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ほっと一息、大学4年間を振り返ろう

みなさん、こんにちは!
久しぶりにNoteを書こうと思います。
今回は少しでもクスッと笑えたり、勇気づけられたりできればなと大学4年間を振り返ろうかと思います^^
至極光栄なことに2023年度の大学学生表彰者に推薦されました。
これまで僕と関わっていただいたみなさま、心から感謝申し上げます。
このような名誉ある賞を頂くまでの大学4年間の道のりを今日はゆっくりと振り返ります。


この大学4年間を一言で表現するならば、僕はこう表現します。

簡単な日なんて一度もなかった。

毎日が自分との勝負であり、苦悩の連続だったからです。
かといって、堅苦しく書くつもりはないので岡田の4年間の本を読む感覚でご覧ください^^

1回生

アルバイト1ヶ月でクビに。

僕の大学生活は衝撃の幕開けでしたね、、、笑
というのも、高校生活が終わり人生初めてのアルバイトを始めました。
その時の僕は高校時代に培った気合いと根性さえあれば、この社会を渡り歩けると思っていました。勿論、気合と根性さえどうにかなる場面はありますが、時としてそうではない時もあります。
僕は初めてのアルバイトを1ヶ月でクビになりました。

理不尽な解雇という訳ではなく、コロナにより経営が難しくなり人員削減を行わないといけない状況に陥ったためです。
そりゃ社会のこと何も知らない若造がいきなり会社に貢献できるわけもなく、教育コストなども考えると妥当な判断だったと思います。

でもこれが僕にとって衝撃かつ人生の大きな転機でした。
解雇された時に僕が何を感じたかというと、
「あぁ、自分がもし会社から本当に必要な人であれば、こんな風に解雇されなかったんだろうな」と感じました。
正直に本当に悔しかったです。若干18歳の若造には刺激が強すぎたかもしれません。でもこのような苦渋の決断を僕に下してくれた店主には心から感謝しています。
僕は心の中に強く誓いました「自分がもっと成長して、誰かに必要とされる人間になったら、またこの店に戻ってご飯を食べよう」と。

その時に初めて、「あ、頭を使って勉強しなきゃ」と思いました。
僕の小さな小さな脳みそに僕は無限の可能性を感じていました。
なぜかというと、僕は身体的な限界を感じていたからです。
サッカーは高校時代でやり切ったと自負していました。
「もう限界」と思えるほど、僕はトレーニングに打ち込みました。
それでも夢を叶えられませんでした。だから僕は身体的に限界を感じていました。

初めての勉強。

そんなことを思い、僕が勉強をしようと志して最初に読んだ本は脳科学に関する本です。

僕って本当に単純な人間で、少しでも可能性を感じると突っ走ってしまうんですよね笑
僕はお小遣い握りしめて書店に行きました。そこで目に入った脳科学に関する本を買いました。
本を読むに連れて「へ〜!やっぱり脳みそって無限の可能性ある!!」と思い込んでいました。
今考えると新手のマインドセット方法ですね、笑

いろんな本を読み漁ってるうちにあることに気づきました。
それは「ほぅ。これからの世界は英語・会計・ITがあれば希少価値の高い人間になれるのか」と気づきました。

当時の僕は英語もまともに勉強したことないし、数学どころか算数もちょっと怪しいし、パソコンなんて使いこなせたもんじゃなかったです笑

でも当時の僕には2つの原動力がありました。
それは気合根性と脳の無限の可能性です。

どんなに時間がかかっても、苦労しても俺は何としてもやり切れる。

そんな根拠のない自信で溢れていました、笑

「んまぁ、でもいま視野が狭くなってる気がするし、井の中の蛙にもなりたくないから、このオンライン授業で時間もたくさんあるし、Twitterで見かけた1on1ってやつしてみるか!」

と思い1on1とやらを始めてみました。
人と話せば話すほど、この世界の大きさと色んな人がいるんだなぁと多様な価値観と生き方を知ることができました。
結局あの時は100人くらいと話したんじゃないかなと思います。
とにかく新しい刺激を得ることが大切だと思っていたので、いろんな人に声をかけては時間を頂いていました。
ご協力していただいた方々、本当にありがとうございました!


資格ってやつがあるらしいぞ。

僕は何となく読書して勉強してという日々に不満を持っていました。
「これって結局、自己満足なんちゃう?」って思うようになり、目にみえる結果を出し続けないといけないなぁと思い、大学の資格センターにドアノックしたことを覚えています。笑

今考えれば思い立ってから初動までが早いな笑笑

そして担当の方に僕はこう言ったのを覚えてます。
「めっちゃ成長したいです!何か大学一年生におすすめの資格ありませんか?」
単純すぎる。。。笑
そこでおすすめして頂いたのが、MOSのWordです。
説明するとWordを使いこなせるかどうかの資格です。笑

今考えれば、使えて当たり前ですが、当時の僕からしたら「うぉ、むず!」って感じでした。パソコンの使い方もわからない機械音痴なのにWordなんて、、、って感じです笑

なんやかんやで試験に合格して大学の春学期初めにして、パソコンの使い方を少し学びました。

実はこれが功を奏しました。
コロナによりオンライン授業でしたが、まさか春学期も秋学期もまたその翌年もオンライン授業になると思っていなかったからです。
僕はWordやPPTの使い方を知れたおかげで、授業に遅れを出すことは全くなくなりました。パソコン操作に関しては、ってだけですが。笑

僕はサッカーに全てを捧げてきたので、大学に入学してから周りの学生や授業について行くので必死でした。。。
かと言って「ちゃんと勉強しとけばよかった。。。」って後悔はありません。
なぜなら気合と根性だけは誰にも負ける気はしなかったので。😂
とにかく教科書読んで、授業の復習して、自己理解して何とか授業にしがみ付きました。

当時の僕は非常に単純でした。何かイベントがあればすぐに手を上げて参加するようにしていました。
僕は体育会サッカー部に所属していました。
当時の4回生の先輩方で就活コミュニティ的なものがありました。
確かあの時3、4回生向けのイベントでしたが、僕は手を上げて「参加していいですか?」ってお願いしたのを覚えています。
あの時に快く受け入れてくれた先輩に心から感謝しています。

そのコミュニティに入ると、全国の体育会学生が集うもので名だたる大学の選手がたくさんいました。
有名大学の方ばかりだったので、やはり就職先は大手メーカーや大手総合商社です。
僕は大学入学前から世界で環境問題を解決する人間になりたいと思っていました。でもまずはとにかく世界にいかなきゃと思っていたので、僕の目には商社が光っていました。

そんなこんなで、「よし、商社に行くなら貿易の勉強するか!」って言って貿易実務検定の勉強をして合格しました笑
試験には1回落ちたんですが、再チャレンジで合格しました!

思い立ったらすぐ行動、そして成功するまでやり続ける精神は高校時代に研鑽されたものだと思っています。

あーそれと会計も勉強しよう!数字が読めることは大事だから簿記の勉強しよう!と思い立ち、毎日朝の1時間を2ヶ月継続して簿記3級に合格しました!

別に資格があったから何か得した訳ではありませんが、自分の成長が目にみえることやいつまでに何をどうやって達成するのかと戦略的に行動することを身につけられたのかなと思います。

岡田英語に目覚める。

これは人生を変えたと言っても過言ではない出来事です。
先ほども書きましたが、僕は世界の環境問題を解く人間になりたいと入学前からぼんやりと思っていました。でも「世界って言ってんのに英語話せないってホラ吹きやん」って思ったので、「よし、やったろ」と腹を括りましたね。

んで、岡田が1番最初にしたことは「最上級英語クラスに入る」ってことです。
これは昼休みの課外クラスだったので、誰でも入ることができました。
僕は当たり前の基準を高めないことには一生英語話せないまま終わると思い、「English Discussion seminar」に登録して入りました。

感想、何言ってるか全くわからん。です。笑
でも同世代に人たちが英語話せてるから、自分にできない訳がないと思いました。
正直あの環境にいた時に何を感じていたのかというと強烈な劣等感です。
翌週は行きたくないなぁ。と思いつつ、「いや、俺が決めた目標や。やりきるぞ」と思い毎週通い詰めました。

聞かれてもYesしか言えない岡田を優しく接してくれた先輩方、先生には本当に大感謝です。いまでも大好きな先輩たち、先生方です!

僕はこの英語を始めたタイミングから最難関留学プログラムである、交換留学を目指していました。
環境問題を学ぶならドイツ!っと単純な意思決定でずっとそこを目指して英語の勉強をしていました。(留学先の学校は英語で授業が行われるのでドイツ語を学ぶ必要はありませんでした)

僕は英語学習において非常にお世話になった先生がいます。ここでは名前を伏せますが、僕の恩師でもあります。
僕は本気で英語を話せるようになりたいと思うがあまり、先生のもとを訪ねて、カタコトの英語で「とにかく宿題をください。本気で英語が話せるようになりたいです。いや話せるようなります」と直接伝えました。
その日から、毎日のように宿題をくれました。

そして僕も毎日のように500単語以上のエッセイを書いては添削をお願いしていました。毎日ですよ?笑
本当に骨を折れる学生だったかもしれませんが、本気で向き合ってくれた先生に心から感謝です。

さっき、交換留学を目指す話をしましたが、必要英語要件がIELTS5.5でした。当時の僕はIELTS2.5とかでした。
具体的に説明すると、IELTS 1.0上げるのに1年かかると言われています。
僕の留学応募締め切りがちょうど1年後でしたので、、、、「え?3年くらいいるやん」って絶望を感じた瞬間もありました。
でもさっきも言いました、苦労しても俺は何としてもやり切れる。という根拠のない自信でやり続けました。

当時は1単位の必修科目や部活もバイトもあったので時間捻出するのに苦労しました。でも隙間時間を使って単語勉強や、移動時間でPodcast聴いてリスニングや、少し時間があればスピーキングやと時間をとにかく1分も無駄にすることなく使っていました。
あの時は1日平均5時間は必ず勉強していて、休日は12時間勉強していました。だから朝練の日ももちろんあったので、4時に起きて学校に言って家に着くのが23時とかはざらにありました。
それでも決めた目標は必ず達成するという執着心のもと打ち込み続けました。

何度も試験を受けるも、全く英語条件に届きませんでした。
本当に悔しくて、悔しくて、それでも必ず。と言い続けました。
最後の最後の「これダメだったら留学は諦めよう」と思ったIELTSの試験で何とかIELTS5.5を達成することができました。
あの時はもう感無量でしたね。
自分に向かって「ほら、3年分くらい余裕やろ」って言ってやりました。笑
ずっと逃げ出したくなる自分と向き合い戦ってきたので、自分に勝った瞬間は嬉しかったですね!

1年生の総括。

最初の大学1年は将来の自分を只管考え行動し続ける1年間でした。
どんなに苦しい時も、諦めたかった時も、明確な臨場感のある目標を掲げ続けることで僕は前に進み続けられました。
気合と根性。よく脳筋やなって言われますけど、僕は捨てたもんじゃないと思います。
無尽蔵に戦える精神力と体力に少しの頭脳が加われば、何とかなる。
自分を証明する戦いだったなと思います。
また僕の人生においてこの大学1年生が1番大切だったんじゃないかなと思います。
今こうして振り返ってみると、ここで全ての土台が構成され始めていたことに気付きました。

今更ながら、あのとき先ずは「無知の知だ!」とかいってアホはアホらしく知らない自分を受け入れて、愚直に謙虚に努力し続ける大切さを忘れず徹底出来てよかったなと思います。

2回生

2回生は体育会と英語と環境問題に関することにフルコミットでした。
だからかわかりませんが、この3つしか記憶がありません。笑
英語はさっき話したので、今回はサッカー人生最後のシーズンと僕の恩師との出会いのお話をしようかと思います。

詳しくはこちらの記事にありますので、お暇な方はぜひ。

サッカー人生ラストシーズン

コロナ規制が緩和され始め、グランドトレーニングが再開し始めました。
これは僕にとっては非常に大きなことでした。

なぜなら、家から大学まで2時間弱かかるので、朝練だともちろん始発です。笑
それからまだ2回生なので授業が朝から夕方まであったので、正直生きてる心地はしませんでした。
でも試合勝つ喜び、みんなで喜びを分かち合う瞬間だけは「あぁ生きてる。最高だぁ」と感じていました。

休む暇なく部活も授業も英語も環境に関する勉強もしていたので、あの時息してたっけ?って感じです😂
んまぁ、してたから今も生きてるんだけど笑

人生最後のシーズンは毎試合、全てのシュートストップ、全てのゴールセレブレーション、鮮明に残っています。

全てが終わった最後の試合、僕はゴールに腰がけて向こう側のゴールを見ました。
「あぁ。夢叶えられなかったな。でも最高に楽しい15年だったなぁ。あと少し届きそうで届かなかった夢。そこに見えてたはずなのに、まだ遠かったみたいや。」と。僕は小学生の時に下敷きの裏に「しょうらいのゆめ」って書いて毎授業ニタニタしながら夢を考えていました。

ぼくはオリバーカーンよりすごい、せかい1のゴールキーパーになる。

と書いていました。ちなみにまだ僕の部屋にあります笑
僕のオリバーカーンの印象的な姿はW杯の決勝に敗れてゴールに腰がけるシーンです
僕の最後の試合後にはそんなオリバーカーンのことを考えていませんでしたが、気づけば腰掛けてあの日を振り返りながら号泣していました。

あぁ簡単な日なんてなかった。だけど最高に楽しかったなぁ。

恩師との出会い。

2年生の秋学期あたりから、僕の大学ではゼミを選ばないといけません。
僕の学部は国際教養学部だったので、他の学部のゼミを取ることができませんでした。(いまは変わったかも知れませんが。)

僕はなんとしてでも環境問題のことについて学びたかったです。
具体的に何が学びたいの?って言われると当時は何もありませんでした。
もうとにかく環境問題を学びたい!

と、こんなにも熱だけある単純な学生でした。笑

勿論、僕の学部は国際系だったので環境系のゼミはありませんでした。
それでも、環境問題について学びたい!!!!っていう思いが止められなかったので、いろんな人に相談をしたり、大学のポータルサイトで調べたりしていました。
そこで環境問題について教えている先生を見つけました。
その瞬間にメール文を書き始め、とにかく長文で思いを伝えました。

いきなりあんな長文きたら困るってくらいの文を書いた気がします。笑

それでも先生が僕を受け入れてくれて、毎週金曜曜日の5限の90分間を僕のために割いてくれました。
何を聞いても優しく教えてくれた先生には心から大感謝です。
実は今回のこの学生表彰も先生が僕を推薦してくれました。

他の学部の学生を推薦していただいたことにも感謝ですし、ずっと優しく指導してくれた先生に感謝です。

この恩は全て返し切れるかわかりませんが、少しずつ返していきます。
先生、時間かかるかも知れませんがお待ちください。🙇

3回生

環境サークル立ち上げ

僕は環境問題を解く人間になるべく、退路を断って挑戦をしました。
とにかく何かしたい、と思い1番最初に頭に浮かんだのはサークル立ち上げでした。
でも何をやるかと決めずに行動だけが先走ってしまった、すごくメンバーに迷惑をかけたなとすごく反省しています。

この環境サークルでシンポジウムに出場する機会を大学から頂けたので、挑戦しました。
これもまた僕の未熟さと思考力の低さで、全く的を射てないプレゼンになってしまったことで審査員から辛辣な言葉を頂いたことを覚えています。
僕の未熟さが顕著化した経験でした。
またメンバーに大きな迷惑をかけてしまったことに今でも反省をしています。
僕の中には「仮説」という言葉すら知らなかったので、右に行ったり左に行ったりと、本当にみんなを疲弊させてしまったと思っています。

この反省から「なぜそれなのか?」と考えるようになりました。
行動力があるということは素晴らしいことです。でも体力には物理的限界があります。確度の高い成果を出し続けるためには論理的思考力と行動力が伴ってこそです。
これまで思い立ったら何も考えずに行動、走りながら修正するということをしていましたが、そもそも走り方や走る方向が違うと自分は平気かもしれないけど、仲間を疲弊させてしまうことに気づきました。

国際サークル引き継ぎ

環境サークルと同時に僕は5年くらい続く国際サークルの運営を引き受けることになりました。
コロナ禍により、メンバーが5人ほどしかいませんでした。
でももっと英語や国際交流、日本文化を楽しんでくれる人が増えるといいなぁと思い、施策を考え実行しました。
いろんな戦略や計画を実行していく中でいろんな人と出会い、経験を得ました。結果として80人を超える規模のサークルにすることができました。

少しずつではありますが、論理的に考え、実行し、成果を出すという感覚を掴み始めました。
まずは変数と定数を見極め、そこから自分が考えられる変数と変えられない変数に分解する、そしてひたすらに自分が変えられる変数に自分ができることをぶつけ続けるを学びました。

難聴と円形脱毛症

環境サークルと、国際サークルの運営をしながら、ドイツ留学の準備もして、留学費用も稼がないといけなかったので塾のバイトとコンビニバイトを掛け持ちしていました。朝5時に起きて夜12時に帰るような生活をしていました。
僕の身体はやっぱり正直もので、いろんなプレッシャや責任と疲労を感じていたっぽいです。
急に右耳が聞こえなくなったときは「あ、やば」と思いましたね笑
あと円形脱毛症になるという、笑

僕は完全に止まり方を知りませんでした。
それでも生きてるのでEverything is gonna be alrightです^^

今は意識的に週に1日は休む日を設けています。
身体は資本です。
健康でいない限りは、自分が叶えたい夢など到底叶えられません。

ドイツ留学

留学に関しては語り尽くせぬほどの思い出があります。
まずはロングフライトの後、ICE(日本で言う新幹線)が120分遅れるというドイツの洗礼を受けました笑
あと、僕が通っていたビジネススクールに日本人誰もいないという、笑
VISA申請や口座開設、SIM取得などもかなり苦労しました、笑

僕はこの留学で一生の宝ができましたし、友達ができました。
また留学編に関しては後日書きますね^^

4年生

ドイツからデンマークに歩いていこう!

僕はドイツ留学中にドイツからデンマークに歩いて国境横断しました!
道なき道を歩き続け、電波もない森をひたすら15時間以上歩き続けました。
もちろん国境付近からハイキングスタートしたものの、ものすごく長かったです笑
でも僕のノルウェー人の親友と一緒にりんごやパンを齧りながら旅をしたのは一生の思い出です。

Kiosk(日本でいうコンビニ)や電波もないし、家もない延々と続く道と自然。
これをノルウェー人の親友と歩き続けて、りんご食べて、目的地やペース配分を考えて、、、という旅は超絶しんどかったですけど、本当に人生の財産です。

歩くだけで足ってこんなに痛くなるんやって感じです😂
大怪我したくらいの筋肉痛と足首の痛みを感じたのを覚えています。
でも目的地に到着することに執着すれば、怖いことに痛みも感じなくなってくるんですよね。笑
これが人生か。と果てしない道を歩きながら思いました。

目標を達成するためには苦労を厭わずに息をするように努力をし続けなければいけない。この一瞬の喜びを最大化させるために苦労はあるんだと改めて学びました。

起業を志す

僕はドイツでいろんな環境活動家と会いました。
そしていろんな話を聞きました。
僕はその中で、環境活動家と政府の動向にギャップがあるということに気づきました。
そこで僕はこの社会構造は資本主義だから、どんな問題を解くにせよ資本が必要となる。だから、ビジネスでこの問題を解かないといけないと気づきました。

僕がドイツのビジネススクールに通っていたので、いろんな起業家とも話すことができましたし、先生が会社のCEOや役員だったりするのでいろんな話をして頂きました。

起業のしようと思った経緯や事業内容等も語り始めると長いので完結にまとると、僕は環境問題をビジネスで解き明かし、その手段として日本文化や生命力の美しさを伝播させていきたいと思っています。

僕がドイツで感じたことは、日本人でいることは誇りであることです。
愛国心があるかどうかではなく、1人の日本人としてこの世界にどんな影響を与えられるのかと主体的に考えることです。

日本の経済は、、とか、政治は、、、と揶揄する人はいます。
でも世界から見た日本は素晴らしい国です。
団結力があり勤勉である。世のため人のために生きる人々がいる国です。
だからこそ、僕も今後の日本経済発展の一部として力添えしたいし、世界に日本の良さをより一層伝播していきたいと思ってます。
だから僕は士魂商才という言葉が好きです。

武士の心持ちで商人としての才を成せ。

帰国後は大阪に戻らずそのまま東京へ

留学後、ぶっちゃけると全くお金なかったです。
そもそも留学後に潤沢な資金があるわけないですよね、笑
でも自分で計算してみると今の持分だけでとりあえず3ヶ月はサバイブできるということがわかったので、思い切って挑戦してみました。

最初は本当に怖かったです。だって家見つかるまでカプセルホテルに10連泊もしました、笑
受付の人にビビられたを覚えてます笑笑

でもそれ以上に得られた経験がたくさんあります。
さまざまな苦悩の中でいろんな出会いがありました。
目にみえる結果としては、僕がいまインターンとして働いてるJOYCLEの海外事業部の代表としてプレゼンをしたClimate Launchpad(世界最大級の環境ビジネスコンテスト)の日本大会で優勝したことです。
またさまざまな取り組みが有り難く評価され、経済産業省社会起業家育成プログラムゼロイチにも選ばれました。
その過程の中で数えられないほどの苦しい思いや辛い思い、また嬉しい思いをしていきました。
そのような経験が僕の人生を少しずつ鮮やかにしてくれています。
全ては偶然の連続です。人生を振り返った時、あの偶然は必然だったと言えるように、今日も全力で今を生きようと思います。

もやしって意外とうまいで?

別に貧乏な生活をしているわけではありません。
ただ僕が東京に来てからつくづく思うことです。

今日も今日とて何か食べられている、またインフラが整っている国で生きていることは奇跡に等しいと思います。
僕はたまたま日本という恵まれた国に生まれて、日本人として生きています。
このような日本という恵まれた国で生きている環境に感謝し、今日も世のため人のために尽くしたいと思います。

僕にとっての幸せは足を知ることです。
勿論、背伸びした目標を立てて日々挑戦をする貪欲さも必要です。
でも根底にある日々の幸せに感謝して、今あるもので人生を最大限豊かにしようと生きることが僕にとって幸せなのです。

最後に。

ここまで岡田気分日記を読んでいただきありがとうございました。
岡田の大学4年間はいかがだったでしょうか?

何もないところから僕の大学生活は始まりました。
失敗を重ねれば重ねるほど僕の精神は錬磨されていたことに気付きました。
簡単な日なんて一日もありませんでした。
でも大学の最後でこのような評価を頂けたことを至極光栄な限りです。

ただこれは岡田気分日記の大学という章が終わっただけです。
これからは岡田気分日記の社会人の章が始まります。

常に変化を受け入れ順応し、新しい自分を探す人生の旅はいつまでも続くのです。

僕はいまだに青臭い目標を謳います。

ひとつでも多くの環境問題をビジネスで解き明かす。

夢は大きく、行動は泥臭く。
僕はそう心に言い聞かせこの大学4年間を駆け抜けました。
雨の日も、風の日も、晴れの日も、前に進み続ける奴が最後に勝つと高校時代に教わりました。

僕はまだ自分に勝つことができたとは思いません。
ただこの大学生の岡田洋之佑には勝利したと言わせてください。

最後になりますが、今日に至るまで無償の愛で僕を応援し続けてくれた皆さま、心から感謝申し上げます。

この大学4年間はみなさんのおかげで彩られました。
僕はTakeしてばかりでした。
これからは少しずつではありますが、Giveしていけるように日々研鑽を続けて参ります。
まだまだ未熟者なので初心を忘れずに挑戦を続けます!

では、次の章で会いましょう!


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