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“ はんげつであえたら ”現地で覚えた違和感を言語化する

アイドルマスターを愛するすべての皆様。
紅木弘と申します。


雑談

 昨年12月に開催されました異次元フェスをきっかけに蓮ノ空に心惹かれており,ついに2nd Live 千葉公演に申し込みました。許せシャニ6th横浜。運よくDay1のチケットが当選しましたので,初めてのラブライブ!シリーズのライブ参加が決定し,非常に楽しみにしております。なお,兵庫公演も申し込む予定です。

 別件ですが,上記Special Thanks の歌詞『今は「奇跡」でもいつの日か「軌跡」へ』にすごくアイマスらしさを感じております。アイマスとラブライブ!の歌詞をテキストマイニングし,使われている単語の比較検討は近いうちにやりたいなと思います。


これがxR これがIM@S 3.0

 さて,雑談はここまでとして以下本題を。
 2024/3/16-17にベイシア文化ホール(群馬県民会館)で開催されました,菊地 真 ・ 萩原 雪歩 twin live “ はんげつであえたら ”に参加してきました。
 本公演は「PROJECT IM@S 3.0 VISION」が示すIP戦略の1つである「複合現実への挑戦」の軸である「“MR”-MORE RE@LITY-プロジェクト」の一環と思われ,2018年および2020年に行われたTHE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC♪GROOVE☆の流れを引き継ぐものであると思われます。
 私は上記公演には参加しておらず,MR(xR)ライブは“ はんげつであえたら ”が初めての経験となります。私が萩原雪歩Pであるということもあり「友藍」「悲藍」「純藍」の3公演すべてを現地で参加し,非常に楽しく興味深い経験をさせていただきました。
 一方で,同じくらい難しいライブだと感じました。というのも,従来のライブとして捉えると違和感のあるものだったからです。ただし,この違和感は私が認識を改めることによりなくなったものであり,むしろ本質的には私が考えるアイドルマスターを体現したライブであったと考えております。
 以上を踏まえ,本記事では私が“ はんげつであえたら ”で感じた違和感を述べるとともに,なぜこの公演が私の考えるアイドルマスターを体現していると思ったのかについてしたためたいと思います。


“ はんげつであえたら ”に覚えた違和感

 私が“ はんげつであえたら ”に覚えた違和感は下記3点です。

  1. MC時に観客のリアクションに対応できない

  2. 観客のサイリウムがステージに映る

  3. 収録された映像であるという事実

 以下,各項目について詳細を示します。

1.MC時に観客のリアクションに対応できない

 公演中,楽曲と楽曲との間には出演者によるMCパートがあるのは通常のライブでもよくあることと思いますが,このMCパートの際,観客へのレスポンスを求められることがあります。例えば,MCパートの前に披露された楽曲についての感想や着ている衣装についてなどです。このMCパートにおいて,観客が歓声や拍手をしている中で出演者である菊地真と萩原雪歩が話し始めることが何度もありました。これによって,彼女たちの声が聞き取りにくいタイミングがあり,まずここに通常のライブとは異なる違和感を覚えました。
 このようなことが起こる理由は単純で,本ライブは収録であるために観客のリアクションに対してリアルタイムに反応ができないからです。もちろん,収録の際に事前に意図的な間を開け観客のリアクションを待つようなことは行っておりましたが,事前に観客が起こすであろうリアクションの時間など想定できるわけがないため,数秒のズレは必ず生じます。つまり,このリアクションのズレは収録である限り今後も必ず起こり得る事象です。
 これに付随してすごいなと思ったのは,ライブ2日目からの2公演では観客の多くが歓声や拍手の時間を意図的に短くしていた点です。つまり,MC時のズレに対する修正をリアルタイム側である観客が行ったのです。これにより,少なくとも最初の公演よりは違和感をなくすことに成功することができたと思っております(それでも,完全にズレをなくすことはできませんでしたが)。

2.観客のサイリウムがステージに映る

 これについてはバンダイナムコエンターテインメントおよび本ライブ制作側の問題ではなく人類全体がまだ解決できていない技術的な課題であることを前提の上ですが,本ライブではホログラムな映像にするためにミラーを使用しています(ペッパーズゴーストと呼ばれる視覚トリックを利用しているため)。このミラーにより観客席がステージ上に映り込んでしまい,照明演出によっては観客の顔がステージに映ることや,そうでなくてもサイリウムの光が常時ステージ上に見える事態が生じました。特にUOなどの光量が強いサイリウムを使うと菊地真や萩原雪歩を通してその光が透けることが何度もありました。これにより,彼女たちが実在しないホログラムであることを否応なしに見せつけられてしまい,ここに2つ目の強い違和感を覚えました。
 これを解決するためには,サイリウムの使用を禁止するのがベターでしょうが,少なくともそれは「アイマスのライブ」として成立を難しくさせます(もっと言えば,運営としてもサイリウムを販売できなくなるので悪手でしょう)。せめてUO禁止と言えればいいですが,現在のアイマスのライブでは所謂UO曲と呼ばれる楽曲もいくつかあり,UOの使用禁止はこれらUO曲の披露を難しくする制約になり得ます。本ライブではコンセプトや出演者の関係上UOを使用する楽曲が比較的少ないセトリでした(現に私は本ライブ3公演でUO未使用です)が,この問題は今後MRライブを続けていけばいつか必ず大きな課題として浮上してくると思います。例えば今後765ASのMRライブを行うとして水瀬伊織・高槻やよい twin live が開催されたとき,キラメキラリが披露するのかどうか。披露するとしてUOは使用できるかどうか。使用できたとしてホログラムへの影響はどうなのか。とひとつひとつを真剣に考えていくと難しい判断を運営は迫られるように思えます。
 余談ですが,「悲藍」公演のHalftoneにてUOグルグルされていた方,ステージからはっきり見えており非常に不快でした。UOグルグルについては運営側による強い対応を求めます。

3.収録された映像であるという事実

 私が“ はんげつであえたら ”に覚えた違和感は,突き詰めるとこの言葉に集約されるように思います。
 そもそもとして,なぜ私がライブ現地に行くのかを考えると,生でしか味わえない体験をしに行くからです。CDで聴いていたよりも何倍も力強く心震わせる歌声,出演者方の思いが溢れてしまった故に流れる涙,その場の雰囲気やノリから生まれたであろうハチャメチャなMC,突然のアクシデント。時としてそれはプロとして,あるいはエンターテイメントとして誇れるものではないかもしれない。ですが,あの場にいるからこそ体験できるリアルな感動があるから,私はライブ現地に行くのだと思います。
 さて,では今回の“ はんげつであえたら ”はどうだったでしょうか。歌,ダンス,MC,すべてが収録です。歌はブレスをあえて残したものを新録していたように思えますが,あの時あの場所で歌われたものではありません。MCもTHE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC♪GROOVE☆ではリアルタイムに出演者とのレスポンスがあったと伺っており,それを期待していたのですが,前述の通り観客のレスポンスに対応できないなど,あれが収録であることをまじまじと見せつけられました。
 言うなれば,“ はんげつであえたら ”はリアルではなくリアル風のライブだったと私は考えております。一番近い感覚は今はもう懐かしのライブビューイングでしょうか。たくさんの観客でライブ映像を観ながら画面の向こう側に向けてサイリウムを振ることを,私はライブ現地ならでは体験とはあまり思いたくはありません。


でもね,楽しかったんです!

 以上3点が,私が“ はんげつであえたら ”に覚えた違和感です。ですが,誤解していただきたくないのは,この公演は私にとって得難い経験をした非常に満足度が高いライブだったということです。
 全3公演で述べ48曲。その中には長い間アイマスのプロデューサーでい続けた方々にとっては懐かしくも今聞きたかった多くの楽曲を菊地真と萩原雪歩が歌い踊りそれに合わせて観客全員でコールをする。これが楽しくないわけがありません。
 「友藍」公演にてチャイムがなった時,戸惑っている観客に大声で「座れ!」と声を上げた方,私はそんなあなたが大好きです。
 同じく「友藍」公演で披露された First Step 。MOIW2015から9年,初めて会った日のことを思い出し,涙を流して崩れ落ちました。
 「悲藍」公演の inferno 。間奏の雪歩のセリフがCD音源と逆になっていて,ですが「悲藍」公演のコンセプトを考えれば雪歩が歌うのはそっちだよね!と興奮しました。
 「純藍」公演の ALRIGHT* 。MCで言われなくても雪歩!とコールするよ!だってこれはそういうライブじゃん!と思いながら,実際に彼女が歌い始めた瞬間鳥肌が立ちました。
 あえて断言しますが,平田宏美さんと浅倉杏美さんが菊地真役,萩原雪歩役として出演されてこの3公演を実施するのは不可能でしょう。“ はんげつであえたら ”は間違いなく,MR(xR)ライブだからこそ出来た公演であり,行ってよかった,楽しかったと思えるものでした。


あれは間違いなくアイマスのライブだった

 漫画『ラーメン発見伝』およびその続編に登場するキャラクター「芹沢達也」の言葉を引用して,私はアイマスとは「フェイクから本物を生み出そうとする情熱そのもの」だと捉えています。
 前提として,アイドルマスターはフェイクに溢れています。アイマスの世界で歌って踊るアイドルたちは二次元のキャラクターであり,ライブで実際にステージの上で歌って踊るのは声優さんです。アイマスのユーザーのことを「プロデューサー」と言いますが,それだってごっこ遊びの枠から外れることはできません。プロデューサーと言いつつライブで座っているのは観客席であり,そもそもとして,アイドルマスターはフィクションです。
 しかしながら,アイドルマスターに触れている誰一人として,これらをフェイクだと嘲笑っていません。むしろ,このフェイクを心から楽しんでいます。なにより,アイマスに関わるすべての人がフェイクを本物にしようと情熱を持っています。だからこそ,ユーザーはプロデューサーとして様々な方法でプロデュースを行っている。運営や関係者はアイマスの実在性(現実への侵食)に果敢に挑戦している。声優さんはまるで二次元のキャラクターが憑依したかのような錯覚を起こさせるほどのパフォーマンスをライブでみせてくれる。これこそがアイマスの本質でありアイマスの面白さ,他のコンテンツと違うところであると私は考えています。
 この意味において,“ はんげつであえたら ”は間違いなくアイマスのライブでした。確かにライブと呼ぶにはフェイクが多い。たくさんの違和感と疑問がある公演でした。ですが,二次元のアイドルたちを私達の世界に呼び寄せる。あるいは私達が彼女たちの世界に飛び込んだ。“ はんげつであえたら ”はフェイクを本物にしようとする挑戦をあの場にいたすべての人が情熱をもって取り組み楽しんだライブだったのだと私は思います。
 “ はんげつであえたら ”は,アイマスの新たな挑戦であり,この挑戦に対する私達へのメッセージだったのだと思います。だからこそ,最後の公演である「純藍」のアンコール前最後の楽曲が VOY@GER だった。願わくばこの挑戦がアイマスの新たな可能性を広げ,私達に新たな感動を与えてくれることを心より願います。

2024年も,アイドルマスターを大好きでいさせてください。


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