答えの見えない探究

みなさん。お久しぶりです。

GWはいかがお過ごしでしょうか?

私は先日に羊を見て癒されてきました。それ以降は家に篭り論文とシンポジウムへの積み上げを行っています。

今回は「答えの見えない探究」について書いていきます。

答えはない

私は見渡す限り水平線の大海原を漂浪している。

最初の数日間はそれが美しくて自然の神秘で堪らなかった。来る日も来る日も私は自然の壮大さに圧倒され感動していた。

なぜ私が大海原の上に漂っているのか。

その答えは簡単だ。まだ誰も知り得ない宝石を探しにきた。

もちろん、地図はある。コンパスもある。

ただ誰も答えを知らないのだ。

次第に私は新しい何かを求め始めた。

人間はどんなに美しいものでも毎日同じものを見続ければ飽きるのだろう。

美しいものは誰でもわかる。

海に出れば見られるからだ。

でもそれがなぜ美しいかを問う者は少ないだろう。

やはり美しいもの見続ければ人間誰しも飽きる。そこで飽きてしまうようでは皆と変わらない。

だからその美しさに恒久性はないのだろう。

資本主義が仄めかす解

この資本主義社会で何が起こっているかを考えよう。

資本主義は大きく分けて3つに分類できる。

1つ目は労働者だ。労働者は時間に縛られ、働いた時間分の対価が得られる。

2つ目は雇い主だ。雇い主は優れた腕前で組織を良い方向へと進める。

3つ目は資本家だ。雇い主をお金で買う。つまり、お金に働かせるのだ。その資本家からある種雇われた主は労働者を買い、働かせるのだ。

大海原の上に漂う私は仮説を立てた。

資本主義は利益の追求である。資本家が一番強い権力を発揮する。

それでは、資本家の「美しい」の定義はなんだろうか。

雇い主の「美しい」の定義とはなんだろうか。

労働者の「美しい」の定義とはなんだろうか。




私は導入の部分で海にでる「誰か」の話をした。

そこで客観的に考えた「美しい」とはなんだろうか。

ぜひ自分の心を訪ねてみてほしい。

その後にある「資本主義」の話では3つの視点から美しいの定義を少し考えてもらった。

ここで感じてほしいことが2つある。

1つ目は答えのない問いに解を見つけようとしてほしいことだ。

2つ目は人によって定義が違うということだ。


しかし、考えてみてほしい。一概に「美しい」と聞くと、何か綺麗なものを心に浮かべるだろう。


ではこれはどうだろうか。

「持続可能性」

固定概念

持続可能性と聞くと何を想像できるだろうか。

おそらく多くの人が「地球温暖化」を想像しただろう。

現在、私は答えのない探究をしている。

とても広大かつ深い。

最適解を見つけようとするが、最適解は見当たらない。

人類は暗闇の海に何か大切なものを落とした。

我々はそれを探しているのだ。

ただ一筋縄にはいかない。

だが、そこには星の数と同じくらいの解決策はある。

我々はそれを知っている。ただどれも最適解ではないのだ。

なぜそれが最適解ではないのか。

我々の心が互換していないのだ。

少し話を戻そう。

持続可能性と聞くと何を想像するだろうか。

「地球温暖化」

なんか堅苦しい。そう思う人が大半だろう。

現状、円安が進み、インフレーションが起こり、異常気象が多発している。

でもどこか堅苦しい。

そこには紛れもない「固定概念」が存在している。

なぜ互換しないのか。

もっと話を戻そう。

初めに聞いた「美しい」の定義。

資本主義の観点からの「美しい」の定義。

客観的に物事を瞰る。

やや主観的に物事を観る。

それだけで全然変わる。

私たち人間は変化を恐れる。

ただ客観的に瞰ると楽観的になる。

これは今現在進行形で起こっている地球温暖化に全くして言えることだ。

一度胸に手をおいて考えてみてほしい。

そこには答えがない。ただ答えを探そうとしてはいけない。

この世の中は時として矛盾し、時として無矛盾である。

この理不尽な世の中だからこそ。

自分の心に常に答えがあると信じてほしい。

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