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10年経つと

macしかない環境ですと、CDというデバイスを使うことが、ホントになくなりました。音楽は、Apple musicでダウンロードか、YouTubeですので、音楽用のCDプレーヤーもありません。
そこで困ったのが、「お経の練習」。YouTubeにUPされてるのは、「大谷派(東本願寺)」なので、作法が全く違います。
宗派(西本願寺)から、練習用のCDが2枚出てます。それをiTunesに入れて、iPhoneで練習しようとすると、macにCDのデバイスが必要になります。1台、古いWindowsのノートがあるので、共有をかけて使えないかと試行錯誤しましたが、うまくいきませんでした。
さあどうするか。
iMacに外付けでBlu-rayをつけるか?
映画は観れる、でも映画はAmazonかNetflixとかで観るし、CDでデータ納品もほとんどなく、クラウドでやりとりなので、使用頻度はほぼなしのような気が…。
やっすいCDラジカセを買うか?
→そうすると、そのCDラジカセを持ち歩ける場所でしか、練習できない。(それでいいんですが…。)
この2択なのですが、シンプルに、CDラジカセを買うことにしました。でも、CDラジカセって、量販店で種類ないんですね。
そんなことをかみさんとコーヒーを飲みながら話をしていますと、「デジタルガジェットに生活を左右されるのってどうなん?」という、大きな釘を刺されました。お寺の仕事では、まだFAXが活躍してますし、電話でのやりとりも多いです。ビジネスの世界では、これは「ムダ」なことではありますが、「効率化」で割り切れないところに、ぼくがやらなきゃいけないないことがあるって、気づかされました。
メモ書きやスケジュール管理も、一旦「手書き」に戻してみました。会議でPCでチャカチャ打って、すぐに議事録とか、メッセージにして効率化しているように見えても、全く頭に入ってないですし、そこから新しいアイデアもヒントも生まれないんですね。単なる「作業」になってしまってました。手書きするという「思考」を入れることで、書いた後で忘れてしまっても、頭の中で整理ができています。整理したものを、メッセージアプリ(slackやFacebookのメッセンジャー)で送ったり、スケジュールは家族や外部と共有している、Googleカレンダーに入れてます。メールはほとんど使わないですね。今使っているメディアで、一番不便ですね。
肝心の「お経」の話に戻りますが、日々お勤めしないと、やっぱり忘れますね。譜面があるようで無いので、練習あるのみです。

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