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キヨメの慈雨 第三話 (ジャンププラス原作大賞・連載部門応募作品)

「チコ、もうひと頑張りだよ!」

 その言葉に適当に応えつつ、チコは内心で舌を巻いていた。

(肉体の水への変化は消耗が激しいというのをわかっていながら、全身を水に変えてさらにそれを操作し小窓から外へ脱出したか。この小娘、凄まじいな。コトナリを見ても大して動じることはなく、戦闘が始まっても取り乱すことはなく、能力を手にしても迷うことはない。ノリがいい、というやつなのか適応力が異常に高いのかはわからんが、この戦いは勝つな。それどころか、どんな敵にも勝つかもしれん。私の記憶を取り戻すにはコトナリを食って力を付けるのが早そうだが、上手く使えばこの小娘、積極的に他のコトナリを倒してくれるかもな)

 そう打算を働かせつつチコはどこかへ向かう意澄についていく。意澄は家の裏側にあった小窓から家の表、玄関側へと駆ける。

「靴下で走るとやっぱ冷たいな。家の中に靴置いてきちゃったし。それにしても、全身水にするってもしかしたら服は置き去りで外に出たら全裸でした、みたいな展開になるのかと思ったけどそんなことなくて良かった」

「まあ、そこは認識の違いだろうな。お前が服と肉体を別物だと考えていたなら、お前が期待していたような展開になっていただろう」

「期待してない!そんな趣味ないからね!」

 否定しつつ、意澄は家の正面に出た。

「······逃げるか?それか警察を呼ぶか。我々コトナリの存在は伏せてほしいが、増援を呼ぶのは悪くないな」

 すると意澄は首を横に振って、

「外には出たけど、逃げはしないよ。ただ、屋内にいるとやりにくいから」

「······?」

「あれ、チコは寝てたから、お母さんの寝言聞いてないんだっけ?」

 昼間に意澄と出会った後眠りにつき、気づいたら危険な状況になっていたというチコには意澄が何を言いたいのかわからない。もう少しかな、と呟いて意澄は空を見上げ、後ろ歩きで男の家の敷地から出ようとする。そのとき、チコは慌てて叫んだ。

「意澄!止まれッ!」

 大丈夫、と意外なことを言って意澄がチコを見た瞬間、意澄の足が何かに触れた。家の敷地を区切るように張られ、電柱や近所の木やベランダの物干し竿に結ばれた、見覚えのある縄に。

 縄は意澄の足に一瞬で巻きつき、彼女を三メートルほどの高さまで吊し上げた。スカートがめくれるが、体操ズボンを履いているため秘密は守られる。玄関が開き、男が気味の悪い笑みを浮かべながら出てきた。その足元には下顎が妙にがっしりしたバクもいる。

「君が逃げる前に、あちこちに縄を張り巡らせておいて良かったよ~。おかげで、初めて女の子の逆さ吊りを見ることができた」

「張り巡らせたのはおれだがよお。さあ、早くそのちっこいコトナリをおれに食わせてくれ。上級を食えばおれの力も強くなり、もしかしたら上級になれるかもしれねえ。そうすれば、お前もおれももっと楽しめるぜえ」

 男とジョーバクがゆっくりと意澄に歩み寄る。

「どうしたのそんなに濡れちゃって?全身びしょ濡れじゃないか。逆さになったことで垂れてきちゃったかな?君も本当は楽しみにしてたんだろう?」

「それか汗かもよお。こりゃあずいぶん消耗しちまってるんだな」

 口々に言いながら、男とジョーバクが玄関からの段を下り、屋根の外に出る。そこでようやく、二人は雨が降り始めていることに気がついた。そこでようやく、チコは意澄の狙いに気がついた。



「罠にでもかからなきゃ、あんたらが屋根の無い所に出てきてくれないと思ったんだよね」


 スパッ!と意澄を吊るしていた縄が切断された。意澄は空中で半回転し、両足でしっかりと着地する。驚く男に、意澄は簡単な事実を告げる。

「チコの······そしてわたしの能力は水を操ること。だから正直、水道を封じられたときはやばかったよ。めちゃくちゃ有効だったから、あれ。でも、雨が降っちゃえば水道なんか使う必要が無い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。あんたもこの街に住んでるなら雨を恨んだことぐらいあるんじゃない?例えば三年前の夏とか、例えば今この瞬間とか。わたしも三年前は恨んだけど、今はすごくありがたいよ。慈雨ってやつかもね。だって武器が降ってきてくれるんだから」

 雨に打たれながら、意澄は口の端をもち上げた。その眼は男を捕えて揺るがない。決して細くはない縄が水の操作によって切断された後だ、男は意澄の言葉を呆けたように聞いていたがやがて思い出したように家の中へ逃げようとする。

 それを意澄は許さない。

 いくつもの雨粒を収束させ、高速で放つ。それは男の膝裏を打ち、男はガクッと地に膝を着く。

「逃げるの?わたしはあなたの顔も住所も知ってるよ?あなたが何をしたのかも。わたしから逃げちゃったらまずいんじゃない?」

 それは、挑発だった。その声色から悪意が感じられないからこそ、逃げる者の心を逆撫で、足を止める。何てやつだ、とチコは口の中で呟く。

「お、お、お前!楽しませてやらないからな!すぐに殺してやる!」

 男が激昂し、十指から縄を走らせる。それだけでなく、先ほど意澄を縛っていた切断された縄を復活させ、意澄に向かわせた。

 だがそんなものはこの雨の中では通用しない。

 雨粒を自在に操った意澄が、縄を切り、断ち、潰し、壊す。しかし、決して男を雨粒で叩くことはしない。周囲の雨粒が暴れまわる中、意澄と男を結ぶ直線上はただ静かに雨が降り続いている。まるで、もうそこしか道は無いと示すように。

「あなたの能力なわはもう効かない」

 厳然と、意澄は告げた。

だから・・・、かかってきなよ」

 取り乱したように男が叫び、素手で突撃してくる。それに対して意澄が選んだのは、拳。雨粒で打ち抜くことも、水塊で包むこともできた。しかし、それでも意澄は拳を選んだ。降り続く雨を右手に集約させ、本来の自分のものよりもふた回りも大きな拳を作り上げる。

 そして、男が意澄の間合いに入った。

「うおおおおおおおおおりゃあッ!!」

 意澄が全力で振り抜いた右手は、巨大な水の拳を超高圧でぶちかます。その拳は男の顔面を直撃し、そのまま体ごと5メートルほど吹き飛ばして玄関に叩きつけた。眼鏡はぐしゃぐしゃに歪み、男は気を失っていた。

「······勝った、よね?え、これって変なフラグとかじゃないよね」

「さあな。気になるんだったら確認してみろ」

 意澄が男に近づき足で小突いてみるが、やはり反応は無い。とそのとき、男の傍に下顎が妙にがっしりしたバクが現れた。ひどく疲弊した様子のジョーバクに、チコは近づく。

「お前の負けだよ。大人しく私に食われろ」

「へ、へへっ、しょうがねえよなあ!上級になんか勝てねえよ!」

「······ねえチコ、さっきからあなたもこの子も『食う』とか『食われろ』とか言ってるけど、どういうことなの?」

 するとジョーバクが驚いた声で、

「何だお前、コトナリの仕組みを知らねえのか?おい上級、お前はあれかよお、秘密主義者かよお!」

「別にそういう訳ではない。私とこいつはつい数時間前に出会った。説明する時間が無かっただけだ」

 それを聞いてジョーバクは呆れたように笑って、

「ははっ、本当かよお。これがおれみたいなザコと上級の違いかよお。いいぜえお嬢ちゃん、教えてやる。コトナリは人間が必要としたときに、それを嗅ぎつけて現れるんだ。そしてそいつに取り憑き、そいつの精神・生命両方のエネルギーを分けてもらう代わりに力を貸すんだ。取り憑いている間は、コトナリは不死身さあ。取り憑かれた人間『コトナリヌシ』との結びつきがあるからなあ。だがヌシに必要とされなくなったとき、あるいはヌシが心か体にダメージを受けたとき、結びつきが弱まる。そうなったらピンチだあ。ピンチのコトナリは、他のコトナリに食われちまう。コトナリが力をつける最大の手段は、ヌシのおこぼれを貰うよりも他のコトナリを食うことだからなあ。今、おれはヌシとの結びつきが弱まっている。だからお嬢ちゃんに憑いてる上級に食われる定めってことだよお」

「そう······なんだ」

「ああ。意澄、力をつければ私の記憶が戻るかもしれないということだ」

 そう言ってチコはジョーバクと眼を合わせ、

「······食らうぞ、お前の命」

「いいぜえ。強くなれよお」

 その瞬間、ジョーバクの体が光に包まれ、やがて霧状の粒子となった。それは大きく開かれたチコの口に吸い込まれ、消えてしまった。

 チコは目を閉じてしばらく無言だった。それを見た意澄が男をどかして玄関を開けると、チコは目を開き、

「どうした意澄、靴を取りに行くのか?」

 それに対して意澄は、

「ううん。チコが、相手の命に対して何かを思ってたみたいだからさ」

 その口調は照れているようだったが、その顔は決して笑ってなどいなかった。

「わたしも手を合わせにいくの。クソ野郎に殺されて浴槽に押し込められた女の子に」

 そうか、とだけ返して、チコはそれ以上何も言わなかった。

 それにしても、とチコは思う。

(逃げればいいものをわざわざ自ら殴り飛ばそうとしたり、的確に戦況判断や能力の応用をしたり、相手の突撃を誘うよう煽ったり、何なのだあの小娘は。何が没個性だ、強烈な個性せんとうセンスの塊じゃないか。コトナリを見るのも戦闘をするのも初めてではないのか?必死だったとはいえ、得体の知れない者をヌシにしてしまったものだ······)

 意澄が靴を履いて戻ってきた。途端に疲労が押し寄せてくる。チコが眠ろうとしたそのとき、背後でブレーキ音がした。

 振り返ると、シルバーのワゴン車が停まっている。天領市の市章が貼られている。市役所の車らしい。

 助手席から男が降りてきた。白髪だが若い男だ。若者は玄関で伸びている男を一瞥し、尋ねた。

「あれは、君達がやったのか?」

 チコは、若者から異様な気配を感じた。


〈つづく〉


 

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