お父さんとお母さんの食器棚(2023年11月)

ここ1年ほどの間、実家によく通って家族と話す機会が増えた。
感覚としては、かつての家族、と言った方がよりしっくりくる。俺が実家を出て20年近く経つ。その間 徐々に疎遠となって、きわめつけにコロナ禍をはさみ3年はろくなやりとりをしていなかった。血縁にもとづく感傷が消滅し、博愛のうちに尊重すべき他人として関係が再構築されるには十分な時間だったろう。

他人として見つめ直すと、父や母についてあらためてよく見えてくることが多かった。それは、実家で家事をしているときに端的に現れた。
食器棚がある。俺が物心ついた時から置き場所すら変わらない食器棚。
まず素朴に驚いてしまうのは、俺が子供のときに使っていた食器が何の気負いなく残り続けている。自分が長い間過ごしてきた人生が冗談のような夢のようなものであったような、時空がぐにゃりと曲がったような感覚にとらわれる。このような食器は、妹も含めた家族4人を前提とした構成になっている。
一方で、俺が見慣れない食器も点々と見当たる。つまり、俺や妹が社会人になり家を出た後、父と母のふたり暮らしを前提とした構成の食器だ。つつましくも色とりどりの食器たちが古い食器たちと棚の中で織りなす地層は、この20年のサマリーを雄弁に語っているように感じられた。
父と母はここ数年、約50年前の出会った頃のように仲睦まじく過ごしていたようだ。俺から見てしまえば雑然と積み上がった食器棚。その脇に俺が刻んだたけくらべの筆跡が所在なさげに見える。

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