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日本海 海と少年 -1978- 僕と音楽と(25)

 1978年、僕は社会人となった。
 研修後の5月の連休、僕は長野に赴任した。
 19時頃長野駅に着くと、結構賑やかで、宿に荷物を置いて出て来ると、店が皆閉まっていた覚えがある。
 寮は、2019年の台風で千曲川が氾濫して水浸しになった新幹線基地の近くだったように思う。もちろん新幹線などまだ無い時代の話。
 周りにはリンゴ畑があった。

 着任早々、豪雨で妙高山の地滑り災害があり、信越本線が不通になった。
 電話も不通になり災害出動して、山上の無線中継所に臨時の無線回線を設営するため、風雨の中を初めて鉄塔に上った。今のように安全帯とか言う時代でさえなく、僕は高いところが怖くなくなった(笑)

 横手山の無線中継所に雪上車で登ったり、先輩にタラの芽の天ぷらを揚げて貰ったり、美しが原へ伝搬調査に行ったり、新入社員には目新しいことばかりで楽しかった。
 日曜の朝、寮を出て、黒部、立山に日帰りが出来た。

 レコードは、多分ポータブルの蓄音機かなんかを買って聴いていたんだと思う。
 長野で買ったレコードに、大貫妙子の3rd アルバム「ミニヨン」がある。
 シュガーベイブ解散後、1976年に1stアルバム「Grey Skies」をリリースし、シュガーベイブ時代の曲も収録されて嬉しかった。
 1977年には、坂本龍一の力を借りて、2ndアルバム「SUSHOWER」を出す。斬新で少しとっつき難かったが、「都会」などの名曲がある。
 「ミニヨン」は、本人は当時はその出来に不満があったと語っているが、今も歌い継がれる名曲が沢山詰まっている。
 「横顔」「突然の贈り物」そして「海と少年」

 不通だった信越本線も夏前には開通し、海へ行った。だから「海と少年」を聴くと目に浮かぶのは、日本海をバックに微笑む当時の女友達の笑顔なのである。

本日の一曲
大貫妙子「海と少年

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