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小説≪②・明日は海の日。なっちゃんと出会った日・②≫

 ふううふうと息を吐いた。画面の一か所を軽く押すだけ。それだけでなっちゃんにつながる。それだけ。そう、それだけ、それだけ。両手でスマホをそっと握った。右手の親指で画面の上をぐるぐる回した。どうしようどうしようどうしよう。勇気が出ない。もしなっちゃんじゃなかったら?たとえなっちゃんであっても、誰ですかなんて言われたら?それどころか何も言わずに切られたら?相手がもしあの男性で、二度ととかけてくんなって言われたら?不安ばかりが頭に広がる。ぼくのだめな癖だ。なっちゃんと一緒にいたころは自分に自信が持てたのに、別れてからは以前のように後ろ向きな性格に戻ってしまった。どんなに努力をしても変えることができない。
 けれど、と思った。行動に出なければ次に進めない。なっちゃんに会えない。もしなっちゃんが番号を変えていれば繋がらないだけ。そしたらあきらめることができる。たったそれだけ。
 人差し指を画面に押しつけた。
「はい」
 女性の声だった。聞きなれた、耳に心地よい声だった。
「な、なっちゃん?」
 耳元に聞こえるのは確かに彼女の声だけど、なっちゃんからのイエスの声が聞きたい。かなりの間が空き、相手は口を開いた。
「・・はい。・・あおいくん、でしょう?」
 体中がかっとあつくなった。なっちゃん。本当になっちゃん?うそじゃないよね?瞳に盛り上がった涙を出すまいと、ぼくは会話に集中することにした。
 きれいになったね。髪を切ったんだね。ロングもボブも似合うよ。
「いやね。口がうまくなったのね。誰の影響?そうやって彼女を褒めてるの?」
 彼女・・?息をのんだ。ぼくとももちゃんが一緒にいたのをなっちゃんは見てたんだ。普段は手なんて握らないのに、後ろめたさでつい握ってしまった。それを見られたんだ。
「あ、あのあのあの・・」
「彼女でしょう?」
 ももちゃんとお付き合いするきっかけは友人の紹介だった。なっちゃんと別れてから視野に女性は入らなくなった。別れてから5年が経った頃、彼はそろそろ前を向けよと強く言った。人には覚えていけなければいけないことと同時に、忘れなきゃいけないことがあるんだ。彼女は後者だよ。お前のそばにいる亡霊はもう彼女にならないよ。現実に目を向けたほうが亡霊も喜ぶさ。
 ももちゃんは彼の会社の取引先の重役のお嬢さんだった。信頼できるきみの友人ならばと、ももちゃんの父親はぼくとのお付き合いを許してくれた。ももちゃんの気持ちはいいのかなと思ったけれど。
 婚約者という言葉だけは言いたくなかった。一時の付き合いの彼女と結婚を前提とした婚約者では重みが違う。口が裂けても言いたくない。
「単なる彼女には見えなかったけど。ああ、そうか。結婚相手ね」
「ちがうっ。婚約してるだけ」
 コンヤクシテルダケ。
 ああ、と自分に失望した。ぼくは馬鹿だ。馬鹿すぎる。自分から婚約してるなんて言う馬鹿がどこにいる。つい一秒前に、絶対に言わないって自分に誓ったのに。どこかにデロリアンないかな。ドク、来てくれよ。
「おめでとう。式はいつ?」
 答えたくない。
「あああ、えっと。彼女に全部任せっているからぼくは知らないんだ。いや、ちがう。そんなのちがう」
   今の状況をぼくが知らないわけがない。誰にだってそれが嘘だってわかる。なっちゃんはそれ以上話を広げなかった。ぼくにもう興味がないのかな・・。もう好きじゃないのかな・・。単なる知り合いに降格されたのかな・・。
「あおいくん」
「うん」
「ちっとも変わってない。あの頃のまま」
 なっちゃんはおかしそうにくすくす笑った。
「そんなことないよ。6つも年を取ったんだから」
「そうかしら。同じように見えるけど」
「そうですっ。だったら会って話そうよ。そしたらわかるよ」
 そうかなあ、となっちゃんはまたクスクス笑った。会おうっていうおねがいの返事は?聞き流された?もう一度、会おうよっていうのが正解?それでいつにする?とか聞くのが正解なのかな。頭の中で考えをめぐらせた。ここは我慢しよう。ここで無理強いして、なっちゃんが電話に出てくれなくなったら困る。
「・・あの、また電話をしていい?」
「嫌だと言ったら?」
   そんな言葉がなっちゃんらしくて笑みが出た。ももちゃんなら、電話をしてほしいって前のめり気味に言うに違いない。
「拒否されてもする」
「でしょうねあおいくんのお好きなように」
 てことは電話をまたしてもいいってこと。
「なっちゃん、またね」
「またね」
「またね、なっちゃん」
「なによ、変なあおいくん」
「うん、だって、電話切りたくないもん」
「ばかね。もう二度とつながらないわけじゃないのに」
「うん。でも」
「ほら、いちにいさんで切るからね」
 なっちゃんはいち、と言った。ぼくもいち、と言った。にい、さん。二人で同時に口にした。
 電話はふっと切れた。
 スマホの画面は黒くなってしまった。ふうとため息を吐いた。なっちゃん、指輪してたっけ。それからあの男の人は誰だろう。あんなにきれいな髪だったのに、ぼくに髪を撫でて欲しいって求めてたくらいなのに。なっちゃんにそれらをたずねても、指輪ってなにかしらとか、彼は単なる知り合いよとか、もうじき暑くなるから切っただけとはぐらかすにきまってる。けれど、もし結婚指輪なのとか、旦那さんなの、小さな子供がいるから長いと邪魔なのよなんて言われたらぼくは発狂してしまう。そしたらどこどこで知り合ったの、いついつ結婚したのという話に発展しかねない。
  だったらごまかされるほうがうんといい。      うん、うんといい。
   うんといい。


❇️なつとあおいの再開後の初めての会話です。人って何年かぶりに会っても、それ以前のように話ができるのか。それともこの2人だからかなあ。