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『人を動かす凄さと自分の雑魚さ』

お疲れ様です。
感動するおっさんこと密かなトイガン生活です。

ただいま午前1時。
なぜこんな時間に記事を書いているのかというと
心の動きには「鮮度」があると考えているからです。

そう、まさに今鮮度ピチピチの心の動きがあったのでとにかく文字にしようと目が血走りながらPCに向かっている33才。

「げぇ…やっぱりすげぇ…」
そんなことを思わせていただくようなイベントが先ほどありました。

一体何がそんなにすごいのかと申しますと。
『赤の他人を動かせる人』

僕もなんとなく昔から声が大きい方ですし、
それなりにいつも目立ってしまうポジションについてしまう傾向がある。
(たまに「頭がおかしいんじゃ…」という言動をしてしまうことが原因かも)
なのでコミュニティの立ち位置としては、平均と比べ少しばかりではありますが影響力が高めに分類されることが多いです。

ですが。
前回の記事で「選挙のお手伝いをさせていただくこととなった」というお話をしたのですが、開票日が本日(さっき)だったわけです。

結果は当選。
かなり激選区であったこともあり、最初から安心して祝杯ムードのような空気感は流れてはおらず。
「もしもの場合があるかもしれない…」と少し緊張感が漂う事務所内。

その時。
「出た!!…当選!!!!!」
ここ数週間共に戦ってきた仲間の一人が声をあげた瞬間。

「「おめでとうーー!!!」」
候補者が席を立ち深々と戦友に対して頭を下げる。
一抹の不安を抱えた関係者たちの表情はみるみる明るくなり、事務所内は大きな拍手で溢れかえった。

もちろん僕自身もわずかな時間ではあるが「当選」という一つの目標に向かい汗水を流した一員。
安心感と共に仲間と目標を達成できた喜びがこみ上げ市民に選ばれた代表へと大きな拍手を送ることになりました。

当選の挨拶、応援議員からの祝福の言葉。初めて目の当たりにする「万歳三唱」。
そのどれもが記憶に残る映像で、家族のと時間、睡眠時間や動画編集時間を切り詰めてきた行動選択が全て報われるような光景でした。

まぁお話したいのは「感動した」とか「あなたも選挙に関わりましょう!」などといったことではない。

当選された候補の「凄さ」。
ここにフォーカスを当ててお話を進めてみる。

「すごい」と思えることはもちろんたくさんあるのだが、
改めて「これほんとすげぇよな…」と思ったのは『投票数』。

その数は数千を越え、明らかにただの「一般人」は得ることはできない。
すごく優秀な人間であっても『数千』と言う赤の他人を動かすのは、「本人の努力結晶」の一言だけで済ませるのにはあまりに雑。

僕も会社へ勤めながらYouTubeという名のプラットフォームで情報を発信している。
もちろん今のYouTube界隈で成果を出そうとしても、それが「容易」ではないと言うことも自覚がある。

ただ選挙に至っては、
・休日の日に「選挙に出かける」と言う理由のみでの行動変容が必要
・数多くの市民に「認知」してもらうことが必要
・1人一票の選挙権を他を差し置いて「自分に捧げていただく」といった行動変容が必要

選挙に出かけたことがある人なら理解していただけると思いますが(行ったことのない人ならなおさら共感できる)、
「行かなきゃいけないのはわかっているけど…」
もちろん頭の中では理解しているのだが、
いまいち「一票の重み」を肌で理解ができない僕たちは「選挙の為に外出する」といったことでもかなりのハードルを感じてしまう。
(年齢によるものもあるかも知れないが)

次に選挙会場内の独特の雰囲気に飲み込まれ
「この一票をどう使用するのか」の選択肢に迫られる。
選挙に来たと言うことはもう投票先は決まっているはずなのに、ズラリと並ぶ候補者の名前を再度確認することになるのではないでしょうか。

名前を記入する時、改めてこの後の数年の自分を想像することになり
「本当にこれでいいのか?」といった自問自答が湧き上がる。

そして自分の未来のために一名の候補者の名前を選択する。

選挙会場を後にした時は何故だか少しすっきりとした気持ちにはなるものの、
これだけ多くのハードルを乗り越え、数千の投票数を獲得し『当選』する。(無所属であるなら尚更)

「めちゃくちゃすごくね?」
改めて考えると素直にそう思ってしまう。

それに比べてYouTubeという
「いつでも手軽に」「本人の快楽の為」「費用なし」で『動画を見る』といったことがどれほど容易であるか。

「一本の動画が100万回再生を超えた!」
「登録者が万人を超過した!」など、
そんなことで喜んでいてはいけないのである。

「人を動かすことの凄さ」と「己の雑魚さ」を改めて痛感した1日でした。

密かなトイガン生活


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