見出し画像

小説≪20・なっちゃんとすごしたあの夏の暑い日々・20≫

 彼女は突然消えた。書き置きひとつなかった。最初は、てっきりどこかに遊びに行ったんだろうと思ってた。でも夜になっても帰って来なかったし、翌朝目覚めても、ぼくの隣りになっちゃんはいなかった。リビングにもキッチンにもバスルームにもトイレにも。ぼくが仕事から帰ってきたら彼女もここに帰ってきているだろう。いや、帰ってきていないとおかしい。子供じゃないんだからきちんと帰ってくるよ。もしこのアパートの場所を忘れてしまったならば、電話をかけて迎えに来てと甘えた声で頼むだろう。心配することじゃない。大丈夫、大丈夫。大丈夫、大丈夫。星ならぬ朝陽に願いを託した。星に願いを、あれ、ミスチルのアルバムに入っている曲がそんなタイトルじゃなかったっけ?うーん、あ、違う。星になれたらだ。仕事を終えると一目散に帰宅した。けれど、やっぱりなっちゃんはいなかった。電話はいつまでもコールが続く。ラインを送っても既読がつかない。彼女が行く場所はアルバイト先の居酒屋だけ、会う人はぼくだけ。なっちゃんに何かあったとき誰に連絡したらいいんだろう、なんて考えたこともなかった。ぼくは本当にまぬけだ。今現在のことしか考えていない。たった一秒先の未来のことまで頭がまわらない。・・なっちゃんはいつものように、ぼくの腕を枕にして眠っていた。最初のころは、なっちゃんが完全に眠りに入ってもずっと腕枕をしていたけれど、ここ最近は5分だけと決めている。腕がだるくなるからさ、ぼくの言葉になっちゃんは頬をふくらませた。『最近のあおいくんって何か変わった。冷たくなったわ。それが本性?』良かったあ。それにしてもいやな夢だったな。なっちゃん、今までどこにいたんだよ。ううん、そんなことどうでもいいよ。帰って来てくれたんだから。それだけでいい。もう、離さないーけれど、朝陽に起こされたぼくのとなりにはなっちゃんはいなかった。なっちゃん・・。乾いた声が出た。なっちゃん・・。かすれた声しか出なかった。なっちゃん・・。声に涙が混じっていた。ぼくの首もとは胸もとは、きみの口づけを覚えてる。そこを見るたびにきみの唇を思いだす。きみの唇に何度と口づけた。ぼくから、きみから、何度も何度も口づけた。なっちゃん・・。左目から涙がぽろっと1粒ながれでた。左手で頬をおしつけた。だめだ。だめだ、泣いちゃだめだ。手のひらで左目をぎゅっと押した。だめ・・右目からも流れた1粒をきっかけにして、ぽろぽろぽろぽろ涙がでてきた。顔を両手でおおった。なっちゃん、ぼくを抱きしめてよ。ぼくの涙をとめてよ。ぼくが泣いてるのはなっちゃんのせいなんだから、なっちゃんがなぐさめるのはとうぜんだよ。なっちゃん・・。

 夏なのに1人きりのベッドはおどろくくらい冷たい。天井に腕を思いきり伸ばした。空(くう)をつかんだ。けれど空(くう)以外何もつかめない。何度も何度も何度も何度も、馬鹿みたいに繰り返した。けれどやっぱり何もつかめない。あきらめ、力なく腕を下した。知りたいと思った。なっちゃんのことはなんでも。ぜんぶ。けれど彼女は自分のことをあまり話したくないと言った。無理強いはしたくない。このさき彼女とずっと一緒にいるんだ。彼女がその気になるまで待とう。だから今でなくていいーあのころはそう思っていた。永遠を信じていた。後悔にまみれた。後悔にかられた。後悔にさいなまれた。後悔におそわれた。後悔してもしきれない。なっちゃんが多少嫌がっても聞き出すべきだった。なっちゃんのことをもっと知るべきだった・・。そうしたらこんなことにならなかっただろう。腕を見つめた。自宅で筋トレをして、最近少しだけ筋肉のついた腕。確かに彼女はこの腕の中にいた。ぼくらは何度も愛し合った。・・確かに、ここにいた。夢なんかじゃなくて。幻などでもなくて。なのに確信が持てない。彼女がこのベットにいて、ぼくらが確かに愛を重ねたという確証がない。確たるもの、証拠になるもの、かたちあるものー。そんなものはなにもない。

 ぼくがなっちゃんについて知っていることは。一人きりの布団のなか天井を見上げた。頭上のスモールライトがふたつ照らす薄暗い部屋。『暗い部屋では眠れないの・・』暗所恐怖症のなっちゃんはそう言った。これをして、あれをして、こうしたい、ああしたい・・。なっちゃんにすべて従った。けれどわがままに思えなかった。ぼくはそれだけ彼女が好きだった。彼女を愛していた。なっちゃん・・。時は一瞬でさかのぼった。友達がなにげに選んだ居酒屋で出会い、ひとめぼれした。名前は夏、ぼくのつけたニックネームはなっちゃん。赤色とバリ料理とはちみつと高菜入りチャーハンが好き、お酒に強い、クーラーとトマトとは走ることが嫌い、低血圧・・それからそれから?あとは?むなしさを覚えた。ぼくはなっちゃんについて何も知らないじゃないか。名字も親御さんのことも兄弟がいるかどうかも。どこで生まれたのか、どこで育ったのかも。どんな学校に通っていたのかも、どんな友人と付き合っていたのかも。彼女を形成しているもの。ぼくはあんなにもなっちゃんを愛していたのに。愛していたのがまるで嘘のよう。いいや、嘘なんかじゃない。ぼくは確かになっちゃんを愛していた。愛していた・・?本当に・・?自信が持てない。彼女を愛していた自分に自信が持てない。悲しみがこみあげてきた。なっちゃんがいなくなったことに対して。それ以上に喪失した自信に対して。


❇️ノートから2021年の記録というのが来て、全体ビューが3064回と書いてありました。3064回!!ありがとうございます!!本当に嬉しいです。励みになります。これからも睡魔に打ち勝ちます。どれが読まれているんだろう?本命か大穴のかな?とにかくありがとうございます!!😊😊😊😊