僕がシリコンバレーを引き払ったわけ
21年住んだサンフランシスコを引き払い、フロリダに転居しました。
いちおう、仕事のオフィスは未だ残してあります。
でも住居は引き払いました。
正確に言えば、僕が住んでいたのはサンフランシスコからゴールデンゲート橋を渡った対岸のマリン郡です。
ここは、シリコンバレーではありません。だから「ベイエリアを去った」という言い方の方が良いでしょう。
でも日本人にベイエリアと言っても通じないと思うので、タイトルではシリコンバレーとしました。
なぜベイエリアを去ったのか?
これには三つ理由があります。
1) 家族の事情
2) 仕事の事情
3) 新しいチャレンジ
順を追って説明します。
まず家族の事情ですが、僕とワイフの間には二人の息子がいます。
二人ともオトナになり、僕とワイフは、いわゆる「エンプティ・ネスター」になりました。
下の息子はロスアンゼルスの大学に通う四年生で、州内授業料の適用を受けるための最後の年が始まったので、もうカリフォルニアに在住する必要が無くなったのです。
ワイフは「子供が巣立ったら、もっと暖かい処に住みたい」と以前から言っていました。
彼女の出身はテキサス州ガルベストンです。ガルベストンはメキシコ湾に面した砂洲に作られた港町で、昔は綿花を欧州へ輸出する基地として栄えたのですが、1900年のハリケーンで5千人を超える死者が出ました。
その復興が完成しないうちに、ヒューストンの近くでスピンドルトップ油田が発見され、港湾機能そのものが、ヒューストンに隣接するベイタウンに移ってしまったのです。
このため、ガルベストンは、まるで1900年で時間が止まったかのような佇まいとなっています。
ワイフの希望は、故郷のガルベストンに帰ることでしたが、最近、地球温暖化現象で、だんだんハリケーンが頻発するようになっているので、「あそこは危ない」という結論に達し、断念しました。
その代り、同じメキシコ湾岸の、フロリダ・パンハンドルにしたのです。
いま住んでいる処は、「エメラルド・コースト」ないしは「レッドネック・リビエラ」と呼ばれています。
なぜ「エメラルド・コースト」か? といえば、海の色がエメラルド色でキレイだからです。
レッドネックというのは、アメリカ南部の白人の、日焼けした赤ら顔を形容する表現です。リビエラは地中海に面したリゾート地を指します。
ワイフは、いわゆるアンテバウムと呼ばれる、南部のプランテーション風のヴィクトリア様式の館が好きです。典型的なアンテバウム建築では、ダブル・バルコニーと言って、一階と二階の両方に、ひさしの深いベランダがあります。これは直射日光を遮るためです。
以上が、家族の事情です。
次に仕事の事情ですが、これはひとことで言えば「シリコンバレーに居る理由が無くなったから」ということに尽きます。
我々が1996年にニューヨークからベイエリアに転居した理由は、そこがドットコム・ブームの震源地であり、最新のイノベーションをキャッチするためには、現地にアンテナを貼っておくことがどうしても必要だったからです。
しかし今はネットがあるので何処へ居ても最新の情報は取れます。(当時は、まだインターネットの黎明期であり、そもそもネット・インフラが完備されていなかったので、足で情報を取る必要がありました)
次にシリコンバレー発のイノベーションが昔より少なくなっているという事情もあります。
いまはグーグルやフェイスブックなどの企業が「強すぎる」ので、彼らを脅かすテクノロジーやサービスが出てくると、早い段階で芽を摘んでしまうことをします。
一例として、スナップチャットが登場したとき、フェイスブックは恥ずかしげもなくその手法をパクり、スナップチャットを潰しにかかりました。
このように、寡占は、イノベーションを殺す弊害を生んでいるのです。
イノベーションが無いので、エキサイティングな新規株式公開(IPO)もありません。
IPOが無いので良いエンジニアはスタートアップを避け、フェイスブックやグーグルに就社することが人生の目標になっています。そういう「野望のスケールダウン」が、いたるところに見られるのです。
その一方で、ベイエリアの不動産価格や生活費は高騰しているので、いくらソフトウェア・エンジニアの給料が高いと言っても、IPOで株式公開益を得なければ、生活は苦しくなっています。
今、最も覇気のあるエンジニアは仮想通貨によるICO(イニシャル・コイン・オファーリング)を目指しています。
彼らはフェイスブックやグーグルのような大企業に勤めていませんし、シリコンバレーにも住んでいません。世界の何処かの、自宅から仕事をしているのです。
しかも仮想通貨にはオープンソース・プロジェクトの良き伝統が息づいており、コミュニティに貢献する改良を行ったエンジニアには、仮想通貨そのもので対価が払われるというやり方が定着しつつあります。
これはIPOというインセンティブが朽ちた今、新しいモチベーションの在り方を提示しています。
以上のようなことから、今なら何もシリコンバレーに居なくても、時代から取り残されるリスクは無いと言い切れるのです。
最後の理由は、新しいチャレンジです。
シリコンバレーは、コスモポリタンであり、東洋人もたくさん居るので、生活するに当たり支障は何もありません。
そこではお金さえあれば、何でも手に入るのです。
これはベイエリアに引っ越す前に住んでいた、ニューヨークでも事情は同じです。
しかしコスモポリタンということの裏返しは、近所付き合いとか、コミュニティの意識は、極めて希薄だということです。
隣人がどんな人で、何をやっていようが、自分は関知しない……そういう生活態度です。ベイエリアの場合、そういうよそよそしさは、年々悪くなっていると感じます。
つまりベイエリアがリッチになればなるほど、コミュニティは劣化しているのです。
昔、サンフランシスコと言えば、ヒッピーの文化がありました。人々はお互いに寛容な上に、助け合いの精神があったのです。
いまはそれが拝金主義に取って代わっており、とてもギスギスした処に成り下がっています。
僕は、そろそろ60歳になるので、近所付き合いとか、コミュニティへの貢献など、いままでとは違う「つながり」を求めたい年齢にさしかかっています。
その点、フロリダ・パンハンドルは田舎ですし、南北戦争の南軍、つまり奴隷制を肯定する、狭隘な世界観が今でも根強く残っている地方でもあります。
日本人は、当然、有色人種に分類されます。
そういう、日本人にとって暮らしにくい土地で、ちゃんとコミュニティにとけこめるか? というのが、つまり新しいチャレンジというわけです。
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