『国境の二人』 園山俊二

  園山俊二さんがなくなって、もう四年にもなるんですね。月日の立つのは、本当に早いものです。
 ある日の新聞で園山俊二さんの『国境の二人』の復刊を知り、書店に取り寄せを依頼したのはワイフでした。彼がまだ二十九才のとき、後に妻となる園山宏子さんにプロポーズ用? として創り上げた、幻の自費出版本です。混沌のかなたに一筋の光明を見いだしかけているかのような、彼の青春の記念碑。ファンには垂涎の一冊ですね。
 ぼくのように、かなり後になってから園山ファンになった人間には、ちょっと意外な側面も窺える園山作品です。ウィットに富んだ、新聞のヒトコマ漫画のようにもみえます。でも、本質は変わりません。彼はけっして人間を冷笑できる人ではありませんから。
 例えばこんな作品があります。大雪の朝、国境の鉄条網が雪に埋もれてみえなくなってしまう。国境を守る兵士達は、拠り所を失って右往左往。深い雪を掘り下げてようやく鉄条網を見出し、雪の穴の下に掘り出された鉄条網の両側に立って任務をまっとうするのです。
 雪は西も東も区別なく降る。区別するのは人間なんです。それも、ムリヤリ。前線の兵士達はそのアホらしさを体で知っているはずなのに、その自然な思いより兵士としての自覚が先にたつのか、つい守るべき国境を発掘し、守るものもない雪原の歩哨に立ってしまう。人間の愚かさを痛感させるけど、それでも手厳しい批判やあざけりを感じさせないのが、園山流。オレだっておんなじレベルの人間なんだよ……との思いが、彼にはあるんじゃないんでしょうか。
 園山俊二さんの暖かさと言うのは、決して自分を高みにおかないところからくる、暖かさなのです。(1997.2.11)

 ※ 園山俊二『国境の二人』、朝日新聞社

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