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小説≪①・明日は海の日。なっちゃんと出会った日・①≫

  なんて、うなじのきれいな人なんだろう。

 繁華街にある待ち合わせスポットで、ぼくは婚約者と待ち合わせをしていた。ふうう、どうにもならないってこと、か。見上げていた空から街中に視線をおろした。20メートルぐらい向こうにいる、ミディアムボブの女性が視界に入った。きれいなひと・・。天使の輪っかが見えた。きれいなストレート。太陽の光が何かにあたりきらりと光った。なんだろう。耳のあたり。ピアスかな。目をひそめた。白いピアス。小さな白いピアス。白い小さなピアス・・。

 視線に気がついたのか、その彼女はぼくに目を向けた。なっちゃんだった。いや、ちがう。なっちゃんによく似た女性。女性はピアスを左にだけついていた。なっちゃんも左にだけピアスをつけていた・・うん、そう。確かにつけていた。切れ長でひとえ、茶色がかったひとみ。ぷっくりとして赤いくちびる—共通点がこんなにも多い人がいるだろうか。ドッペルゲンガー以外にはいない。
「あの・・」
小走りし、その女性のそばで足を止めた。
「もし間違っていなければ」
  声は少し震えていた。彼女の隣にいる、ぼくより少し年上の男性がさえぎった。
「なにか?」
  彼は眉をひそめて言った。ナンパと思っているのだろう。だとしたら、ぼくは邪魔な存在でしかない。この男性はきっとなっちゃんと思われる女性の彼なのだろう。
「行こう」
  彼はぼくをにらみつけ、きびすを返した。女性は小さく会釈して男性の後を追った。
「あおいさん、遅くなってごめんなさい」
  後ろから急に声を掛けられて体がびくんとした。振り向くと、なにか白いものが視界に入った。ピントが合うと、それは白いワンピースを身につけたももちゃんということがわかった。・・・。彼女に気がつかれないようにそっと息を吐いた。呼吸を整えた。
「とんでもない。ぼくもいまきたところ」
  作り笑顔をももちゃんに向けた。ぼくは彼女の手をそっと握った。顔を赤くした彼女はおそるおそる手を握り返してきた。

  あれから6年たった。あの日、手の中のコインは数字の裏の面をむいていた。だけどぼくはコインの判断にあらがった。追いかけたって仕方ない。追いかけてどうなる?なっちゃんがもしこの先もぼくと一緒にいたければ、こんな行動に出ないはずだ。ぼくとは一緒にいたくない、ぼくを嫌いになった・・。もしそうであるならば彼女を追いかけることにいったいどんな意味があるだろう?なっちゃんとの思い出がそこかしこにへばりついているアパートに住むことがつらくなったぼくは、翌年の春に引っ越しをした。

 ある日、風鈴は突然割れた。物干し竿に結んでいたひもがゆるみ、落ち、バリンと割れた。赤い金魚はバラバラになった。大きなかけらを拾った時、手にちくっとした痛みが走った。見ると、人差し指から血がたらりとたれていた。それを口に含んだ。口の中に鉄の味が広がり気持ちが悪くなった。ああ、あの時と同じだ。言いたいことを我慢するためにくちびるをかんでいたあの頃。口の中に血が広がった。血が喉をゆっくりゆっくり流れていくのを感じていた。これはぼくを侵食する血だ。これはあの時と同じ。ぺっとそれを吐き出した。捨ててしまおう。デロンギのケトルは、ヒーター部分を床に落とし使えなくなってしまった。これを機にケトルもサーキュレーターも捨てた。

 スマホの端末は2回変えた。電話番号なんかのすべての情報を移し替えた。なっちゃんの連絡先も。それだけは手放すことができなかった。ぼくはスマホの画面を見つめた。そこにあるのは、なっちゃんの電話番号となっちゃんの笑顔のアイコンー。

 一緒に住みはじめて少しして、ぼくらは旅行に行った。海の近くの旅館に連泊した。サザエを食べるのは生れて初めてだわ、なっちゃんは口に入れたそれを眉をひそめながらもぐもぐとかみ、そしてごくんと飲みこんだ。これを大人の味っていうのね、なっちゃんは苦虫を噛み潰したようなような顔をした。そんな彼女をみつめながらぼくはくすくす笑った。ぼくらはご飯を食べ、内風呂に入った。裸のぼくらは何も面白いこともないのにくすくす笑い、キスをして、愛しあった。何度もお風呂に入り、キスをして、愛しあった。そんなふうに何時間も過ごした。次の日もそのまた次の日も同じことをした。最終日、起きたてのなっちゃんを撮ったらそんなの残さないでとどなられた。しゅんとしているぼくを見て、言い過ぎたわ、ごめんなさいとなっちゃんはぼくをだきしめながら謝った。そんなものよりきれいなわたしを撮ってよ。ぼくは期待に応えようと、メイクしたなっちゃんにスマホを向け続けた。
 そのなかの、そんじょそこらの女優さんに負けない笑顔のなっちゃんを選びアイコンにした。

✴️読んでいただいてありがとうございます。あおいとなっちゃんの後日談を書きました。前作をたくさんのかたに読んでいただけたので、少し調子にのりました。もう少し続きます。お楽しみに。