手相について、現時点の私の考え方

命術は天気予報に例えられることがあるけれど、手相は人間ドックみたいなものだと思う。自信では気がつかない自分の思考と感情を発見することに、ときにショックを受けることもあるだろう。しかし、大事に至る前に早期発見し、手を打つことができるのは、とても便利な術だと考えられないだろうか。定期的に変化の過程を把握することで、その意識自体がさまざなま予防になる。

人間が社会生活を送る上で、その扱いが難しいのが、物事の捉え方、認知の癖だと私は考えている。その点で手相には「どう考えるか」という性格の傾向だけでなく、「どう受け止めたか」という事実が刻まれる。この刻まれたものを使って、確認できる点が大きく役に立つと思う。

発言や文章、もしくはアウトプットしなくても脳内で言語化されている思考や感情にはごまかしもある。直視したくないようなものほど、実は大切なことで、ごまかしているといつまで経っても改善することはできずに放置される。

そんな時には、手のひらを見て、見たままを客観的に受け止める。そして、どうすれば良いか考える。それが私が手相観講座から学んだことだ。

手相は、もちろん受け継いだものもあるけれど、自分で作っていくものだ。手相は変わるし、変えられる。手相は自分で作っていくものだと、私は手のひらを見せてくれた人には伝えていきたいと思う。

ー手相観認定テスト・課題5「手相講座の学びを通して、今、あなたは手相学をどのように考えますか。自由に書いてください。」の解答(一部、リライト)

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命術(東洋と趣味程度の西洋)、卜術(タロット)を先に学んでいた私が手相講座を修めて感じたことです。

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