見出し画像

海の愛ことば

加賀にいた頃、よく海を見に行きました。
尼御前岬と塩屋海岸です。
どちらもわたしの家から20~25分くらい車で走れば着きました。
石川県は、南が加賀地方、真ん中に金沢、北が能登地方に分けられています。わたしは加賀市という、加賀地方でも南西の端、福井県との県境の町に暮らしていました。
尼御前は、崖から海を見下ろします。悠然としていて、吸いこまれそうな景色です。
わたしは朝陽が昇る頃行くのが好きで、あたりが赤く染まり、空はなおのこと赤い、そんな明け方の、濃淡にとんだ赤の混ざり具合をしんと鎮まっていく心で見ていました。
赤い光はすぐに、黄色く白く褪めていき、昼が始まっていきます。
海は青く、穏やかな顔を見せてくれます。白い波がしらがちらちらと揺れています。

日本海といってもいつも荒れているわけではありません。でも時化のときに海に近寄ることはできません。そんな無謀な真似をしてはいけません。
時化の海は荒れ狂い、灰色でくねってたたたきつけ、なにもかもを拒絶するかのようです。そんな海はおそろしく、自分の立っている地面さえ、揺らぐようなのでした。
けれど、そうでないときの海は、親しげであり、わたしを内側から穏やかで強い芯のある者にしてくれる気がするのでした。
塩屋海岸は子どもの頃、よく海水浴に訪れました。今では、あの頃の面影はなく、すっかり寂れてしまっているのですが。

わたしは塩屋には貝がらを拾いに行きました。
砂浜には、貝がらが豊富で、あさりのような貝がらから、真っ白い貝、巻貝など、いろいろな貝がらが拾えました。貝がらは深い海を旅してきた旅人です。遠い物語が聴けそうで、わたしはそれらをそっと持ち帰るのです。
ときには、サンダルを脱いで水際で遊ぶこともあります。波の寄せ返しと戯れるのです。
けっして、きれいな海ではありません。
海の色も緑に灰色を混ぜたような、明るくはない色です。それでもわたしには故郷のかけがえのない海でした。
 40代で、わたしは札幌に住む人と結婚することになり、北海道へ移住することになりました。そのとき、海にお別れに行きました。
 尼御前岬です。

「わたしは遠く行くけど、あんたのことは忘れんさかい。覚えとるし、また帰ってくるしんね。さようなら、じゃねえよ。覚えとるんなら、あんたはわたしのなかにおるんやし、ずっといっしょやよ」

――元気で行ってきね。だんなさんと仲ようらにして。どうもないわいね。どこ行っても海はつながっとるんやし、また会えるわいね。なあも変わらんし。わてはここで待っとってあげるさかい行ってきね。ほうや、なあも離れるんじゃねえがやしんね。

わたしは海からのメッセージとともに札幌に来ました。
心が揺らぐとき、あの海を思い出します。
海は待っていてくれているはずです。いまも。これからも。ずっと。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?