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古神道って何?は表さんの📚で分かる

最近、TOLAND VLOGでも話題になっている、山蔭神道80世 表 博耀おもてひろあきさんの📚を見かけたので購入して読んでみました。

縄文・地球王朝スサの王の末裔に告ぐ!
古典神道と山蔭神道日本超古層【裏】の仕組み
山蔭神齋80世・創成神楽宗家 表 博耀
 

また、本の著者紹介文からも紹介します。

表 博耀(おもて ひろあき)
山蔭神齋80世・創成神楽宗家。
日本国エンターテインメント観光マイスター。
一般社団法人日本文化伝統産業近代化促進協議会会長。
出雲観光大使。
1962年大阪生まれ。幼少の頃より古神道・修験道を学ぶ。
20代より美容師としての活動と並行して「ネオ・ジャパネスク(温故創新)」と題した独自の日本的世界観を表現する神楽や芸術作品展などの事業を各国で展開。2016年国家神道の中核・山蔭神齋80代を継承し、山蔭員英を拝命。古代の習わし(生活様式)を現代の生活に活かした祭祀を執り行いながら、八意天思兼神(ヤゴコロアメノオモイノカネ)が創始した(霊祭道)神楽にある和合の力で岩戸開きを起こす世界聖地巡礼観光『プロジェクトフェニックス』を実践している。
日本文化伝統産業近代化促進協議会(通称 J-ART)
公式HP
http://neo-japanesque.net/index.html

同誌 袖より転記

TOLAND VLOGさんで大まかに語られているのでそちらを観るのが早いかもしれません。(1.5倍速推奨)

古神道というものは、そもそも生活様式であり宗教ではない(生き方そのもの)である古典神道であると表さんは言っています。

普通の神道、一般的な神社とは何が違うの?という方が多いと思いますが、これは明治維新以降に当時の新政府が決めた、伊勢神宮を中心とした国家神道というものであり神社組織を統治したものであって、古来からある習わしとはまた別の意味があると考えればいいでしょう。

つまり、古典神道というのは、表さん曰く縄文時代(それ以前?)からあるものという事で、神と人と自然が調和して生きてきた、縄文時代と言われる1万年以上の平和な時代に自然に行われてきた生き方。を指しているので、現在神社で行われている神社の儀式とは意味が違うというわけです。

その中で、古神道的な流れを汲んでいる教派神道というのが宗教法人として明治以降に発展しだしたのが、神道十三派といわれるもので、太古の古神道に還ろうという教えを宗教法人として広めてきました。

それが、有名どころでは大本教とか天理教とか金光教とか黒住教とか、さらにその分派や派生団体が多くできています。僕はそういった教派神道の流れをくむ古神道的な団体で30年ほど学び、その間の12年あまりは、本職として修業させて頂き、そこで基本的な古神道的な考え方に基づいた神や霊の世界の基礎的な知識や霊的体験を積んできました。

そんな立場から言うと、僕が30年前から知っていた事であり、そもそも太古からある本来の日本人の生き方が、ようやくここにきて表に出てくるようになったのか―と、TOLAND VLOGさんの活動や、表さんの書籍を読んでいてそこに感動した。という感じです。

この中に記載されているような内容は、確かに、こういう世界で学んできたものにとっては常識です。しかし、世間では非常識で口にすぐことははばかられる事であり、だからこそ、閉鎖的な宗教団体という形でその教えを守り維持して、少しずつ広げていくしかなかったのではないかな。と、今になって思います。

それが、もう隠せなくなった。もう表に出さなければならない時代に来た。それが時代の流れだ。それをひしひしと感じるんです。

最近は、占いとかスピリチュアル的なムーブメントが来ています。こういった事も流れなのだろうと思います。物質的な価値観が主体の考えから、霊的精神的だったり。視えない世界を重視する考えに重きを置く価値観の方が増えてきたからだと思います。

とは言え、こういう考えに理解を示さない方々が大勢いるのも事実でしょう。何も古神道だとか縄文的な考え方が全てだとは言わないです。色々な考えがあっても良いと思います。

だから、物質中心の生き方を謳歌したい人はそれでいいのだと思うし、スピリチュアル的な考え方をバカバカしいと思い、目に見える世界の価値観だけを主体に生きる人もそれはそれでいいと思います。

その望むとおりに生きれば、その望むとおりの結果を自分が得られるわけなので、みんなが幸せでそれで良いですよね。あいつの価値観が俺とは合わないから排除する。そういう考えを持つ必要もないでしょう。

そもそも、善と悪という二元論というものが存在しないのが古典神道的な考え方である。という事もこの本では強調されていました。

みんな大好き『完全懲悪』的なお話だったり、悪(考え方が合わない相手)を排除する考え方は、そもそも一神教から来ている支配的な考え方ではないでしょうか。

こういった古神道的な考え方の基本的なスタンスについては、表さんの動画だったり、今回紹介する本を読むと分かってくるかなぁと思いますし、僕が今まで学んできて、考え方の根底になっているものでもあります。

ですから、修行の仕方とか細かい体形や知識とかそういった事は、団体に拠ったり、口伝として伝わっているものだったり、その時々に降ろされる高次現存在からの靈示や神示によって、捉え方とか伝え方が微妙に違ったり、矛盾と思われるような部分も恐らくあるかもしれないのですが、基本的な大まかな考え方が古神道的・縄文的なものとしてどんなものかを知り、そしてそれを、今自分の生活の中でどんな風に学んで実践していったらいいのかを己自らが編み出していくものなのではないかなと思います。

大切なのは考え方であり、形ではない。僕はそう思っています。

何々の業を続けているから自分は立派であるとか、守られているとか、救われるんだとかそういう事ではないのです。

そういった形を通じて、己の魂にどんなプラスがあったのか、どんな風に成長できたのか、どんな風に他人に善い影響を与える事が出来たのかではないかなと思うんです。

スピリチュアルやこういった神秘的な界隈に触れ、今まで探し求めた世界をようやく見つけて感動して、盲信的にハマると陥りやすい世界があります。また、そういう方を利用して稼ぐ事を目的にする人たちがいるのも事実です。それもまたビジネスなので自由だと思いますけれどね。

結局は、己で己を見極めていくしかないのでしょうし、古神道を学んで古神道的な生き方をするというのは、己自身を高めようとする事なので、どこかに教祖がいて、その人のいう事を聞いていればよい世界とは違います。

色々な方とリアルで関わり合いながら、学び、そして己がどのように生きたいのかの在り方を見定めて、また学び成長していくの繰り返しなのかもしれません。

その様な人生の価値観の中に、古神道的な考え方というものをご提案したい。という意味でもこういう世界観を知る入門書としても分かりやすいのかなと思います。

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