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『百年の孤独』が生まれた小さな家

前回の記事では、ガルシア=マルケスが『百年の孤独』で得た資金で建て、亡くなるまで暮らした家について書いた。

今回、ついに彼が実際に『百年の孤独』を書いた家を訪問することができた。こちらもメキシコシティ南西部の閑静な住宅街にある。

外観
門を入った中庭

家の中に入ると、小さな応接間のようなスペースがあり、ガルシア=マルケスの肖像画が飾ってある。

反対側の壁には、いくつかの写真。管理人の方によると、ガルシア=マルケスの隣に写っているのはこの家の大家さんで、『百年の孤独』を書いている間、家賃を肩代わりして彼をこの家に住まわせてあげていたのだという。

ガルシア=マルケス(左)と当時の大家さん(右)

そして、こちらの小さな部屋が、実際に『百年の孤独』を執筆した場所。机とタイプライターがあるだけの質素極まりない部屋だ。

ガルシア=マルケスは1965年〜67年までこの部屋にこもり執筆を続けたそうだ。
当時、ガルシア=マルケスにはすでに子どもが二人いた。家を駆け回る子どもたちの声が聞こえないよう、ドアを閉めて執筆に集中していたという。
その後、世界に絶大な影響をもたらすことになる小説がこの部屋から生まれたのかと思うと、とても感慨深い。

「百年の孤独 1967年」と書かれている

ラテンアメリカ文学研究者の柳原孝敦さんは、当時の様子を次のように書いている。

1961年にメキシコ市にやって来たガブリエル・ガルシア=マルケスは、この街で映画の脚本などの仕事をしていた。65年のある日、仕事仲間のカルロス・フエンテスと港町アカプルコに向けて高速道路を走っていた彼は、それまでに書きためた中短編の集大成となる長編小説の啓示を得たと言われている。

それから18ヵ月間にわたって家に籠もりきりになった作家が、毎日6時間、主に午前中に執筆し、完成させたのが『百年の孤独』(1967)だ。これを書いている期間、作家は他の一切の仕事を断り、雑談したりその日書いた原稿の朗読を聞いたりするために夜ごと訪ねてくる友人たちの手土産に頼って生活した。妻のメルセデスは借金をしたりツケで食料品を手に入れたりして息子たちを養い、家賃も滞納したという。家賃を滞納しながら住み、後に二十世紀の文学史を書き換えるほどの大きな影響力を及ぼす大作を書いたこの家というのが、コロニア・サン・アンヘル・インの物件だ。

柳原孝敦『メキシコDF』(2019)190-191頁

家賃を肩代わりしていた大家さんは、こんなに偉大な作品が生まれようとしているとは夢にも思っていなかっただろうが、今振り返ればとても先見の明のあるお方だ。

実は普段この家は一般公開されていないのだが、今回幸運なことに中を見せてもらうことができた。
この家を管理しているのは「メキシコ文学財団・百年の孤独の家」という団体で、僕はこの団体が主催する文学系イベントをネットで見つけ、行ってみることにした。だが実際にはこのイベントはオンラインのみの開催で、この家で実施されているわけではなかった。しかしこの家の管理人の方が「せっかく来たのなら」とご厚意で中を案内してくれたというわけだ。

この家の2階には、現在「メキシコ文学財団」が奨学金を出す作家か研究者の方が住んでいるそうだ(何と説明されたかちゃんと覚えていない)。その方の迷惑にならないよう、今は一般の人の来訪を受け入れていないという。

この家を訪れたのは6月25日(日本時間26日)で、偶然にも日本で『百年の孤独』の文庫版が発売された日だった。管理者の方に「今日、日本で新たな装いの『百年の孤独』が発売されますよ」と伝えると非常に喜んでくれた。

わずか10分ちょっとの訪問だったが、メキシコシティの素敵な思い出が一つ増えた。

ガルシア=マルケスが『百年の孤独』を書いたこの家は、メキシコシティ南西部、アルバロ・オブレゴン地区のサン・アンヘル・インという住宅地にあります。

管理している「メキシコ文学財団・百年の孤独の家」のFacebook
https://www.facebook.com/casaestudiocien/

ガルシア=マルケスが亡くなるまで暮らした美しい家についてはこちらからどうぞ。


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