術後から退院まで
手術が終わり、21時頃目覚めた。
薄暗い病室。
足につけてもらったフットポンプのコンプレッサーの単調な音が静まり返った病室に響く。
朧げな頭で「あぁ、手術したんだっけ」と。
まだ身体に色んな管が付いているので寝返りも打てない。
「あ、気がつきましたか?」
夜勤担当の看護師さんが様子を伺いに来てくれた。
「口の中が気持ち悪いです。」
「お水は術後6時間、23時まで飲めないです。お口ゆすぎましょうね。」
ベッドに横たわったまま、ペットボトルにストローを刺して口に含ませてくれる。
私の娘でもおかしくない年頃の若い看護師さんは、まるで母親の如くあれこれ世話を焼いてくれた。
くすぐったい感情だが幸せにつつまれる。
あったかい。
少しウトウトして23時。
給水の時間だ!
看護師士さんが冷蔵庫からキンキンに冷えたお水をくれた。
プファー!美味い。
一大プロジェクトやり遂げたあとの生ビールに匹敵するくらい美味しかった。まさに、生き返った。(死んでないけども)
その後、酸素吸入とフットマッサージを取り外したのだが1番取りたかったのがオシッコの管。
この管がめちゃくちゃ邪魔で抜けてしまいそうな恐怖から寝返りが打てない。身体を起こすのも微妙。
「立って歩けますか?歩ければ取っちゃいますよ?」
クララになった気分でベッドから立ち上がる。
まあ、オッパイ切り落としただけなので下半身は問題ないのだ。ヨボヨボながらドヤ顔で歩いてみせた。
「問題なくトイレもいけそうですね。取っちゃいますね!」
テキパキと準備をして管を抜く。
「なんか申し訳ない」
下の世話をしてもらうのは赤ちゃんの時以来。
しかも赤の他人に。お仕事とはいえ嫌だろうに。
本当に大変なお仕事だ。プロフェッショナルである。尊敬しかない。ありがとう。
彼女たちにこの時代にもセクハラ紛いの言葉を投げる患者もいるとネットかなんかで読んだことがある。マジで許さん。
そんな奴ら、強制退去でいい。患者はお客様ではない。お客様は神様でもない。
失礼、話が逸れた。
諸々から解放され、少し病室内をウロウロして固まった身体をほぐす。腰が痛い。
スマホをいじる事を許可してもらったので、家族や友人、職場仲間や上司に安否の連絡を。
ターミネーター(3?)のシュワちゃんよろしく
" I'm back! "の連投。
胸は痛み止めの点滴のおかげか、特に痛みも感じなかったがひきつれる感じは残っていた。
エキスパンダーが違和感。
翌朝から常食となり、普通にどんぶりご飯が出てきた。
これがまぁ、美味い。
病院食が美味しくないなんて、都市伝説。
見た目はまぁ渋いが熱いものはアツアツ、冷たいものはキンキン。
ペロリと平らげた。
朝から主治医と形成外科の先生が入れ替わり立ち替わり様子を見にきてくれた。
手術痕を見せるのでパジャマと下着をひろみGoよろしく脱いだり着たりを繰り返す。
「綺麗ですねー。いい感じ」
初めて見た手術の痕はどうみても綺麗とは思えなかった。脇の下から乳房にかけて縫い傷がある。乳首もとってしまった。ただ、エキスパンダーが入っているのでいくらか膨らみが残っていた。
喪失感が少ない。
それはそうなのかもしれないな、と思った。
オッパイには排液を排出するためのドレン管が刺さっていてポシェットに収納された手榴弾みたいな形の入れ物に溜まっていく。
私は退院の前日に抜くことができた。
これ、抜けないとお持ち帰りになるらしく意地でも抜いて帰りたかった。
(意地でどうにかできるものではないのだが)
朝昼晩、地味にリハビリ体操を頑張った。
本当に地味な体操だけど馬鹿にするものじゃなくやった方がいい。術後3日後には腕は頭上まで上げられるようになった。
退院まで、ただひたすらにネトフリを観まくり、院内をグルグル散歩するという退屈な日々を過ごした。コロナでお見舞いも来てもらえないし。寂しい限りだ。
先に記載したとおり、退院の前日ドレーン管もめでたく外れ11日間の入院生活が終了した。
(10日間で退院予定でしたが、お迎えに来てもらう関係で1日延長してもらいました。)
病理検査の結果が出るまで5週間。
その後、抗がん剤治療が始まる。
今思えばこの期間が癌宣告後、一番穏やかに、ゆっくり出来た期間だったと思う。
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