松永天馬の言葉に出会ってしまった~わたしの水玉自伝~

初めて行ったアーバンギャルドのライブは、中野サンプラザだ。ほんの二年前のこと。この水玉自伝の中では、数ページ分に過ぎない。サンプラザの後方の客席で、血の丸の旗が赤くきれいに波打つのを見ていた。アーバンギャルドと松永天馬に何故もっと早く出会わなかったのだろう。
出会わなかった時間を埋める為に、自伝を読み始めた。

青春と呼ばないでと題された序章、「プリント・クラブ」という写真シール機について。文学的にとても的確に説明されている。松永天馬の目を通すとあの機械がこう見えていたのか、面白い。そして、同世代の少女たちを鼻で笑いはしなかったけれど、昔の音楽や映画を漁りという箇所で「あ、同じだ」と思った。
中高生時代を、日本の真ん中あたりの地方都市から少し離れた郊外で、簡単に言えば田舎で過ごした。岩井俊二監督の「リリイ・シュシュのすべて」に出てくるような田園風景しかなかった。
それでも、出来うる限りの映画を見たり音楽を聴いたりしていた。家の近所に中古のCD、レコード、雑誌、漫画を売ってる、田舎にしては品揃えがいい、小さい「まんだらけ」のようで、お店の前には瓶コーラの自販機があったり(コーラ税込70円、良心的)雑貨や古着もあったり「ヴィレヴァン」みたいな少し変わったお店に通ったり、バイトは禁止だけれど、学校には隠れてビデオレンタル屋でバイトをしたりしながら。

天馬さんが東京を離れて京都に行くのとは逆に、田舎の持つどんよりした重い空気から離れたくて、まず大阪に出て、その後に東京へ行った。
大阪にいた頃に出会った人で、ちょっとした映像制作を教えてくれた先生みたいな存在の人がいるのだが、その人が「お前はサブカルが足りないんだよ」と言い(もっと勉強しろよという意味だったと思うが、未だに思い出すと笑ってしまう)映画・音楽・本・写真いろいろと教えてくれた、、、、その中に「お前、この映画好きやと思うで」と教えてくれた一本に島田角栄監督の映画があった。

今思えば、何年後かにアーバンギャルドに出会うきっかけはここだったのかと思う。最初に初めて行ったアーバンギャルドのライブは中野サンプラザと書いたが、その前に松永天馬に出会っていた。
島田角栄監督が撮っている新しい映画の主演が天馬さんで、とても気になり始めたところに名古屋のNHKカルチャーセンターで「言葉の世界」という講座があるのを知って、迂闊にもほとんど何も知らない状態で講座を聴講しに行ってしまったのだった。
講座の当日、20階ほどにあった教室に向かう途中、エレベーターを降りた瞬間にトイレから出て来た黒いスーツの人が前を横切って、何故か廊下を直角に曲がっていったのを見て「あっ、松永天馬!この人か、、、」と思ったのが天馬さんとのファーストコンタクトなのだが、言葉の世界なんていうタイトルの詩の朗読の教室にこんなに人が来るのかと驚いた。50人以上いただろうか満席だった。
そこで初めて天馬さんの朗読する詩を聞いた。詩のボクシングのように「キノコ」と「猫」をテーマにして即興で詩を詠み、黒猫が絶望に溶けていったという内容だったと記憶している。ほかにも、高校の同級生が書いたという詩を朗読し、高校生がこんな詩を書くのかと思ったと同時に高校生にしか書けないだろうなとも思った。
「完全に作品がテキストになってしまっているものよりも、自分の肉体を通過しているものの方が、結果的に上手くいくことが多い」と自伝の中でも天馬さんが語っていたが、まさにその通りで、松永天馬の肉体を通って発せられた声による詩(言葉)に初めて「あっ」とひっかかる何かを感じた。

この日以降、わたしは松永天馬の言葉をアーバンギャルドの歌詞を歌を
追いかけている気がする。
自伝の中で、天馬さんが「言葉のナイフを突き刺してきたのに」と語る箇所がある。確かにアーバンギャルドの歌詞はナイフのようだ。このナイフのような切れ味の言葉に、普段は押し殺している自分の中の感情に気づかされ、心をかき乱されたくて、アーバンギャルドを聴いている。

あまり人には話したことがないが、右の手首に傷がある。
少しじめっと暑くなる今頃の季節、長袖から半袖に変わる頃に何度か「リスカ?」と聞かれたこともある。だからか、この傷には少しコンプレックス
があった。決して自分で切ったわけではない。物心ついたときにはもう傷があったので、お箸を持つほうが右ではなく、傷があるほうが右と覚えた。
自分の記憶にはない、生まれる時の話で1350gと早産で生まれたため、長く入院していた時に点滴の痕が残ってしまったものらしい。
リスカのような手首の傷は、自分にとっては「生きること」を実感させてくれるものだ。アーバンギャルドと出会ってから、そう思えるようになった。

水玉自伝の感想とは、ほど遠い文章になってしまったが、アーバンギャルドがこれから綴る次のページを一緒にめくっていきたいと思う。