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苗字の日

こんばんは。
なぜこんなにも蒸し暑いのでしょうか?
例年の秋とはこんな感じでしたでしょうか?
暑さは大丈夫なのですが、湿度に弱いタイプの人間です。


さて、本日は「苗字の日」だそうです。
1870年の9月19日に「平民苗字許可令」が太政官布告として出されたことがきっかけみたいです。

さて、歴史を紡ぐという意味で「苗字」の歴史を遡って学んでみようと思います。

※自分なりに調べて自分なりの解釈と表現で記事を書いていますが、専門家ではないので、もしかしたら間違ったことを書いてる可能性があります。興味を持ったことは自分でも調べてみましょう!
※記事の内容について専門家の方や詳しい方はコメント欄で補足してもらえると嬉しいです。みんなで記事を作り上げるイメージでいきましょう!


・苗字の歴史

1.氏と姓

苗字の元となったものは古来から存在していたみたいですが、その氏、姓は現在とは大きく違っていたようです。

現代では「氏」「姓」も同じような意味ですが、古代では違っていました。
「氏」は血縁集団で同じ仕事を担っている人。有名なのは軍事などを担当した「物部(もののべ)氏」や神事などを担当した「中臣(なかとみ)氏」ですね。社会の授業で聞いたような気がします。そういえば氏姓制度って単語もどこかで聞いたような気がしますね。

まぁつまり、天皇から「軍事しきってるお前ら一族!今日からグループ名物部な!物部と名乗れ!」みたいな感じで決められたんでしょう。たぶん。

そして「姓」というのは、いわゆる「称号」のことみたいですね。飛鳥時代あたりでは臣(おみ)、連(むらじ)、伴造(とものみやつこ)、国造(くにのみやつこ)、大化の改新で身分制度を整理するために新たに真人(まひと)、朝臣(あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)と八色の姓(やくさのかばね)という8種類が与えられその中で順位を決めていたそうです。
なんか呪術廻戦で聞いたような響もいくつかありますね。

つまり、同じミズノの野球道具でも
ミズノプロ→グローバルエリート→セレクトナイン→ヴィクトリーステージ→ビューリーグ→ワールドウィン
みたいに順位があるみたいな感じですかね。
ほーなるほど(?)

まあ要するに「氏」は血縁集団のことで「姓」は称号順位のことで
別のものだったってことがわかればひとまず良さそうです。

2.苗字の始まり

さて、太古の昔から始まった氏と姓ですが、奈良時代後半には徐々にその形を変えていったようです。

先述の八色の姓、せっかく身分制度を整理するために導入したのに、功績を上げた臣下たちに朝臣(八色の姓の中で2番目)を与えまくった結果朝臣だらけになって意味をなさなくなったみたいです。

余談ですが、以前勤めていた職場が従事年数で自動的に主任に昇進できるシステムだったので職場が主任だらけになったことがありました。
結果、師長1人、主任たくさん、平看護師ちょっと、みたいな奇妙な病棟もありました。管理職とはそんな感じでいいのでしょうか?

時代が変わっても日本人は同じようなことを繰り返しているんですかね?

さて、話が横道にそれてしまいましたが詰まるところ順位を決めていた姓で第2位の朝臣が増えすぎたので、どいつもこいつも「氏」ではなく「姓」を名乗るようになって意味をなさなくなってしまったわけですね。

そりゃそうです。氏はただのグループ名で姓は地位(順位)を表すわけですから。ただ「俺朝臣って言うんだ!へぇあんたも朝臣って言うんだ」状態になってしまったわけで、もはや順位も曖昧になってしまったんでしょうね。


そして平安時代にいよいよ苗字の始まりを迎えるわけです。

平安時代の主な氏(グループ)は源平藤橘がほとんどを占めていました。そしてその4グループとも姓(称号順位)は朝臣だったわけです。

とりわけ勢いを強めたのは藤の字、「藤原氏」でした。
そしてその藤原グループ、アホみたいに増えてしまい区別がつきにくくなってしまったので、当時の京都のどこの街に住んでいたかで区別されて呼ばれるようになりました。
「近衛の藤原さん!九条の藤原さんが呼んでたよ!」みたいな感じですかね。

そのうちそれぞれの藤原さんたちが近衛だの九条だの鷹司だので自らを名乗り始め、これが「公家」の苗字の始まりになったそうです。

さて、今度は「武家」となるとその成り立ちはちょっと違うようで、武家はもともと荘園の領主(開墾した土地、まぁ村くらいに思ってくれていいんではないかと思います)自分の土地名を明確にするために名乗ったのが始まりのようです。

こちらは公家の成り立ちより幾分想像しやすいような気もしますね。

例えば執権北条氏は伊豆にあった北条荘(北条郷)と言うところが出自ですし、千葉氏も同様であるようです。

ちなみにこの時代にはまだ農民も同様に苗字を名乗ってよかった時代でした。

3.武家社会の台頭と苗字

さて、平安時代が過ぎ鎌倉時代になると武家社会となります。
苗字は武家や公家の特別な物として扱われ、鎌倉時代に農民は苗字を名乗ることを禁止されてしまいました。

しかし、武で武を弾圧する時代は武士同士の戦いだけではなく、農民からの一揆や下剋上が行われるようになり、農民が武家や公家に影響を及ぼすようになると、農民に苗字を与える武家も出てくるようになりました。

そうした戦乱の世は次第に幕府の力を弱めることになりさらに戦乱は混迷を深めていくことになるのです。

安土桃山時代になると一転、天下統一を果たした秀吉から徐々に幕府の力が強くなり、苗字もさらに特権階級のものとなっていきました。

特に秀吉により勧められた兵農分離も大きく影響したようです。

江戸時代になると、苗字はパスポートのような扱いとなります(ざっくり言うとですが)。つまり苗字が非常に力を持つようになり、さらに武士や上級の商人農民を除いての一般人は苗字を持つことが禁止されてしまいます。

太閤立志伝Ⅴでも、名声を高めて城を訪れレバ、「お前何やつだ!」と聞かれても名を名乗れば城に入れてもらえるようになりますよね。苗字がパスポート、名刺がわり、まぁそう言うことなんでしょう。

ただ、名乗ることが禁止されていただけで苗字を持つことは別によかったみたいで、よく〇〇屋と言うのを時代劇で見かけると思いますが、そうして屋号に使ったり平民は平民でうまいように使いこなしていたようですね。

4.明治維新、平民も苗字を持つじだいに

さて、江戸時代も終わり明治になってすぐの1870年(明治3年)、ここで冒頭の「平民苗字許可令」が太政官布告として出されるわけです。
戸籍整理のために布告されたみたいですが、今まで戸籍を名乗らなかった平民は明治新政府のことを信用できず(税金をもっとかけられると思ったとか)、苗字を名乗ることがなかなか広がらなかったそうです。

そのため1875年(明治8年)、「平民苗字必称義務令」が出され平民も必ず苗字を名乗らないと行けなくなってしまいました。
日本人は強制的に決められないと動けない民族なのでしょうか…
なんかマイナンバーカードで意見がわかれている現代とさして変わりないですね。
時代は繰り返す。

ちなみに冒頭で話した「氏」と「姓」は明治4年の法律で名乗ることを禁止されました。
明治に入って8年、長く続いた苗字の歴史はガラッと変わることになり、現代に受け継がれることになったのです。


まとめ

1000文字程度で終わるつもりが3000文字も書いてしまいました。

なんとなく頭で理解していた苗字の歴史も調べてみるとなかなか奥が深いものです。

苗字の歴史も面白いですが、自分のルーツも知ってみたいところですね。
ちなみに私の母方の家系はとある将軍につながっているという伝説がありますが、実に平民の家系なのであんまり信じていません。

それでは呼んでくれた方もここまでなんとなくすっ飛ばした方もありがとうございました。



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