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中編小説『センターマイク・上』

    昔は、単にセンターマイクの前に立つことが夢だった。今は違う。自分自身が納得できて、満足できて、後悔しない漫才をすること。


    子供のころからお笑いが大好きだった。子供のころは親に頼んで劇場に何度も行ったし、大人になってからは休みの度に劇場に通った。友だちや好きな子や親戚のおっちゃんや先生を笑わせることに命をかけていた、宿題なんてちっともせずに。


    高校卒業と共にお笑い養成所に入った。けれど現実は甘くない。入学して早々に、理想と現実を思い知らされた。先輩は見えないくらいの高い場所にいた。同期ですら勝てる気がしない。ぼくは地べたを這いつくばっていた。彼らの姿が見えないんだから、太刀打ちなんてできやしない。同期の中には、最初からコンビで入ってきて、一番最初のネタ見せで講師の先生からお誉めの言葉をもらっているやつらもいた。ぼくら(ぼくは養成所で見つけた相方とコンビを組んだ)といえば、ネタ見せをする度に講師の先生からダメ出しを食らった。もう少し大きな声で、腹から声を出せ、間が悪い、テンポが悪い、笑いどころがわからない、抑揚をつけろ、ボケが弱い、そもそもボケとツッコミが逆じゃないのか。頑張ってやってるつもりだろうけど頑張ることなら誰でもできる。個性を出せ。それから・・。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。養成所には次第に行かなくなった。 アパートにこもり、朝夜逆転生活になった。風呂に入らず顔も洗わず髪やひげは伸びっぱなし。レトルト食品に頼り、体重は増えていった。明けてもくれてもゲームに没頭した。


   水の中をもがいているような、

   真っ暗闇を走っているかのような、

  ブラックホールに吸いこまれたかのような、

    蟻地獄にはまってしまったかのような、

    蜘蛛の巣にからめとられたかのような、

    袋小路に迷いこんだような、


    まだ若いんだから就職先なんていくらでもある。仕事をすぐに見つけるか、それとも専門学校に行って資格を取ってから就職しようか。


    現実逃避をしていたぼくを現実に戻してくれたのは、後に相方になる彼だった。ひとつ年上の彼。ぼくの連絡先を誰から聞いたのか分からないけれど、電話がかかってきて話がしたいと言われた。養成所の近くの喫茶店で待ち合わせをした。
「お前には才能があるよ。才能を殺すなよ。✕✕さんと同じ土俵に立とうぜ」
  ✕✕さんというのは何本もレギュラーを持ち、芸人やお笑い好きから羨望のまなざしを向けられているコンビだった。
「むりだよ、なれる訳ない・・」
  ぼくは自信をすっかり失くしていた。力なくボソボソと答えた。彼は言った。
「なれないと思ったらなれないんだ。でもなれると思ったらなれるんだよ。才能のない奴が運だけでのしあがっているのを見るのって悔しくないか。そんな奴って結果を出せずに終わるんだよ。ほら、いただろ?」
  彼は、とあるコンビ名を出した。確かにそうだ。彼らはデビューして数年後にレギュラーを持った。けれど漫才の実力で世に出た訳じゃない。ウリは見た目と要領の良さ。彼らの解散の日は早々とやって来た。
「おまえは、たまたま機会に恵まれてないだけ。実力はあるんだ。あとは運が必要なだけだよ」
  そんな彼について行こうと決心した。それまで組んでいた相方には頭を下げ謝り倒し、コンビを解消してもらった。彼の相方(彼は高校時代の同級生とコンビをくんでいた)にも解散して欲しいと泣いてたのみこんだ。そのために何時間も何時間も何日も何日もかけた。
「分かったよ」
  その言葉を聞けたのはあの日から1ヶ月以上たっていた。そしてすぐに彼にコンビを組みたいと申し出た。


   その日からぼくは芸に精進した。コツコツと。階段をのぼるように。1歩ずつ。ぼくが今まで避けていたこと。ネタを量産し彼に見てもらった。ことごとく赤ペンを入れられたけど。でもそれにも負けずにネタを書いた。「たくさん書くのも結構だけど、質をもっとよくしろ。いろんなことにアンテナをはって、少しでも気になったものは頭の片隅にいれておけ。政治でも経済でも国際事情でも何でも漫才のネタになる。ネタにならないものはない。犯罪にならないもの以外は全部盗め」
  漫才を人前に出すまえに必ずしていることがある。それは、漫才をスマホで録画して見直しながら意見を言いあうこと。先輩や同期や後輩や社員さんに意見をもらった。そこでもらった意見を漫才に反映させオチを変えることもあったし、なんだったら闇に葬ることさえした。漫才を終えて楽屋に戻るとすぐに、台詞に使った副詞がニュアンスとして違うとどっちが言えばふさわしいものは何だろうと2人で探した。台詞の語尾をそのままにするのか伸ばしたほうがいいのか、声のトーンはこのままか下げるほうがいいのか、主語と副詞の位置はこのままか入れかえたほうがいいのか。ぼくはプライベートよりも芸事を優先した、生きていかないといけないからアルバイトは漫才と並置したけど。ネタ見せも舞台に立つときも力を出しきった。
「まるで別人だな」
  講師の先生たちも芸人仲間たちも驚いていた。今までむだにしていた時間を取り戻したい。いや、それよりも彼の期待に応えたい。彼はポーカーフェイスで、何を考えているのか分からないことが多かった。だからこそ、たまに言ってくれる、さっきの良かったよという言葉が嬉しかった。彼にほめて欲しい。認めて欲しい。モチベーションのひとつになっていた。彼は背が高く、しゅっとし、ひょうひょうとしている。見た目もいい。そのおかげか、舞台にあがるようになると彼にはすぐに女性ファンがついた。時折見せる笑顔。八重歯がチラリと見えた。そのギャップに女性ファンはなおさら増えた。うらやましいな。ぼくはそれらをひとつも持ち合わせていない。子供のころから分かっていたことだけど、現実を突きつけられて改めて実感した。「自分の見た目にあぐらをかくなんてバカのやることだ。そんな時間があるのなら、喉をつぶすくらい漫才の練習をしろ。力をつければファンじゃない人も認めてくれてファンになってくれるかもしれないし、ずっとついてきてくれるかもしれない」
  彼は言った。強いひとだ。そんな堅固なところも彼にひかれたとこのひとつ。


   窓口やネットで チケットをさばけないときは手売りをする。まだ売れてない若手はほとんどが手売り。ライブの会場はキャパが200人程度の劇場。ぼくらもまた若手のころは手売りをした。彼とはチケットを半分づつ分けた。劇場外の広場で声を大声をあげた。✕✕の△△といいます。ライブやりま~す、チケット買ってくださ~い。人目なんて気にしない。雪の降るなかで寒さに震えながら声を上げつづけた。桜吹雪に吹かれそうになりながら、暑さに倒れそうになりながら、木枯らしの舞うなかも。売れるためには顔を覚えてもらい、チケットを買ってもらって漫才を見てくれて名前とコンビ名を覚えてもらわないといけない。おねがいしま~す。喉がかれるくらい連呼した。けれど彼といえばコンビ名も名前も、大声もあげていないのにどんどんさばけていく。彼が広場に立つと、どこからか女性が集まり2重3重の輪ができた。マジックじゃないかというくらい、あっという間にチケットはさばけていった。
「少しもらえない?」
  彼にチケットを渡すか渡さないかのうちにそれはなくなった。彼は193枚売り、ぼくは7枚。ふん、7はラッキーセブンだろ。そうやっては強がってみたけれど、ぼくの家賃やスマホ代、電気代を払ってくれているのはまちがいなく彼だ。


  子供のころからぼくはおしゃべりに長けていた。だけれどお笑い芸人にはそれ以上の能力が必要。空気をよむこと、トーク力を磨くこと、相手の話しを瞬時に理解すること、最も適切な返しをすること、うまいツカミをいくつも持っていること、直感を鋭くしておくこと。ぼくはそう思っている。でも違う意見を持っている芸人もいる。だから正解なんてないかもしれない。ぼくらなりに満足できる漫才をしたとしても、お客さんが満足してくれなきゃ意味がない。彼には漫才の知識がたくさんあり、漫才の作り方や法則を知っていた。天性のものか、養成所にはいってから身についたのか分からないけど。それでもこう言った。
「俺は漫才をもっと勉強したい。お前にもそうして欲しい。そのために、自分に足らないものや吸収したいものがあったら、誰でもいいから利用しろ。嫌いな相手でも。表面的に分からなければ媚びを売って詳しく聞け。利用できるものは何でも利用しろ。相手が先輩であろうが、俺であろうが関係ない。実際に俺はそうしてる」


   彼が他の事務所にスカウトされたらしい。どこからかそんな噂がはいってきて、芸人の間にあっという間に広がった。
「おまえどうすんの。あいつがよその事務所に行ったらピンになるの?誰かと組み直すの?」
  同じ質問を何人かにされた。そんなこと考えたこともなかった。ピンになる、1人でネタを考えて舞台に出る。他の誰かと組んでネタを考えて舞台に上がる。どっちもぼくにはむりだ。彼と別れるということはぼくが芸人をやめるということ。
「あいつが事務所を辞めてもおまえだけはここにいろよ。おまえが辞めたらさみしい。きっとみんな思ってるよ」


  ≪きみが優秀だってあちこちから聞いて、会いたくなったんだ。養成所を首席で卒業したとか。こんなことをいうのは失礼かもしれないけど、彼はきみの足手まといにしかなってない。きみには能力があるんだからもっと高みをめざすべきだ。うちの事務所は少数精鋭でやっている。入学基準が厳しいから能力がある奴しか入学させない。はっきり言うよ。きみの能力をうちの事務所のために使って欲しい。お金では動く人だとは思ってないからお金の話しは一切しない。ただただきみが欲しいんだ≫


 「 スカウトされたっての聞いたんだけど」
  胸の中のもやもやを解消したい、嘘だと思いたい。うわさ話を聞いてから、彼に真相を確かめるまでに一週間近くかかった。
「よく知ってんな」
  少し、面倒くさそうに見えた。
「ど、どうすんの」
「まだわからない」
まだわからない。否定して欲しかった。行かないと言ってくれると思っていた。どうすればぼくのそばにいて、漫才を続けてくれるだろう。ぼくにアドバイスをくれて、ぼくを力づけてくれるのだろうか?ぼくの一挙手一投足が彼の気持ちに変化をあたえるかもしれないと怖くなり、ぼくからその話をしないことに決めた。


     ぼくらは割りとトントン拍子に売れたし、漫才を評価してもらえた。そりゃ確かに若手のころはがんばってもなかなかウケなかったし、場数が少ないから新作の漫才の、お客さんの評価を知ることができなかった。なので代わりに、芸人仲間やスタッフさんや作家さんに見てもらった。芸人仲間に評判が良かったネタが作家さんたちにウケなかったり、芸人仲間の評判が良くなかったものが作家さんたちにウケたこともあった。そのたびに彼らに手厳しい意見をもらい、2人で何時間も話し合った。来る日も来る日も漫才のことを考えた。新作をどんどん作り(とにかく量産した。そうでなければ賞レースにふさわしいネタが選べない)、営業先や舞台などありとあらゆる場所で発表した。どこがウケたか、ウケなかったか。寝る間も惜しんで話しあった。それがいまのぼくらにつながっていると信じてる。


   世の中には賞レースと言われているものが数多くある。芸歴5年とか8年とか(どうしてそんな中途半端なんだろう?出場者は忘れてしまわないかな)。10年以内とか15年以内とかはたまた15年以上というしばりがあるものも。ぼくらはそのうちのいくつかで優勝した。お金のなかった若手のころには、その賞金で滞納していた家賃を払うことができたし、消費者金融に借りていたお金も返すことができた。少し売れるようになってからもらった賞金で、やっと貯金ができた。レギュラーを持ちはじめてからもらった賞金で両親に仕送りをして、生まれてはじめて親孝行ができた。その日も、とある賞レースに挑んでいた。
「おい、さっきのザマはなんだ」
  漫才が終わり、袖に引っ込んですぐに彼は大声をあげた。そこにいたスタッフや芸人たちはびっくりしてぼくらに目を向けた。廊下に引っぱられたぼくに、彼はまくし立てた。「時間内にやろうとか、型通りにやろうとかそっちばっかりに集中してただろう。お客さんの顔を見たか。こころから笑ってたか。お客さんあっての俺たちだ。審査員から高い評価をうけるとか、賞をとるために漫才をやるんじゃない。お客さんをよろこばせてナンボだ。ぬるま湯につかってんじゃねえ。若手のころチケットを手売りしたこと忘れたか?劇場の前で大声あげて、くすくす笑われながら売ったこともあったよな。最初は全然売れなくて自腹を切ったよな。でも少しずつファンができて、チケットを毎回買ってくれる人だっていた。ファンのみんながいたから今の俺たちがいるんだ。もう少し真面目に漫才をやれよ。もっと真摯に向き合え。それができないんなら漫才師なんてやめちまえ」
  どこまでも漫才に貪欲な人だな。彼はまくし立てた。その口の端から出ている唾を見ながら、汚いな、めんどくさいな、はやく終わんないかな、今日どの店に行こう、何を食べようなんて思いながら聞いていた。いや、ちがう。ぼくだって昔はお客さんに満足してもらおうって思ってたじゃないか。



   芸人は何千人といるのにわざわざぼくらを、そしてぼくを選んでくれている。ぼくらの漫才を見て笑ってくれる。時間とお金をぼくらのために使ってくれている。舞台を見に来てくれる。グッズを買ってくれる。ファンレター、誕生日やバレンタインにはぼくの好きなグッチー鞄の色違いや形違い、ボストンバックやボディーバック。長財布やコインケースやキーケース、チョコや日本酒やワインなんかを送ってくれる。ぼくはプレゼントの入っていた箱なり紙袋なりに貼ってある伝票の住所をメモり、便せんを買ってきてお礼の言葉を書き、できるだけ早くお礼状を送った。


    ぼくのツイッターをフォローしてくれて、山のようにリツイートしてくれて、いいねボタンをたくさん押してくれる。ぼくは1ツイートで10人と決めてリツイートした。ありがとうございます、がんばります、応援お願いします。ボギャブラリーがなくて、似たような言葉ばかり並んだけど、彼は気持ちが大切だからと肯定してくれた。
   生放送の出番を楽屋で待っていたとき、日付けが変わってすぐに
『あけましておめでとうございます。ファンのみなさん、今年もよろしくおねがいします。おしごとがんばりますっ 』
  とツイートした。そしたらリツイートがすぐにあった、それもたくさん。あけましておめでと~~、今年もよろしくね、あたしもおしごとがんばりますっ、ことしも舞台たくさん見にいきます、今年もテレビにいっぱいでてね、すきすきダイスキですとか。みんな、友だちいないのかなと思いつつも、ジャニーズカウントダウンよりもぼくを選んでくれたことが何よりも嬉しかった。



『のどが痛いな風邪かも、夕方からも舞台があるのにどうしよう』
  ってそんな何気ない、しょうもないことをツイッターに上げたら、舞台いまから見に行きますっ、元気な顔みたいですとか、キシリトールのミントのアメなめてみてとか、あったかくして寝てくださいねとか、しょうが湯きくよとか、水分をたくさんとってねとか、あたしはいつも気力でなおしますとかものすごくたくさんコメントをくれる。


  バラエティー番組で司会者の大物芸人さんから話しをふられたのに、上手く返せなかったときがあった。ショックすぎて
『ぼくもう芸人やめます・・ううう』
  と泣き言を書いたら、メチャメチャおもしろかったですとか、あっちが悪いんだよとか、あたしはものすごく笑いましたとか、気にしない気にしないとか、いいコいいコしてぎゆっっっしてあげたいのでおウチに行ってもいいですか?とか、なにがあってもだいすきです結婚してください(ほんきです!!)なんてリツイートを山ほどくれる。ファンのみんなはぼくが何をしても何を言っても全肯定してくれる。ファンではない人は気持ち悪いと思うだろうけど。甘やかせてなぐさめてくれる。親や芸人仲間や友人よりも、うんとうんとうんと優しい言葉をくれる。何をしてもほめてくれる。無償の愛をくれる。なんの見返りもないのに。肯定してくれる。ただただ一方的に。盲目的に。


   でもいつのまにか、それを当たり前だと思うようになっていた。ファンなんだからぼくに優しくして当たり前だ、困ったら助けてくれて当然だ。ツイートしたらリツイートして当然だろう。泣きごと書いたらなぐさめてくれてあたりまえ。ファンなんて何人かいなくなっても別のファンが同じくらいできるだろう。サインや握手を断ったって別にかまわない。手を抜いた漫才をしたってファンは笑ってくれる。本気を出さなくても賞レースに勝てるだろう。そんなふうにおもっていた。いつから初心を忘れちゃったんだろう。
「 本気で考えろ 」
   今回の賞レースでも優勝した。スタッフや芸人仲間、親やファンのみんなは喜んでくれたけど、ぼくは心の底からよろこべなかった。


 あの日をきっかけにして、暇さえあれば、ぼくはありとあらゆる芸人の漫才を見た。アマゾンや楽天でDVDを購入して見たり、ユーチューブを視聴した。市販されていないものは事務所に頼んでDVDを貸してもらった。ぼくが生まれる前にデビューして、その面白さを知る前に亡くなったコンビやトリオ。名前は知っていたけれど、改めて見るとすごいな。彼らの漫才は漫才ではなくて、彼らそのものが漫才を越えた一つの世界になっていた。同じ時代に生きたかったなあ。ご飯をご一緒させてもらって、この件で分かった、ぼくの漫才愛のなさをどなりつけて欲しかった。彼らにしか出せない雰囲気を間近で見たかった。そして誰もが知っているベテランのコンビや若手のコンビやトリオの漫才も見た。同期も後輩も他の事務所の芸人も。デビューしてまもない芸人やアングラ芸人もーぼくは彼らの個人名はおろか、コンビの名前すら知らなかった。勉強不足すぎる。やっぱりぼくはおごっている。そんな彼らのすべての漫才を文字に起こした。こういうツカミでこういうオチでと赤ペンでチェックした。DVDを見ながら、頭に浮かんだ単語や文章を付け足した。文章は支離滅裂だったけど、とにかく感じたまま書き込んだ。同じ漫才を見ているうちに、まったく別の感想が浮かび頭の中がこんがらがったけれど、これもまたぼくの意見なのだからと青色のペンで追加した。彼らの漫才を見ているときに、他の誰かの意見を聞きたくなったら、相方の彼や同期や後輩そして苦手な先輩(そう思っていたけど、食わず嫌いだと分かった。彼は相談してくれて嬉しいよ、今度ご飯に連れてくな、そう言ってくれた)のもとにさえ行った。だって彼は言ったんだ、自分に足らないものや吸収したいものがあったら誰でもいいから利用しろって。俺すら、とも。別のノートにはツカミやボケ、ツッコミの種類、オチのつけかたを書いた。芸歴10年近い漫才師のすることじゃないな・・・。そう苦笑いしたこともあったけど、ぼくはとにかく突き進んだ。ぼくの、ぼくらのために。そのあいだに2人の女の子に告白され付き合ったれど、2人ともに振られてしまった。仕方ない。いまのぼくに必要なのは女性への愛よりも漫才に対する愛なのだから。


≪この前のはなしなんですけど、すいません。ぼく、あの、事務所をやめることもあいつとコンビを解消することもありません。あいつとコンビを組むまえに、才能があるってくどいたんです。のちに、思っていたほどなかったって気がついたんですけど。でも、あいつにはあって、ぼくにないことがあるんです。それは一生懸命なところなんです。それ以上に人の懐にすっと入りこめるところ。ぼくにはそれがない、努力してもできない。天性なんです。誰だって自分に対して友好的な相手には好感をもつ。敵にしない。好きになる。味方になろうとする。守ろうとする。そんなあいつと一緒にいたいんです、あいつが解散しようというまで。あいつはぼくを強いと言っているけど、ほんとうはちっとも強くない。強いふりをしているだけなんです。そうでなければ自分がだめになるから。ぼくは強い人だ、だからなんでもやりとげることができるんだって自分に言い聞かせながら漫才をしているんです。ほんとうにすいません。たいへんありがたい話しだとわかっているんです。ほんとうにすいません。ぼくの才能を高く買ってくださっているのに。ほんとうにすいません≫


      

❇️読んでいただいてありがとうございます。お笑いにほとんど詳しくないので、この小説を書くためにヤフーアプリなどでお笑いの記事を読みまくり、色々な芸人さんのエピソードを調べまくり、ツイッターとユーチューブを見まくりました。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。