承認要求があるのが人間
誰でも認められたいし。価値ある存在と思いたいに決まっている。人間だから。
承認要求と、確認しないといけないこと、とは別です。
仕事を進める上で、関係各所に状況を確認する(報告、連絡、相談)行動は、承認要を満たすというより、無事故で仕事を終えるという責任ある行動であり、その行動状態では承認要求がどうかという次元の言葉は薄まりもうどうでもよくなっていると思う。
承認要求、と、ありがとう、と、ごめんなさい、との言葉の関係について考えると。
ありがとう、という言葉を言われた側は、「よし」、「はいはい。」、「もっと言って。」、「はーい。」、「そんなに喜んでくれるなら。これもついでにしてあげるか。」とか、言われた側がやる気を出す言葉だと思う。言った側は、思いを伝えれてよかった、と思え、相手への信頼が残る。
ごめんなさい、という言葉を言われた側は、「しょーがねーなー。」、「やっと問題に気付いてくれたのかな?。」、「次から頼む。」、と思うことができる。言った側は、捲土重来を決意するか、あきらめるか、いったん間を置くか、ともかく言った側も一歩前進できる。
ここまで考えて、ありがとう、も、ごめんなさいも、思いを伝える言葉であって、承認要求を満たす満たさないに直接影響はないと思った。
自分が価値ある存在と思いたい=承認要求を満たしたい、ということであれば、人に喜んでもらえるよう努力するのがよいと思う。楽して人に喜んでもらうことはきっとできないと思うが、手間暇かけてでも人の喜ぶところを見るのは割と楽しいものだ。
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