼下に張り巡らせている。

三人達の位置からじゃ顔だけ覗いているのが見える。


道士は黙って、やっと中に入り始めた。







内に入ると肌に触れる温度がガラリと変わる。
高い天井に守られて水を含む風から解放された。
激しい気温差に長身の漢良(ホンラウ)ーーラウと、少し横広い体の皓然(ホウイン)ーーインは、それぞれ凹凸の体をブルッと震わせた。


大理石で出来た床を歩き、長い通路を渡って、薪がくべられる暖炉の置かれた大広間に通された。
広間の名の通りの、人を集めてパーティーでも開催できるほどの広遠な空間。
きらめくシャンデリアの下、ふかふかの絨毯の上には、長いソファーがコの字型に配置されている。


「客間ですわ」


囁くようにそういって嫣然(えんぜん)とニッコリ、女は無言で白い扉を閉めた。







女は廊下の先、階段を降りて地下の儀式場へと向かう。

神妙なる空気とただならぬ気配漂う薄暗闇の部屋。何とも鼻につく香のにおいが部屋中に煙(けむ)く立ち込めて充満している。
新鮮な栴檀(センダン)の香りに似ているが、何か鼻につく。
赤と黄色の基調に飾られた部屋一帯に先祖の位牌がズラと並べられており、まるでどこかの寺院の廟内然とした光景がそこには並んでいる。

ロウソクはゆらゆらと揺れ、あちこちに赤い幕が下げられている。
赤い祭壇がある。
祭壇の上には平たい銅製の円盤がある。円盤の上には赤い布がかけられている。
赤い祭壇の奥には子供の身長くらいはある、5体の木彫像が並んで立てられていた。それぞれに黄色い衣類が巻き付けられ、着せられている。

「大嶼(ランタオ)の邪秘伝」
女は呟きながら祭壇に向かって歩く。

「ふっふふふ……」

祭壇に近づき、赤い布を取り払うと、そこには粘土を捏ねられて出来た土人形が数体、輪を作るようにして並んでいた。

一体は細身の体に髪が肩まで伸びた男、
一体は長身の男、一体は小太りの男、そして……小さな赤ん坊に見える中央の小さな人形。

円盤の横には長く太さのある釘のような針が置かれていた。
女は突然それを両手で掴むと、いきなり自分のこめかみに、釘のような長針を差し貫いた。


「グッ……ゲ……ゲ……」


奇怪な声は喉から出すが、目はカッと睨み開いたまま前を見て、黒眼が動きもしない。
表情全体がピクリと動かず、変わりもしない。
お面を被っているかのように、表情筋は動いていない。
貫通するかとまで深く突き刺した針を女がまた引き抜こうとする。
引き抜きに引っ張られた皮膚。
引っ張られ歪む皮膚の下を妙な太い脈が何本も浮き上がり出てミミズのように這い蠢く。


「……ハハッ……!!ハハ ハハ ハハ ハハッ…………!!」




女が手を離し笑い声を上げる横で、奥に飾られた一つの木彫像がガタガタと震え出した。

木彫りの口から、掠れきった低い男の声が小さくする。
「はやく、だだせ、だせ~っ…………だせ、だせ、だせ、だだせ、だせ、だせ、だだせ、だせ~っ」
ガタガタガタガタ  ガタガタガタガタ  ガタガタガタガタ  ガタガタガタガタ
台が揺さぶられるほどに、細かく震えていた。

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