いっしょに

一頻り涙を流し終え、気を落ち着かせようと呼吸を繰り返していると、間近で主の鼓動を感じた。
規則正しい、穏やかな鼓動。刀だが、俺にも同じものが流れている。
落ち着く音だった。
そしてふと、俺の頭を撫でていた主の手が、いつの間にか止まっていることに気が付いた。

「主…?」
「………」

返ってきたのは静かな寝息。
ゆっくりと上体を起こし主を窺うと、面が風に煽られていた。
面の下に見えたのは、二十にかかるかどうかの、少女と娘の狭間くらいの年の子の寝顔。

主は、どこにでもいる年頃の娘達と何ら変わらない。ただ審神者としての技を持っているが故に、こうして過去防衛の戦へと従事している。
俺達を不安にさせないよう、頼れる審神者であろうとして言葉遣いを変え、全ての葛藤と懊悩を面の向こうに隠し、重責に潰されないよう笑っている。
自分が持ちうる全てを犠牲にしてでも―未来を守る為―…

そんなことに、今更気が付いた。

俺は主を起こさないようそっと抱えると、主の自室へ向かった。
いつもなら主の部屋へ入れるのは歌仙だけだが、今はどうだろうか。俺が入れなければあいつを起こしに行かなければならない。
緊張しながら障子に触れると、一瞬指先に衝撃が走るも他に変わった様子はない。以前は障子に触れようとしただけで弾かれたのだが。

主の部屋はさっぱりとしていた。
部屋の一角で棚から溢れた本が平積みにされている以外、主の私物は置かれていない。強いて言えば机の上で何かの機械が鎮座しているくらいだ。

主を寝具に横たえ、布団をかぶせる。
普段から布団好きだと豪語しているだけあって、布団をかぶせるともそもそともぐっていった。完全に無意識だろうに。
面は寝るのに邪魔かと思い外してしまったが、大丈夫だったろうか。念の為声を掛けはしたが、この分だと布団にもぐる際に外れてしまっていただろう。

静かな部屋の中、主の寝息だけが聞こえてくる。
十畳程の部屋。主の世界。主にとって唯一安らげる場所。
主を戦いに縛る俺のような者がいてはいけない場所。
そう思って去ろうとした、が。
くっ、と袖が引っ張られた。

「はせべ…」
「申し訳ありません主、起こしてしまいましたか」
「いかないで」

はら、と涙が零れる。
寝惚けているのか涙の所為か、それとも本当に熱が出たのか、主の焦点の先に俺はいない。

「主」

夢から起こさないよう、優しく呼び掛ければ、僅かに瞳が揺れた。

「はせべいかないで」
「俺はここにいますよ」
「いかないで」

ぎゅう、と強く袖を掴まれる。想いに呼応するように。
長谷部が、と弱く紡がれる。

死に、焦がれるのは
長政殿のところに行きたいのは、解った、いつか送ってあげるから
だから今は、ここにいて
この戦いが終わるまで、お前がここに厭きるまで
私と一緒に戦って
一人でいかないで
私を置いて逝かないで

どんな夢を見ているのか、はらはらと大粒の涙を流しながら。
あなたは、いったいどこの本丸でどんな俺に会ったのですか。そんなに泣く程の、何を見たのですか。
そこで何があったにせよ、“俺”の一番はあなたなのに。

「それに…その台詞は、俺のです。主」

あなた方は、俺達より早く逝く。付喪神にもあの世があるならば、今度はどうか置いて逝かないで。俺も一緒に連れて行って。
主命でなくとも共に戦いましょう。そして終わる時は一緒に――

「………んっ、ぅ」
「あぁ、起こしてしまいましたか」
「はせ…?あれ、私…」
「縁側で寝てしまわれたのでお部屋まで運ばせていただきました。勝手に入ってしまい申し訳ありません」
「…あの、はせ、近い」

頬を染めて布団にもぐる様子を愛らしく思うのは悪いことではないだろう。次郎や乱などが見たら黄色い声で騒ぎそうだ。
……いや、見せたくないが。

「あれ、お面がない」
「……」
「はせ」

あれだけ見られるのを拒否していたのだ。これは怒られるどころでは済まないだろう。
謝罪の姿勢をとろうとしたところで、先程とは逆に主に顔を引き寄せられた。
視界いっぱいの主の顔。唇が触れそうな距離。静かな吐息。僅かに潤んだ瞳。頬に感じる主の柔らかな手。俺の名を呼ぶ囁き声

「お前が面を取ったの?」
「っ…は、い」
「私、言ったと思うんだけどな。あれは私の唯一の装備だよ、外したら審神者でなくなるよ、って」
「はい…」
「お前は、審神者ではない私に、何か用だった?」
「お休みになるのに邪魔かと思い外させていただきましたが…」
「そう…うん、実はあれ着けたままでも寝られるんだよ」
「申し訳ありません」
「いや、私何も言ってなかったからね、ごめんね脅かして」

俺を解放し、遠ざかろうとする主を今度は俺が引き留めた。頬に手を添えて。

「はせ?近いよ?もう離れていいよ?」
「……お顔が赤いですね」
「そりゃあこんな近くでお前みたいに整った顔見たことないからね!?」
「先程はもっと近かったと思いますが」
「ぁぅ」
「…俺の顔は整っているのですか?」
「お前に限らず刀剣男士達は皆格好いいから…」
「俺だけではないのですか」
「近い!近いから!はせどうしたの!お前普段こんなことする奴じゃないでしょう!仕返し?!仕返しなの?!」
「それが自分でもよく解りませんが、今はなんとなくこうしていたいんです」
「……っ」

逃げるように目を逸らす主の、その流れるような首筋が視界に映る。

ほそい、しろい、くび
なめらかなはだ

するりと撫でれば、主の肩が跳ね、白い首筋に朱が差す。
その温かさに、滑らかな肌触りに、脈打つ鼓動に、安らぎを感じつつするすると撫でていると、手の下で喉が震えた。

「はせ、あの……解っているとは思うんだけど、今私人型で、はせは、男性で、あの……」
「?」
「夜這い、じゃない…よね?」
「はっ!!?!」

俺は何を?!主に、何をしていた!!?
あろうことか主に狼藉を…!?俺は…!

「あ、良かった。違うんだね。落ち着いて長谷部。どうどう」
「主、俺は、俺はあなたに…」
「だいじょうぶ、大丈夫だから落ち着いて」

大丈夫ではありません、俺はあなたに何をしていたのですか。
赤味掛かった頬も、少し乱れた襟元も、俺の所為ですか。

「大丈夫大丈夫、ちょっと首元撫でられるくらいならセーフだから」
「そこは拒んでください!!」
「だって長谷部が首フェチなのかも知れないでしょう。刀剣に首を撫でられるのは少し怖いけど、長谷部が間違いを犯さないって私信じてるからね。…だからそんなところで正座してないでもうちょっと話しやすい距離に来て欲しいかな」

上体を起こし襟元を正す主は、怒っているように見えなかった。いっそ朗らかとも言える。
ですからあなたに狼藉を働いた俺の目の前で衣服を正すのは…いやしかし乱れたままなのも…

「自覚してください、あなたは今女子なんですよ!?」
「そんなこと言ったって女性を見るのは初めてじゃないでしょ?食堂手伝いのお姉さんと整備のお姉さんがいるもの。あのお姉さん達だって綺麗だし、何なら恋の応援だってしよう!」
「主!はぐらかさないでください!!」
「顔が赤いね?長谷部」
「それはあなたが…!」
「うんうん、付喪神にも肉欲ってあるんだね。日々発見だよ」
「主!!」
「解ったって、ごめん。でもそうか、私は女の子として扱われてしまうのか、気を付けるよ」
「お願いします…」
「長谷部になら、押し倒されるくらい構わんのだけど」

もう少し慎みを持ってください、お願いします。

「さあ、もういい加減にしないと愛想尽かされちゃうね」
「誰にですか?」
「お前にだよ」
「俺があなたに愛想を尽かすなどあり得ません。…長政さまも良い主でした。ですが、一番はあなたです。あなたが望むなら、俺はいつまでも傍にいます」
「……そう、か…。ふふ、ありがとう」

今度は、良い夢を見られそう。
そう呟いて主は布団にもぐった。

「おやすみ、長谷部。風邪引かないでね」
「はい。お休みなさい、主」


あなたが生きる未来を、安寧を取り戻す為、戦いましょう。
戦いの道具である俺達が平和を勝ち得た時、それがあなたとの別れとなるのだとしても
それは、今じゃない。
いつか訪れるその時まで、俺はあなたと共に在ります。

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