1→0をやるのに向いた人
これまでキャリアの中でやってきたことを振りかえるなかで、「1→0をよくやったなあ」とふと思った。
「0→1」ではない。「1→0」である。書き間違いではない。
「1→0」とは、0から1を作ったものの、1が花開かず、そのまま1で留まったサービスを終了させる、ということである。
1で留まるものには以下の特徴がある。
・仮説構築が粗く、後になるとなにを検証したかったのかすら不明。
・その仮説がどこまで達成されたかはともかく、担当が外れる。にもかかわらず、なんらかの理由でサービスを終了させることはない。
・よって実質的に担当がいない状態で放置される。
・放置されているため、存在すらほとんど知られていない。
・にもかかわらず、特定の人はなんらかのタスクを抱えており、不満を持ち気味。
という状態である。
あるだけで誰かの時間がとられているので、実質マイナス状態だが、マイナスなだけに誰も積極的にそのタスクを取ろうとしない、というのが現実だ。
そんな1→0の仕事をまとめるとこんな感じになる。
1→0の特徴
・誰からも評価されない
・楽しくない
そう、全くいい要素はない。
そもそもマイナスなものを0に戻すだけなので評価など全くされない。
(だから放置されるのだ。)
もともと誰からも知られていないので、それをやったとしても「ああそうなんだ」で終わる。
よって誰からも評価されることはない。
にもかかわらず、時間は多少なりともとられるので、評価を得るためにはやるべきではない仕事である。
しかも、その仕事に生産的な要素はなにもないので、それをやったことで成長することもない。
そういう環境でやり切れるか、というところである。
1→0に向いた人
では、僕が思う、1→0をやるのに向いた人とはどういう人だろうか?それは・・・
・全く面白くない仕事に面白く取り組める人
もしくは、
・全く面白くない仕事になんらかのモチベーションを注げる人
だと思う。
たとえば、僕のケースでは、「サービス終了のお知らせ」を書くことに拘った。そして、他のサービスで終了のお知らせが出るときには必ず読みこむようになった。
サービス終了のお知らせには、なんらかの意図や考えがにじみ出ている場合があるからだ。(正確には、それが全く出ていない機械的な文章もあるのだが、それはそれで意図である。)
そこからそのサービスの社内での位置づけとかを色々想像するようになった。もちろん答え合わせはできないのだが、そういう想像をすることで色々鍛えられたこともある。
また、自分が書くサービス終了文にもきちんと意図を込めるようになった。
最後に個人的な意見だが、プロダクトがうまく成長しないことはありうることで、サービスを閉じるのも仕方ないことだ。
もし失敗していても誰からも責められないが、0→1を作った人が0に戻すのが責任の取り方だろうと思う。
ただ、それを押し付けるつもりはない。「あーやらないんだなぁ」と思うだけだ。それを重荷に感じることで「0→1」の推進力が落ちるのは本望ではない。
ただ、それをしないときに、誰もやりたがらないことをやろうとする人が多少評価されたらいいのではないかな、と思ったりする。ある意味、やりたくないことをやりきれるのも才能である。みんながやりたいことをやっていてはダメなこともある。
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