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小説≪⑪・明日は海の日。なっちゃんと出会った日・⑪≫

   ふうっとため息をついた。既製品が気に入らなかったのか、カラットの小ささか、ブランド名かー。たぶん全部だ。ハリー・ウィンストンで高いカラットの指輪、が母親の理想だろう。今回のぼくの指輪と真逆。高くない指輪にすくないカラットの既製品。そりゃ、おめがねに叶うはずがない。

   指輪のカラット数、いや、ブランド名を変えるため、ぼくらは翌週の日曜日に会う約束をした。ももちゃんになんて言って謝ろう・・。ももちゃんに八つ当たりするなんて、ぼくは子供すぎる。こないだはごめんね、ももちゃんの好きなパンケーキを食べに行こうよと誘おうかな。ぼくから手を握って。それから・・。
「あおいさん」
   待ち合わせの駅前にいたのはももちゃん、そしてその母親だった。
「お母さんがどうしても来たいっていうから。ごめんなさい」
  ぼくに駆け寄って来たももちゃんは、しきりにごめんなさいごめんなさいと繰り返した。
「ももちゃん、どうして謝るの?お母さん、ももちゃんのために来たのに。ねえ、あおいさん、迷惑じゃないわよね?」
「・・はい」
  迷惑なんて言えるはずないじゃないか。
「でしょう?ももちゃん、まずはどこから行く?」
「サイズ直しだけだから、ひとつに決まってるでしょ」
   見るとももちゃんは指輪をしていなかった。そうだ。サイズが合わないんだ。それに気がついた彼女は、バッグに入っているの。あおいさんからのプレゼントを失くしたら大変だもの。にこっとした。
「お母さん、ほかのブランドの指輪も見たいわ。いいでしょう?ね?」
  ももちゃんはぼくの顔を見つめた、少し泣きそうな顔をして。言いたいことは分かってる。強引な母親に従わざるを得ない。もちろんぼくの言うことなんて聞くはずがない。だからごめんなさい、そんな心のうちだろう。
「見るだけよ。後でいいわよね」
「もちろん。さっ、ももちゃん、行きましょ。お母さん、ハリー・ウィンストンのがいいわ」
   彼女の母親はぼくの顔なんてちらりとも見なかった。ももちゃんの手を取り、ずんずんと歩いて行った。いつもこんな風に行動してるんだろうな。ぼくは無視されたことも忘れて、そんな2人をぼんやりと見ていた。

    最初に行ったのは、ぼくが婚約指輪を購入したジュエリーショップだった。ももちゃんはバッグからリングケースを取り出し、店員さんにサイズ合わせをお願いしますと口にした。
「素敵なリングですね」
   彼女の言葉にももちゃんは、彼が選んでくれて、とぼくを見てにこりとした。ぼくは笑顔を返した。サプライズでくれたんですけど、ちょっと大きくてとももちゃんは続けた。サプライズですか?すてき。すてきな彼氏さんですね。うらやましい。その彼女の口癖は“すてき”らしかった。あまりの連呼さに少しわずらわしさを感じたけど、ももちゃんが気にしている様子はなかった。
 「直すのってどのくらいかかりますか?」
    ももちゃんは少し不安げに尋ねた。
 「早ければ3週間から、遅くても1ヶ月半くらいです」
 「よかったあ。指輪を早くしたくて。みんなに見せたいんです」
   大切な人からもらった指輪ですものね。店員さんはほほえみながらそう言った。ーき、金額はいくらですか?のどまで上がっていた言葉を飲み込んだ。彼女の前でお金の話をするのがなんだか恥ずかしかったから。調べておいてよかった。どこかのサイトに5000円から1万円程度と書いてあったっけ。ぼくにとっては直す期間よりもお金の方が重要なのに。
   そんなやり取りを、ももちゃんの母親は感情も出さずにただただ見ていただけだった。


    次に行ったのは母親の希望のブランド、ハリー・ウィンストンだった。
   銀座本店と書かれた重厚な扉に身構えた。この前は何度か通ったことはある。近くのドトールやコージーコーナーやみずほ銀行に行くために。でも、まさかこの中に入ることがあるなんて。なにもしていないのにやたらとどきどきして、おのぼりさんのようにキョロキョロと見回した。ぼくみたいな一般庶民の来る店じゃないな 。ももちゃんの母親はそんなぼくを横見で見て、自然に店の中に入って行った。
「あおいさん。行きましょ」
  ももちゃんからも動揺は感じられなかった。ぼくらは住む世界がちがいすぎる。
「ああ、うん、はい、うん」
   強盗ではありませんと心のなかで繰りかえしながら、ももちゃんに促されて店内に足を踏み入れた。

  「ご予約いただいていた✕✕様ですね」
  その言葉に彼女の母親の真意を見いだした。最初からここへ来るつもりでいたんだ。ぼくが望もうと望まざると。ももちゃんの、もうっと少し苛立ちげな声が聞こえた。
  女性店員に促されて2人はカウンターの椅子に腰を下ろした。ぼくも慌ててももちゃんのとなりに座った。ガラスケースの中ではリングだのネックレスだのが煌々と光を放っていた。
  「ここで買って、この足でおばあちゃんに指輪を見せに行きましょうよ、ももちゃん」
「どうしてもうひとつ必要なの?」
  ももちゃんは少し強めの口調で答えた。
「この前のペンダントだってよく似合ってたわ」
「なんの話しをしてるの?」
「大学に入ったときの話しよ」
「そんなことは知ってる」
   2人のやり取りを聞いていると、ももちゃんは大学入学のお祝いにこの店でペンダントを買ってもらい、友人の結婚式などに使っているらしい。10代からそんな高いものをプレゼントしてるんだから、安いリングをプレゼントしたぼくを敵視するはずだ。それも婚約指輪っていう大切なものを。
「ごめんなさい。婚約指輪はもう買ってあるんです。なにかの機会があったらお願いします」
  ももちゃんは立ち上がった。ぼくの手を取り。
「ももちゃん!」
   ぼくらは足早に店を出た。彼女の母親の声を背にして。


✴️読んでいただいてありがとうございます。子離れをしないとだめですね、ももちゃんの母親は。ももちゃんはとっくの昔にしてるのに。愛するももちゃんをあおいに取られたからって、あおいを敵視するのはやめて欲しい。わたしの可愛いあおいなんだから。