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老人力が試される時

🧓付き添い入院

先週、子供が緊急入院。日本の多くの病院は子供が入院すると、親が24時間付き添いして入院しないといけない。
寝る。と言っても、軍隊のキャンプにあるような、寝返りすらうてない細長い椅子状の簡易ベット上。(しかも布団代は自腹。)
入院するたびに、戦争映画に出てくる、鬼軍曹の「おめーら!休めるうちに休んでおけ!」の大号令が脳内に聞こえてくる。

これが、子育てしているママやパパの現実。

子供の調子一つで、自分のことをたくさん諦めていかなくてはならない。

さらに、自分のように歳がいくと体の無理が効かないので、より一層自発的に諦めるようになる。
無駄に足掻いて体力消耗するくらいなら、無の境地にいたろうとするのである。

子供なんとか庁は何をしているんだ?!と怒りたくはなるけど、そのエネルギーすら惜しい。

そうなると、「力を抜く」という老人力を試していかねばならない。

そろそろ自分の中の老人を呼び覚ます時がきたようだ。

赤瀬川原平「老人力」

バッターボックスに向かおうとする選手に「肩の力抜いていけ」と声をかけるが、そうやって抜こうと思って抜けるものではない。
初めから力が抜けてしまっているのが老人だ。

みたいな一節があって、確かに!と膝を打った覚えがある。

何事も力んでしまうとうまくいかない。とはいえ、意識して力を抜くのも難しい。

それが自然にできるようになって、一流の老人だ。

この本を読んでいた若い頃には完全なるS F作品であったこの作品、最近徐々にフィクションになりつつある。

というか、この老人力を早めに養っておかないと、色々なことが空回りし初めて、疲労が蓄積しやすくなっている。

病気がちな我が子の子育てをしていると、頑張る気力がいつか失われてしまうのではないか?と、本当にこわかったりする。

気力だけで頑張ってきたけど、その逆で気力を抜く方法を学ばないといけない。

例えば、志村けんのコントのように、都合が悪くなったら耳が遠くなったフリ。

若い頃は、一字一句聞き漏らしたら恥ずかしい。みたいな羞恥心もあったけど、そうした俊敏性を捨てて、あえてナマケモノのごとく、太極拳の達人のような0.5倍速で動いてみる

それを続けていると、初めから神経を尖らせなくて済むので、志村けんのように腰を曲げて「ごめんなさいよー」と言いながら、適当にスルーしていけば、神経の省エネにつながる。

ナースコールを押しても誰も来てくれないときは、耳の遠い老人仲間が看護師しているんだろうなぁと思ったり、逆に、些細な用事で気を使いすぎてナースコールが押せない時でも、ボケて押してしまった。みたいな、老人力を小刻みに発動する。

そんな老人スタンドを呼び出す回数増えていく日々。そのうち自分自身がスタンドになってしまう日を少し恐れたりしている。

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