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菜々さんと出会って人生が変わった話

本日5月15日は『アイドルマスターシンデレラガールズ』に属するアイドルであり、私の担当の安部菜々さんの誕生日である。
誕生日おめでとう、菜々さん。
今年も貴女の昇る階段の先を側で見守らせてください。

こんなめでたい日に自分語りになって大変申し訳ないが、2023年は私にとって非常に大きな転機だったので、少しだけ雑談に付き合ってほしい。

私が彼女の担当プロデューサーになって3年が経つ。
3年前、当時大学1年生だった私は有体に言えばクソガキだった。
何をやらせても中途半端な結果しか出ないせいで明確にやりたいことも見つからず、かといって勉強や部活に集中するでもなく、ただ流されるまま受験勉強に挑み、大した努力もせずに受かった大学を蹴って浪人した挙句翌年結局その大学しか受からず、入学後も与えられた課題をだらだらとこなすだけ。
そんなまぁどこの大学にも1割はいるクソみたいな大学生だった。

今でも正確に日付を覚えている。
2020年1月28日のことだ。
期末試験の勉強に飽きて巡回していたTwitterのタイムラインには、偶然にもフォロワーにPが多かったためアイマスの話題やイラストが定期的に流れていた。
当時はアイドルたちの名前も知らなかったが、コメディが好きな私はその中でギャグ要員として扱われることが多かった菜々さんにふと興味を持った。
暇つぶしにpixiv百科事典でも見るか。
そう思ってなんとなくプロフィールやキャラ設定、エピソードなどを読み進めていった先に、それはあった。

第7回シンデレラガールズ総選挙の顛末である。

衝撃だった。
仮にもオタクを名乗る一人として『推し』というのがどれだけ大きいものなのかは知っている。
公式からの供給は1年365日毎分毎秒欲しているし、推しのことなら意見も要望も山のように出るし、時には他のキャラの出番に嫉妬すらする。
まして人気投票という、コンテンツ内で推しがどれだけ好かれているかが明確な数字として出る場ならば、少しでも良く見えるように己のあらゆるリソースを捧げるものだ。
と、思っていた。
ところが第7回シンデレラガールズ総選挙は少し違った。

第7回だから菜々さんをシンデレラガールにしよう。

どこからか生まれたそんな流れが、ファンはもちろん普段他のキャラクターを推している人々までをも動かし、団結させ、行動させ、そして確かな結果へと繋がっていた。
当たり前だが何万という人の心を動かすというのはそう簡単なことではない。
彼らが行動に移したのは、ひとえに安部菜々というキャラクターがそれだけ「応援したい」と思わせるだけの魅力を持っていたからだろう。
前向きでひたむきで、おっちょこちょいだけど頑張り屋で、人の心に真剣に寄り添うからすぐ泣くしよく笑う。
幼いころから夢見ていたアイドルになるため努力し、しかし運に恵まれず何度も挫折して、それでもなお折れることなく笑顔でステージに挑み続ける。
そんな彼女だったからこそ人々は心動かし、憧れ、想いを託したのだろう。
今記録を振り返っている自分と同じように。

こんな風になりたいと思った。
同時にこんな風にはなれないとも思った。
当時色々なことに手を出しては努力が面倒で萎えてを繰り返していた私にとって、その背中はあまりに眩しすぎた。
けれど、生き方を決めるには十分な輝きだった。

菜々さんのような人を支える人間になろう。
真面目に生きている人間がきちんと報われる世界を作ろうと思った。
目指すものがない俺は彼ら彼女らの踏み台でいい。
手元に残った器用貧乏を極めて、最高の踏み台になってやる。
そう決めた。

あ、あとデレステもダウンロードした。

そこからはとにかく色んなことにチャレンジした。
趣味のイベントを開いたり、変なバイトを体験してみたり、できる経験は全部して作れる人脈は片っ端から繋いでいった。
いつか自分が支える人が壁に直面したとき、少しでも乗り越える手助けになれるように、と。
その後大学を無事卒業し、予定通り人を支える仕事につき、そこで一日14時間労働をしたり等紆余曲折あって、そして今年。

ついに縁あってアイドルマスター シンデレラガールズに直接関わる仕事に就くことができた。
本当に感無量だった。
アイマスは人生とはよく言ったものだけれど、あの日の出会いは間違いなく私の人生を変えている。
少なくとも菜々さんがいなければ今の仕事はしていない。
きっと私にとってのメモリアルコミュ1はあそこだったのだ。

推しならデレマスはもちろん他のコンテンツにもいる。
シャニマスなら黛冬優子が好きだ。
ウマ娘ならキングヘイローが好きだ。
二人とも何度挫折しても、周りになんと言われようとも決して折れずに目標に向かって進み続けるところが好きだ。
もしかしたら先に出会っていたら私は彼女らの担当になっていたかもしれない。
けれど、私があの時巡り合ったのは他の誰でもない『菜々さん』だったのだ。
元・Berryz工房のももちこと嗣永桃子さんのファンを務めていたとあるノルウェー人兄貴が残した名言がある。

「ももちを超えるアイドルは見つからないかもしれない。でも見つからなくてもいいんだ。アイドルは探すものじゃなくて向こうからやってくるものだから。僕の場合はそれが『ももち』だったんだ」

「Youは何しに日本へ?」より

菜々さん、出会ってくれて本当にありがとう。
10年後もその先も、私は舞台袖から貴女のステージを支え続けます。

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