見出し画像

人生のあらすじ(中学校編1)

すみません!Netflixの愛の不時着にハマってしまい、投稿遅れてしまいました。幼稚園編からあるのでお時間がある方は是非!!

1月、新中学1年生になり、ジュニアから上がったメンバー+新たな選手達で新しいチームになった。小学校編で書いたように最弱の代。1個上、2個上のようなパス回しはできなかった。けれどそれなりの攻撃力はあった。スピードが武器の選手がいたり、テクニックがある選手が多かった。

3月の終わりに初めての遠征、「山梨スプリングカップ」があった。どこのチームもそんなにまだ出来上がっていない中での大会。自分達は横浜Fマリノスに負けて2位だった。そりゃ優勝したかったけど、悪くはなかった。自分もなんだかんだ点も取れていたから、そんなにマイナスには捉えていなかった。

遠征が終わり、チームは関東リーグが開幕。自分はJリーグ選抜の選考会があり、初戦は出れなかった。Jリーグ選抜の選考会は大阪のJ-GREEN堺で4泊5日?くらいで行われる。それまでトレセンなどに入ったことなかったけど、初めてそーゆー選抜に行けた。後から聞いた話によると、チームの推薦で行けるらしい。期待されていると率直に思った。

関東リーグでは、開幕5連敗?本当に絶望的すぎた。優勝を掲げたシーズン前。優勝どころか、チームは残留争い。やっぱり自分らは弱いんだなって改めて思いました。今考えたら開幕5連敗とかしてたのゾッとするけど、あんまり記憶にない。笑 でも覚えているのは、結果はなかなか出なかったけど、俊太さんはやる事をぶらさなかった。負けない為にサッカースタイルを変える事もできたと思う。でもそれじゃ、自分達の為にはならないと判断していた。結果よりも自分達の成長に目を向けてくれた。本当に感謝しかない。それもあり、徐々に勝てるようになった。

夏には、運良くJリーグ選抜に選ばれ、ベトナム遠征に行くことができた。プロになったのは塚元大(G大阪)プレミア勢にいたのは、佐藤史騎(当時横浜FC、青森山田)、武井邑馬(愛媛)、早乙女勝海(当時栃木、大宮)、久保賢侑(当時マリノス、G大阪)、佐藤光亮(磐田)。刺激的な遠征だった。その中でも1番うまいと思ったのは大。ドリブルで1人で持っていって、1人で決める。衝撃だった。自分は味方の方が有利だったらパスを選択する事も多いけど、大はまず自分。ゴール前でパスなんてあり得なかった。自分の方がフリーでも大は「俺が決める」って感じでした。笑 FWはこーゆー気持ちが1番大事だと改めて気づかされた。

その後にオランダ遠征。シャルケやドルトムントと対戦。他にもチェルシーやレバークーゼン、フェイエノールトなどが出ていた。最初の方は調子が良かったが、ギリギリで上位トーナメントに行けず、そこからはどんどん負けた。そしてアヤックスの施設を見たり当時オランダのチームにいた大津祐樹選手の試合を見たり、世界を肌で感じるいい機会だった。

そして9月?10月?体育の柔道の授業で、足の親指が裂け、骨が見えた。右足親指の開放性脱臼だ。それをみた瞬間頭真っ白になった。しかもよりによって体育。最悪だった。すぐ縫って、復帰まで2〜3ヶ月。もうシーズンには間に合わない。チームは残留争い。何もできない自分に本当に腹が立ったし、何をしていいかわからなかった。

そして残留のかかった最終戦。相手は横浜FC。勝てば残留負ければ降格。試合は開始9秒先制される。みんなも知ってるであろう清水祐輔くんが斉藤光毅にかっさられ失点。今では笑い話だけど全員が凍りついた笑でも最後の最後で逆転に成功してなんとか残留。ホッとしたと同時に自分は何をやってるんだろう。ピッチにも立たずに。本当に不甲斐なくなった。

そして高校サッカーである人に憧れる。それは、東福岡高校の「赤木翼」選手。やっぱり高校サッカーは憧れるしカッコいい。赤木翼選手はサッカーでは結果も残すし、うまい。イケメンだしおしゃれでピッチ外での存在感も凄かった。赤木翼君の座右の銘はその瞬間から自分の座右の銘となった。

 「コツコツが勝つコツ」

この言葉と出会い、本当に良かった。今は劣ってるかもしれないけどそいつに勝つ為にはコツコツと練習。翼君が自分に与えてくれたように、自分も誰かに憧れられ、夢を与えられるように頑張ろうと思えた。


中学校編1は以上となります。またまた長くまとまらない文ですが読んでいただきありがとうございます!!次は中2編でお会いしましょう!!お疲れ様でした!笑
またNetflixにハマっているので、遅れないように気をつけます。笑