告解

雪が積もった庭に月が光を投げかけている。冬好きな審神者が寒さに震えながらも笑ってこの景色を眺めていたのを、へし切長谷部は思い返していた。
人の体を得て暫く経つが、感覚というのは実に不思議なものだと思いながら、長谷部は足先が冷えるのも構わず縁側に腰を下ろした。

あの時は、寒いなら暖かい場所へ行くか、暖かい恰好をするよう進言した。人の体は変調しやすく、実に容易く体調を崩す。
風邪を召されないようにと思ってのことだったが、それを聞いた主は淡白に「そうだな」とだけ返した。そして視線を再び庭へと戻したが、もう笑顔ではなかった。

解ってはいるのだ、自分が主に好く思われていないことなど。
それでも主は自分に使命を、それを果たせる力を、自分で自由にできる体を与えてくれた。どうして嫌いになれよう、まして憎むなど。
どう思われようが俺は主に忠義を尽くし、御守りするのみ。立ちはだかる敵がいるならば斬り伏せる。主命とあらば何でもこなしてみせる。
そう思っている。そう、思ってはいるのだが。

胸の奥が微かに軋むのは何故だ。

加州清光のように愛を求めていないし、大倶利伽羅のように孤立を望んでいるわけでもない。
それでも、主が自分を見て表情を消すのを見ると胸が絞まる。
愛されたいわけではないが、嫌われたくもない、ということなのかも知れない。
そもそも何故主は自分を嫌うのだろうか。何か無礼を働いた…ということなら解るが、出会いからずっとこうだと理由が判然としない。

長谷部の思考が迷宮入りしようとした時、近くで気配がした。
よく知る気配。だがそれは、普段、自分から近付いてくることはない人物のもの。

「長谷部、月見か?」
「…主、ですか?」
「お前なら気配で判るだろう、私だ」

視線を向けた先にいたのは、この本丸の主、霞月。
長谷部が審神者の綿毛以外の姿を―本当の姿を見るのはこれが初めてだった。気配で判るだろうと審神者は言ったが、長谷部が看破できたのはそれだけが理由ではない。
人の姿をしている時の審神者は布で顔を隠しているが、その布には大きく“綿”と書いてあるのだ。
よく知る気配、加えてこの本丸で“綿”が指すものと言えば、審神者。そう総合判断をしたのだが、それを審神者が知る由もない。

「あ、主!いけません風邪を召されます!」
「遅い。もう座った」

思考の隙を突かれたとは言え、自分が遅れをとろうとは…などと悔しがっている場合ではない。寝間着に裸足などという恰好の主をこんな寒いところに留まらせては、後々体にどんな悪影響を及ぼすか分からない。

「ならば、せめて上にこれを」

そう言って自分の上着を差し出せば、拒否されることなく受け取ってもらえた。いつもならば“ァア?”などと睨みつけて触りもしないものを。
小柄な主に自分の上着は大き過ぎ、丈の半分近くを床に擦ってしまっている。寒気を防ぐのには申し分ないだろうが

「主、寒くありませんか」
「大丈夫だ、上着が温かい」
「それなら何よりです」
「……綺麗な雪見月だな」
「ええ、明るい良い夜です」
「雪と月は冬の夜が一番だ」
「主は冬がお好きですからね」

それきり、会話が途絶えた。
主は気楽にぷらぷらと足を振っていたが、纏う空気は沈んでいた。
声をお掛けしたいが、掛けたところで返事をいただけるかは判らない。
そもそも嫌われている俺に、主は素直に答えてくれるだろうか。
…それでも、少しでも主の気が紛れるのなら。
そう思った矢先

「長谷部」

また、先手を取られてしまった。

「手を」
「手?」
「ああ、手を出せ。…そう、手の平を上にして」

言われた通りに手を出せば、主の両手でそっと握られた。
しかもそのまま、何をするでもなくただ見つめている。

「………えっと」
「…温かいな」
「主?」

先程よりもつらそうなのは、何故なのか。いやそれより泣きそうな声をしているのは気の所為か?
やはりどこか具合でも悪いのだろうか思い尋ねようとした時、主は両手で俺の手を挟んで組み、祈るように額へと近付けた。

「私の告解をお聞きください」
「あ、主?」

いきなりのことで驚いたが、告解?主は何か罪を?それを何故俺に?祭服を着ているとは言え、司祭ではない俺にするよりも、石切丸に行った方が余程効果がありそうなものだが……

「お願いします」

面の所為で表情が判らないが、その声はただただ切なかった。
―主がそれを俺に望むなら。
それであなたを救えるのなら

「聞きましょう」

そう返すと主がほっと力を抜くのが判った。だが次の瞬間には、再び緊張し固くなっていた。
そして、主は小さく息を吸うと“罪”を告白していった。

「私は、ある人物を蔑ろにしてきました。その者が私に何かを働いたワケではないのです。それぐらい雑に扱ってもいいだろう、何をしてもこいつは離れないだろうし、と、そう思っていたのです。その者は健気と言える程に私に尽くそうとし、事実、よく尽くしてくれています。ですが私はその態度が気に食わなかったのです。前の主のことはよく知らないが、その人への感情を、私に向けるなと思って冷たく当たっていました。」

ですが、と主は続ける。

「ある本丸で、その者の記憶に触れました。その本丸での、その者の想いに触れました。多少の脚色がしてありましたが、その者は―」

前の主と共に在ること望んで、死を望んだのです。
友に首を絞めてもらい、ありがとう、さよならと遺して。

「私はそれを聞いて後悔しました。同時に、悲しみと怒りが去来しました。今まで自分は何をしてしまっていたんだという後悔。その次に“そんなことを”という悲しみと怒り。死にたいなんて、思ってると思わなかった。彼がいなくなったらどうなるかなんて、考えたことなかった。」

ぐ、と、祈る手に力が入る。
主の手は小さく柔らかかったが、今は指先が白くなる程固く強く組まれている。

「死ぬなんて、死にたいなんて言うんじゃない!前の主に会う為に命を捨てるなんて、そしたら私達は、私は、何の為に…!勝手に命を与えたのは私だが、生きたくないなら、要らないなら、死にたいなら、目覚めた時にそう言ってほしかった…!私が与えた命を、捨てるなんて言わないでくれ。命を与えた者を嫌うことなどない。程度の差こそあれ、私は皆大切だ。だから…今まで、ごめん長谷部。蔑ろにしてごめん。私を赦さなくていい。これは私が楽になりたいだけの告解だから、赦さなくていい」

――正直、自分のことだとは考えていなかった。
それどころか途中まで“ああ、主にこんなに大切に想われているのは誰なんだ”と羨ましく思ったりもした。
それが自分だとは。
ならば答えは一つ。

「赦しましょう」

泣いている主を見たのは、初めてだった。
相変わらず面で顔が見えないが、主の涙は霙のように声に混じり、俺の胸の奥に、かつて軋んだ場所に沁みていく。

「あなたは己の罪を認め、悔い、それを告白した。そして我らが父はあなたの声を聞き届けられました。…あなたの罪は、あなたが“罪”と呼ぶものは、浄められました」
「なん、で…」
「…真似事でしたが、様になっていましたか?」
「あ…、ああ大丈夫だ、ちゃんと司祭のようだった。と言うよりお前、私が何を言っても赦すつもりだったな?」
「どうでしょう。それを言うなら主は“赦さなくていい”と言っておきながら、赦されることを望んでいないようでしたが?」
「あー、それは…」
「おあいこ、です」
「なんだそれは」

互いに笑い合い、穏やかな空気が流れる。
俺といる時の主がこんなに穏やかだった憶えがないからか、新鮮な感じがする。嬉しいがどこか面映い。

「主、申し訳ありませんが手を解放していただけませんか」
「ああちょっと待て、訊きたいことがある」
「何でしょう?」

流れていた穏やかさは引っ込み、代わりに真摯な雰囲気に覆われる。
俺の手は主の胸の前でホールドされていた。まるで“返答によっては返さない”とでも言うように。

「長谷部、お前は黒田長政殿に会いたいと思う?お前は、死にたいと願っている?」

面越しに視線が合う。“答え”を乞うものではない、“俺の答え”を乞うものだ。
目を閉じ思考を確認する。俺の答えは―

「長政殿に会えるのなら、会いたいです。会って感謝をお伝えしたい」
「そうか…」
「それから、謝罪を」
「謝罪?何故?」
「俺はまだ長政殿と共に行けないからです。俺には今、果たすべき使命がある。…そういうことですので、生きていたいです。死ぬのは当分先ですね」
「そうか…良かった、安心したよ」

心底安心したようで、伸びていた背筋が丸くなっていく。と同時に握られた手が緩んだが、まだ離してはいただけないようだ。

「本当、良かったよ。悲しい告白にならなくて」
「? どういうことですか?」
「私はお前が好きだよ、長谷部」

…………………………………えっ

「お前が死にたいと願っていても告白するつもりだった。…まぁ素直に死なせるつもりはなかったが、生きたいと思っていてくれて良かった」
「待って、待ってください主。主は俺を疎ましく思っていたんですよね?それが、何故?」
「…………疎ましかったワケじゃない」
「しかし先程“態度が気に食わない”と」
「言ったが違う、たぶんお前が思っているような意味じゃない。それはもう置いておけ、私の中では解決したことだ」
「主命とあらば」
「主命だ、忘れろ」
「はっ」
「………尽くされるなど慣れていないから照れて混乱してどうすればいいか判らなかったなど言えるか、ましてお前みたいな綺麗な刀に」

…何か聞こえてしまったような。まぁ、主命とあらば忘れよう。それに今は握られた手に意識が集中してしまい、うまく頭が回らない。心なしか、告白以降の主の所作が優しくなっているような気さえする。

俺は、主に疎まれてなどいない。しっかりと想われている。
主と話す前まで“どう思われていようが構わない”と思っていたのに、不思議なもので、主の告白を聞いてからというもの心が随分と晴れやかになった。外は冬景色だというのに、心の中では桜が舞っている。

途端に寒風が吹き付け、庭の雪を散らした。

「主、お体が冷えてしまわれたでしょう。お部屋に戻られては?」
「いやだお前がまだここにいるならここにいる」
「そんな子供みたいな…」
「お前の方が寒いだろう。私に上着を貸してしまって」
「俺は大丈夫ですよ。片手ですが主が温めてくださってますし」

つまりはお互いまだここを離れない。そして双方が双方に温もりを分けている。なら―
一つにしてしまえばいいのでは?

「主、失礼致します」
「なん…わっ?!」

主を抱えて腿の上に乗せる。俺の体温は高い方ではないが、冷たい縁側にずっと座らせておくよりは良いだろう。
主は暫し抵抗していたが、やがて大人しくなった。

「寒くありませんか」
「…大丈夫だ、むしろ顔から火が出そうだ」

小柄で軽い主は腿の上に乗せても、頭が俺の胸までしか届かない。当然俺が主を見ようと思うと、視線を下げなければいけなくなり…耳が赤いのは寒さの所為か?

「何と言うか…これでは格好がつかない」
「そんな光忠のような」
「つかないが、まぁ、温かい」
「俺もです」
「…私は猫か何かか?」
「天邪鬼という点では似たようなものかと」
「言うじゃないか」
「恐縮です」

風できらきらと雪が舞う庭は美しく、俺も主もただ無言でその光景を眺めていた。

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