幽幻狂鬼!③
「はーあぁ。この雨が天から降り落ちる雨銭(うせん)だったらいいのになぁ。今頃俺はザックザクのお金持ちに」
インが濡れそぼる窓を覗き込みながら馬鹿な発言をする。ラウと思聡の二人は暖炉に当たっていた。
「スヤスヤ寝ちゃっているぞ」
ラウは胸に抱える赤ん坊の寝顔を見て、自分も安心したように言う。柔らかなベビー服はちっとも濡れてはおらず、暖炉に当たってうっすら汗を浮かべていたので、ラウは慌てて火からちょっと離れた。
師匠と違って鈍いラウやインにも感じ取れるほど、広いであろうこの城からは人気をまるで感じない。
「金なんかより、こんな雨の日は美人の女幽霊でも現れて、雨宿りのついでに誘惑されちゃったりなんかする夜だよなぁーっ」
ラウがステップを踏むように赤ん坊を揺らしながら、虚しい夢想をボヤく。
インはケラケラ笑い
「おまえならまた女幽霊より男幽霊に付け狙われるよ!アッチ好みの外見でございますからぁーっ」
と頬に手背(しゅはい)をあてラウを笑った。
「なにおーっ!」
赤ん坊がふにゃと起きそうになり、慌てて小声で怒る。
「……ーーーーーー!」
思聡(スーツォン)が僅かながら妖なる気の気配を掴んだ。途端に、普段の笑顔の浮かばないしかめ面が、益々眉にシワの刻まれた厳しいものとなる。
インは窓から離れ、暖炉の二人の元へ近寄って来る。
背を向けた窓辺に、血の一切通っていない死人色をした白い二本足が、窓の上枠から吊り下げられたようにブランと現れた。
「……ん」
何となく気になってインが背後を再び振り向くと、脚はいない。
振り向くまでにスッと、裸足の脚はまた持ち上がって上に消えた。
「……」
インがまた室内に向き直ると、今度は現れた窓の横の窓に両脚が映る。
窓から窓へ、浮上がって消えては、別の窓に横回転して、移り変わっていく。
室内の回りを飛び散る妖気。
窓に背を向けたまま、思聡の目が右から左にと、脚が動いた方向に向かい、グルリと追跡して動く。
そしてまた、吊り下がる脚が消えた。
気配の消失。
「お前たちはここで待っていろ。外を見て来る」
思聡道士はそう告げて素早く消えた。
あっという間に大広間に二人残された弟子達は、信頼する師匠が突然消え去ったことでなんだか心許ない空気に包まれたが、すぐに気持ちを取り直した。
バツンッ
いきなり室内を照らす電気が黒くなって消えた。
「!?」「!!?」
目に蓋が被る。視界が閉ざされた。
二人は見えない天井を首を上げ思わず見上げる。
「ちょ……っ……と!何が起こったんだよ!」
「暗いなぁ!なんも見えないぞ!」
二人は闇に向かって口々に文句をつける。
インの背後すぐ後ろに、あの両脚が二本、天井から吊り下げられるように静かに降りてきていた…………。
「ウワーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
大声が来た道から轟いた。弟子の声だ。
玄関扉の前まで来て、外の様子を伺うつもりだった思聡は、玄関を開けずに来た道を舞い戻る。
再び室内照明がついた。
真っ暗だったラウの目の前には髪が長く、舌をベロンと長く出している女の化け物がいた。
顔は最早人でなく変容させている。
赤い血管の走る肉が剥き出しにされ、目は瞼が無くグリンと丸い眼球がモロ見えて、鼻肉などとうについておらず、腰から下まで舌が垂れ下がっている。もはや表情はわからない。
両手をあげ、こちらに掴みかかってくる。
慌てて赤ん坊を抱えながらラウは逃げ、インも反対側に散った。
飛びかかったものの空振りに終わった鬼は、髪を妖気に靡かせ、天井に逆立てながら逃げたこちらに向かってくる。
舌が急にビロビロと伸び巻き上がった!
「おぎゃあ!おぎゃあ!おぎゃあ!」
雨の振り荒ぶ窓のすぐ横、部屋の隅に追い詰められるラウ。
伸びた静脈の走る舌はビチビチビチと、怯え泣く赤ん坊の頬を粘液を垂らして触る。
ラウはあっと顔色を変えた。
「あっ……、赤ちゃんは……、赤ちゃんを舐めるのはやめてあげて…………!」
赤ん坊を後ろ手に隠すラウ。
すると鬼の舌は、今度はラウの顔をビチビチビチビチッと、陸の魚のように跳ねて舐める。
顔全体を唾液だらけにされながら目を瞑り耐えるラウ。「(ヒィ~~……ッ!)」
(あぁ……。このままじゃ、ラウと赤ん坊の二人の命が…………)
インは部屋の隅の観葉植物と同じポーズを取って気配を消していた。
扉を蹴破る音がした。
現れた思聡が飛び上って横からラウの顔を舐める舌に、分断するように銅剣の叩き込みを入れた。
「ハッ!」
舌は千切れギャッと鬼は飛び上がり
両手を上げたまま、シュルシュルと切断された舌を巻き戻していく。
「これは……縊鬼(いっき)!」
銅で出来た七星剣をヒュンヒュンと回し、鬼に向かって剣先を構えて止める。
「いっきって何です!!」
ラウが慌てて逃げ、剣を構えている自分より遥かに小さい思聡の背後に隠れて、怯えた声をあげ聞く。
思聡は鬼を見据え、にじり寄るように横に数歩、歩き出す。左腕は剣を持つ右腕に添え、構えは鬼から標的を外さない。
「首を吊って死んだ成仏しない霊魂のことだ!」
言い捨て、後ろのラウを置いて、縊鬼に向かい走り飛びかかった。
縊鬼も今度は舌を出すのを臆し、両腕を何メートルも伸ばして思聡に掴みかかりにいく。
「イン!」思聡が叫ぶ。
「はいっ!」鬼から離れて気配を消していたインが、自分の下げる鞄の中から巻物のように長い紙に描かれたお札を取り出す。
前方倒立回転をしながら飛んで化け物と思聡の間へと着地し、思聡の両肩を掴んだ長い腕に、インは素早い動きでぐるぐるぐるっと長巻の札を巻きつける。
ギッ …… ッ
ミシミシと僅かにだけ震えるが、縊鬼の両腕は札の霊力に固められ動かせなくなった。
掴んだ手を力づくで引き剥がし、飛び上がって宙返りをすると硬直した腕に乗る。思聡は突き出された長い両腕の上を横梯子にして跳ね走り、縊鬼がまたもや舌を伸ばそうとすると片足の靴で踏み制し、その頭を目掛け剣を引いて構え、狙って一気刺しした。
縊鬼は額に七星剣を突き刺されて消滅した。
黒い微粒子状になり何も無く消し飛ぶ。
思聡が消えた縊鬼に背を向ける形で着地し、場がひとまず打って変わってシンと静かになる。
縊鬼が居た空間を振り返り見遣りながら、怪訝に思聡は呟く。
「それにしても、普通ならば縊鬼は人に襲いかかってきたりなどはしない。現れても自ら死を招いた霊魂はこちらに向かってしくしくさめざめと泣き、自分が生きている間、いかに不幸だったのかを聞いてほしくて語りかけるだけだ」
縊鬼の額を突き刺した七星剣を一撫でする。
「それがこの怨気。間違いなく強烈な恨みを持って死んでいる」
剣先の丸くなっている七星剣は危なくなく、刃のように研がれているわけではないので、30センチほどの剣は鞘を必要とせず、思聡はそのまま剣を自分の下げる鞄に仕舞い込んだ。
「どゆことです?」
ラウがわんわんと泣く赤子を揺らしてあやしつけながらキョトンとして聞く。
思聡は振り向いて答える。
「つまりこいつは殺されてるんじゃないかということだ」
倒した女の縊鬼は、使用人服らしき衣装を纏っていたーーーー……。
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