拝啓:隣の土管の住人様

ウツボのような毎日だな、と思う。

小さな土管に身を潜めて、ふだんはじっとしている。仕事になったら(おなかがすいたら)しゃーっと外に出て、めまぐるしく働いて、急いで小さな家に帰ってきて、ほっとする。そんな同じ毎日を繰り返して、年をとって、終わる。

魚は詳しくないので本当のウツボがどんな生き物なのかは知らない。ただの僕の勝手なイメージだ。本当のウツボには申し訳ない。でも言葉というのはそういうものなのだと開き直る。正確に共通の認識を定義することはできないのだ、とかっこつける。

さて、ウツボは隣の土管の住人が、何をやっているかは知らない。交流はない。外はつらいことだらけで、自分の土管の中にいるときだけが、唯一ほっとできる瞬間なのだ。来る日も来る日も、土管と外洋の往復だけで、ある時、「はたして自分は、こんなことがしたくて、この世界に生まれてきたのだろうか?」と立ち止まって考えてしまい、吐き気がとまらなくなる。

吐き気がとまらないのだ。

ウツボはただ、つらいということを打ち明けたいだけなのかもしれない。何がどうつらいのかもうまく言語化できないし、理路整然と話せないし、そもそも話ができる相手がいない。いつのまにか世界は140文字の言葉でまとめるようになってしまった。速さと短さが正義で、遅さと長さは敬遠される。

自分のスタイルを急に変えることは難しいし、急にウツボから転生するのも困難なので、まずは、隣の土管の住人に声をかけることから始めてみようと思う。



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