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カネコアヤノを聴いて「あと25年遅く生まれたかった」と思う自分がいる

10代から洋楽というものを聴くようになり、いわゆるロック名盤を聴いていたときによく「あと10年早く生まれたかった」と思うことが多々あった。

レッド・ツェッペリンの来日公演を見たかった、ピンク・フロイドの『狂気』を何も知らない状態で「新曲」としてライヴを見たかった、なんて思ったり、10代後半でザ・スターリンを聴いたときもせめてあと5年早く生まれてれば初期のライヴを見ることができたかもしれないとか、とにかく後追いではなく、リアルタイムであのアルバムを聴きたかったというのがこれまでにたくさんあった。

1968年生まれの俺にとっては70年代ロックを直に体験した世代の人たちが羨ましかったが、俺は俺でYMOが出てきた頃とか、マイケル・ジャクソンの『スリラー』のPVの衝撃とか、人によっては羨ましいと思われる体験をしているけど、きっと誰もが自分が体験できていない出来事についての憧れというのはあるだろう。

1968年に生まれたことはいろんな意味でちょうどよいとずっと思っていた。古きも新しきも良いバランスで体験できているから。

しかし2023年、俺は初めて「あと25年遅く生まれたかった」と思うようになった。そう、全部カネコアヤノのせいだ。

今年リリースされた『タオルケットは穏やかな』をサブスク上でオススメされて、何気に聴いてみた。それまでカネコアヤノって名前は知っていたけど、あいみょんのマイナー版みたいなイメージしかなかったので、なるほどこんな感じなのねと思ったのが最初だった。

しばらくして、思い出したように同アルバムを聴いたときに俺の中で電気が走った。なに、この人なんか凄くね?と。ヴォーカルに惚れてしまったのだ。声の張り方、振り切れ方が俺の想像をはるかに超えていたのだ。

これを機に『タオルケットは穏やかな』を繰り返し繰り返し聴き、サブスクじゃ我慢できずCDを購入。そして過去作もCDを買い、いまは主に4枚のアルバムを延々と繰り返し聴いている状態だ。

左から『祝祭』『燦々』『よすが』『タオルケットは穏やかな』

カネコアヤノは2012年から音楽活動を始めていて、メジャーレーベルに所属していたこともあるが、フリーを経て今の活動の原点ともいえる3枚目のアルバム『祝祭』以降をもっぱら聴いている。このアルバムからはバンド編成でのアルバムと、弾き語りバージョンのアルバム2種類をリリースしている。しかもアナログとかカセットテープでのリリースもしていて、遅れてきた俺は当然この辺は手に入れられてない。

家ではアルバムを聴きながら、過去のインタビュー記事を探しまくっては読む。何せテレビとかメディアにほとんど出てこないし、まだ行ったことがないけどライヴではMCもしない、バンド編成のライブでは楽しそうにやっているけど、弾き語りライヴは「戦い」と言うぐらい鬼気迫るような感じらしくて、知れば知るほど彼女の魅力に憑りつかれていく。

だからと言って彼女の歌詞は何かを変えてやろうとか、批判してやろうといった類ではない。身近なテーマで、聴いていると少し前向きになれるようなそんな感じ。かと言って人生の応援歌的でもない。日々の情景や儚さを感じる。

ひとつ分かったことは、彼女は基本的には「ダメ人間」だと思うw。バイトは喧嘩してやめちゃう、就職したくない、家事出来ない、計画性が無いと言ってて、彼女から音楽を取り上げたらそれこそ廃人となってしまうだろう。だからこそ誰にも指図されず、自分のやりたい音楽を目指してここまで来たのではないかと思う。

そんなカネコアヤノの音楽を聴いて、俺はあと25年遅く生まれたかったと初めて思った。こんなおっさんになってから出会うのではなく、同世代として彼女の音楽に接したかった。一緒に歳をとっていきたかったと思った。何で俺は1968年に生まれたのかと。彼女と同世代の人たちがとても羨ましい。この先もリアルタイムで彼女と同じような感情を共有できるわけだし。

そんなことを思いながら、いまも『タオルケットは穏やかな』を聴いている。今年聴いたアルバムの中で、すでに俺の中ではベストを獲得している。あとはライヴを見るだけ、11月30日(坂本慎太郎とのツーマン)が待ち遠しい。「アーケード」を聴きたい。


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