罪抗う導きの夢

「いやです、母様をころすなんてできません…」
「詞紀、いい子だから聞き分けて…」
「いやです!母様をころすのがいいこなら、詞紀はいいこになんてなりません!」

いつも見る、あの幼い冬の日の夢。
結末はいつも一緒だ。

風景が、神謁殿から山奥の祠に変わる。代々玉依姫の継承が行われる、呪われし祠。
薄暗い中、母様が優しく悲しく微笑み、私に【剣】の柄を持たせ…

「いやああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」

【巫の渡】―先代の玉依姫、つまり己の母を殺し、剣に己を封じる巫女が移り変わったことを報せる儀式。
あの日、私は何も知らない幸福な幼子から、玉依姫に――罪人になった。
いずれ私も子を儲け、その子が七つになった時、私は殺される。それだけが私の救い。母様を殺した、私の唯一の償い。
玉依姫の役目を全うし、次代へ渡し、死ぬこと。それまでは剣の封印を維持し、剣にその魂を捧げること。それが私の生きる意味。

祠から出たあとの景色はよく憶えている。
どこまでも澄んだ青空。陽光を返し輝く雪の白。私の手を染める鮮血の赤。
もう幾度となく見てきた。私を苛む罪の夢。

けれど今回は、それだけでは終わらなかった。

不意に景色が暗転し、何も見えない闇の中に私は放り出された。
一人ぽつんと立たされ、何の気配を感じることなく、ただただそこに在る。
いっそ心地好くさえ思える闇の中、その変化は訪れた。
闇の中に灯る、大きく丸い二つの赤い光。
目だ、と瞬時に理解する。その目は笑うように弧を描くと、ふっと消えた。
次いで何かを咀嚼するように削りとり、飲み込む気配。―数多の魂が闇の中に満たされていく。恐怖が、激昂が、怨嗟が、悲嘆が、闇を満たしていく。それでも闇自身が満たされることはない。
道行くもの全てを呑み込み、満たされることを知らず、ひたすら進む。その先に待つ、滅びを得る為に。
唐突に喉の渇きを覚えた。水が欲しい。
視線を巡らせると遠くに水が見えた、大きな湖。冷たく澄んだ湖、あそこならこの渇きも癒せるだろう。
湖に向かって走り始めた途端、闇もまた動いた。思えば視界が随分高いところにある。
足元を見れば小さな存在が私に刃を向け、或いは術を仕掛け、雄叫びを上げ、飛び掛ってくる。
それを私は―――私は、一息に殺しその魂を呑み込んだ。
あまりのことに声を上げることすらできず、私は呆然と立ち竦んだ。
己の所業を、状況を理解するのと同じくして、闇はまた幾多もの魂を呑み込んだ。
悲鳴を上げると、闇もまた同様に咆哮した。
これは私だ、私なのだ。
生あるもの全てを滅ぼし魂を呑み込み、この世を終焉に導くもの。
終焉が、私という身体を得て動き回っているのだ。もしかしたら封印が解けた剣が私を乗っ取ったのかも知れない。
しかしこの闇は私であるのに、私の言うことを聞かない。
やめてと声を嗄らす度、魂が闇の中に満たされる。
助けてと救いを求めても、周りに生ける者はいない。
こんなことはしたくないのに、殺したくなんてないのに、この世に終焉を齎すまで、止まらない。
世界が終わった時、私は一人になるのだろう。罪を贖うこともできず、罪を重ねることしかできず、この世に一人。それは想像しただけでも恐ろしいことなのに、確実に訪れる罪の果てなのだと悟った。
私は小さく蹲り耳を塞ぎ、ただ涙を流し“やめて”“助けて”と繰り返す。

身体が冷えていくのを感じた。幼い冬の日、私が罪人となったあの時と同じ冷気が身体を覆っていく。
気付けば手が濡れている。涙で滲む視界の中、赤い掌が闇の中に浮かび上がった。
あの日と同じだ。結局どこに行こうと、何をしようと、私は罪に塗れている。
絶望し、諦め、いっそこの闇の中に身を委ねてしまおうか―そんなことを思った時。

声が聞こえた。
「しっかりしろ」と
「大丈夫だ」と
「信じろ」と
「罪人ではない」と
ついで肩を抱かれるように温もりを感じた。
それは凍りついた心を融かすようにゆっくりと、だが確実に私の身体に広がっていく。
柔らかな匂い。温かい身体。優しい心。
ああ、この方が傍にいてくださるのなら、きっと大丈夫と信じられた。
この声からたくさんのことを教わった。
抗う勇気。何かを、誰かを愛しく想う優しい気持ち。生きる覚悟。
冷たい闇の中、その方の声は光となり私を闇の外へと導いた。
檻の外へ―

眩い光に目を開けると、見慣れた天井が視界に入る。
なんだか恐ろしい夢を見ていたように思う。けれど恐ろしいだけではなかった筈だ、とても優しい気持ちで目覚められたのだから。
夢の内容は忘れてしまったけれど、この心に灯った小さな光を大切にしようと決めた。
玉依姫としての職務を全うする、その時までの命だとしても――

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