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御師という存在

お久しぶりです、歴魂です。前回は、私が卒業論文で扱おうとした中世武家官位についてふれさせていただきましたが、今回は最近私が読んで本ですこし興味をもって調べて御師について書かせていただきたいと思います。

そもそも御師とは?

そもそも御師とは、御祈祷師を略したものとなります。彼らは、特定の寺院に所属し、その神社の参拝を促したり、御札を売るなどをする宗教者になります。その中でも熊野御師や伊勢神宮の恩師が有名であります。発音については、伊勢神宮所属の御師は「おんし」、それ以外は「おし」と発音します。辞書なので調べる場合は、「おし」の方が引きやすいと思います。

御師の発生要因

御師が、発生するようになったのは律令制が崩壊の兆しが見えだした平安中期〜平安末期になると考えられます。それは、律令制がしっかりと働いている際には伊勢神宮を含めた大規模神社の場合は、朝廷がまる抱えしている状況でありましたので経済的な心配をする必要はありませんでした。しかし、平安末期になり律令制が崩壊してくると状況が代わり、大規模神社であっても自力の経済基盤を持つ必要性が迫られてきました。そこで誕生したのが、神領であったり神宮領であります。そして、共に誕生したのが御師であります。しかし、この時期の御師はいうなれば「中世御師」であります。参拝を促したりするのではなく、祈祷を起こったり土地の寄進を求めるというのが、大きな役割となりました。

近世御師

近世に入りますと御師の姿にも大きな変化が現れます。それは、神社への参詣を勧めるということが仕事に加わったのです。辞書で調べた場合には、前時代の御師がこの勧進を行っていたかのように書かれる場合がありますが、それを行いだしたのは近世に入ってからなのでこれを「近世御師」と呼べると思います。これらが、みなさんが想像される御師の姿です。彼らの働きにより、伊勢詣などが流行となり今のおかげ横丁のような観光施設や宿場町が伊勢内宮付近に形成されるようになります。                                    さて、ここで忘れていけないのが神社の特性の変化です。古代・中世における神社は、多くの人々が参詣するのを好まないという特性がありました。伊勢神宮では、皇族や天皇、貴族などが参拝する場所でありました。しかし、近世に入ると民衆に開かれたものへと変化します。この原因については、私の中で理解ができないいないので結果だけを書かせてもらいます。

問題点

 私は、御師を調べる上で御師に関する展示のある博物館を訪ねた際に、伊勢神宮の恩師がどの地域をどれくらいの人数の恩師が訪れたかというパネルがありました。そのなかで、江戸には多くの御師が訪れた事が書かれていて他の地域を見た場合も、ある程度の数の恩師が訪れているので東北地方を訪れている数が極端に少ない事がわかりました。私は、疑問に思い私の大学の御師を研究されている先生に質問をしてみたところ非常にわかりやすい答えが帰って来ました。東北地方には各地から御師が派遣されているので、一つの神社からみた場合御師の数が少なく見えるというものでした。                            ここで、私が学習したことは一つの物事を狭い目線で見てはいけない、広い目線で見なけれべならないというものでした。このように、狭い目線に陥ってしまうことは研究をする上で障壁となりうるので気をつけなればならないと思った。 

参考文献                                 神国日本   佐藤弘夫 ちくま新書                    国史大辞典  吉川弘文館

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