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音楽家視点で見るOrdinals NFTの面白さ

ビットコインのNFT・Ordinalsが話題になっている一方で、「なぜわざわざOrdinalsで作品を出すのか」と疑問視する声もちらほら耳に入ってきます。

私としても、自分のOrdinals作品の「意図」や「意味」が誤解されるのは本意ではありませんので、この機会になぜ私がOrdinalsを面白いと感じているのか、その理由を音楽家ならではの視点から説明させていただきたいと思います。

私がOrdinalsに興味を持ったのは今年の2月末であり、初めて作品を刻んだのは2023/3/7でした。この段階で「Ordinals、面白い!」と思ったので始めたわけですが、それは主に2つの理由があります。(もちろん、新しい技術であることや、フルオンチェーンであることも魅力的に感じましたが、それについては多くの方々が言及しているので割愛します)

1. 「制約芸術」として音楽を創る面白さ

現状ガス代のことを考えると、Ordinals作品に許されるデータ容量は非常に限られたものです。

音楽作品の場合、(音質の妥協度にもよりますが)どんなに頑張っても30秒くらいが限界だと思います。

これは明らかに現代の音楽作品としては致命的で、ちょっとした曲を作ることさえできません。(尺が足りなさすぎる!)

この制約の中で無理やり作品を作っても、「無理して色々と妥協した音楽」になってしまう危険性をはらんでいます。

しかし、ピクセルアート然り、芸術は常に制約の中で進化するものです。

私はOrdinalsの存在を知った時、この制約を逆手に取る表現方法はないかと考えました。

そして、すぐに思いついたのが「和歌」でした。

5・7・5・7・7の計たった31文字の中で、情景や心情を巧みに詠む、日本を代表する制約芸術です。

そして、私が演奏する箏(琴)という楽器は、和歌が詠まれた時代、和歌と共に同じ時代を生きた存在です。(和楽器の演奏は、和歌と同じく平安貴族のたしなみとされていました)

「和歌」というモチーフと、私の専門分野である和楽器との芸術的親和性はこの上なく高い。

この和歌の考え方やコンセプトを音楽に転用し、新しいスタイルの作品を作ることはできないだろうか?

そうしてできたのが、「100 Music Waka Poems - 音楽和歌」というコレクションです。

このコレクションは、和楽器を用いて百人一首に収録された和歌を表現しています。

百人一首には、天智天皇の歌から順徳院の歌まで100首があり、それぞれに和歌番号が付けられています。

この和歌番号に対応する100の音楽作品(=音楽和歌)を制作したものです。

実際にやってみて感じたのですが、たった数十秒足らずで何かを表現したり、展開を作ることは想像以上に難しいことでした。

古の歌人が直面したであろう悩みを、現代人である私も体験することができたと思うと、とてもワクワクします。

現代はテクノロジーの進歩により、さまざまなものが民主化されたとよく言われますが、音楽制作も例外ではありません。

誰もがコンピュータ1つで本格的な音楽を作れるようになりました。たとえば、オーケストラの楽団を雇う必要もなく、コンピュータの中で本格的なオーケストラ作品を作ることができます。

さまざまな制約が次々とテクノロジーによって取り払われ、音楽制作は非常に自由なものになりました。

そんな中で、突如として21世紀の今「とてつもなく制約のある音楽」が生まれました。

尺は長くても数十秒が限界であり、音質もあまり良くない音楽。

現代人の一般的な感覚からすれば、「品質の低い」「出来損ないの」音楽と思われるかもしれません。

しかし、OrdinalsのNFT作品という文脈では、これは立派な作品として成立します。

もしOrdinalsが存在しなければ、このような表現手法を思いつき、制作することは絶対にありませんでした。

歴史的に芸術は、メディアや技術の進歩や制約に大きな影響を受けて発展してきましたが、これもその一環と捉えることができるでしょう。

Ordinalsが潜在的に抱える「制約の問題」が、新しい表現を生み出したのです。

2. 音楽の原始化

2023年6月現在、Ordinalsで音楽NFTを作ると、添付画像のような感じになります。

ジャケット画像はもちろんのこと、曲名すらなく、あるのはInscription番号とオーディオファイルだけ。

※一応、Magic EdenやOrdinalsWalletでは、テキスト情報をメタデータとして運営に送ることで、オフチェーンではありますが曲名を設定することができます。(Magic Edenではオフチェーンの画像をサムネイルのように紐づける機能があるようですが、調査中です。)

全ての音楽に洒落たタイトルがついているのが当たり前の私たちにとっては、あまりに味気なく見えるかもしれません。

しかし、歴史を遡れば、音楽が番号で呼ばれるのは特に驚くようなことではありません。

わかりやすい例としては、西洋のクラシック音楽です。

「交響曲第5番」「ピアノソナタ第14番」など、そのネーミングは非常に機械的で、多くの場合作曲された順番で番号が振られていきます。(*例外あり)

これはまさに、Inscribeされた順に作品に番号が与えられる現在の状況に非常によく似ています。

今日に至るまで進化を続けてきた音楽ですが、21世紀の今になって、音楽は予期せぬ形で「この上なく原始的な形」に逆戻りしました。

現代では、どんなプラットフォームも「タイトルのない音楽」なんて受け入れてくれませんが、Ordinalsはそれを許容してくれます。(むしろ、それしか認めてくれない!)

私たちは、わかりやすいタイトルや歌詞の内容によって、その音楽の「正解の解釈」を懇切丁寧に説明されることに慣れ切っています。

しかし、Ordinalsはそんな時代に、「音楽の解釈って、本来自由じゃなかったっけ?」という疑問を投げかけてくれる存在になる可能性を秘めていると私は考えています。

ただし、現在の状況はそういった芸術的な目的で作られたわけではありません。

シンプルに音楽NFTをOrdinalsで作成する人がまだほとんどいないため、後回しにされているだけです。

もしもっと多くの音楽NFTのプレイヤーが参入すれば、このような一般受けしない仕様は改変されてしまうでしょう。(イーサリアムのNFTで、音楽データにサムネイル画像を簡単に設定できるように)

したがって、この状況がいつまで続くかはわかりませんが、少なくとも現時点では非常に面白い状況にあると思っています。

現時点では「音楽の原始化」を利用した作品はまだ出していませんが、もし良い表現方法が思いついたら、ぜひ挑戦してみたいです。

以上、音楽家である私がOrdinals NFTに興味を持っている理由でした!


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