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[WORLD・WILD・LOVE]第2話 裏の裏の裏

「パンダは世界中に7人いる」と美少女は別れ際に言った。「お願い。来年のハロウィンまでに、全員を見つけて」

「パンダって、あのパンダのことでいいの?」

ヒロセは質問する。でも彼女はなにも言わずに、ハロウィンのコスプレ集団にまぎれて見えなくなる。

ヒロセが(パンダ、パンダ)とつぶやきながら渋谷駅に向かって歩いていると、巨大な誰かとぶつかってしまう。

あのゾンビのコスプレ野郎だった。面倒なことに、仲間のゾンビが5人に増えていた。

「あー!? またおまえか! どんたけおれのことが大好きなんだよ!」と言いながら、同じように殴ってくる。でも、あまりにもゆっくりなので、ヒロセはあくびをしながらよけた。パンチも蹴りも1発もかすりもしなかった。

他の仲間もつかみかかってきたけれど、そのすべてをかわして、ヒロセは(パンダ、パンダ)とつぶやいて井の頭線に乗った。



バーのカウンター席で、ニイヤマが鼻で笑った。「っていう夢を見たって話? 童貞の妄想はキモいわー」

「童貞じゃねーし」とヒロセはレモンサワーを飲みながら答えた。小声で(素人童貞だし)と追加するのは忘れなかった。

「キモいよ。美少女が抱きつくとか、マシンガンで撃たれるとか。どんなYouTubeだよ。てか、渋谷で事故なんかニュースになって…」とニイヤマは言って、スマホでニュースサイトを確認する。

「渋谷で竜巻が発生したらしい。NHKホールが倒壊したって。あの建物も古いから。寿命だろ」

「竜巻じゃねーし!」とヒロセは顔を赤くして言った。「あれは竜巻なんかじゃない」

ヒロセはあの後、渋谷駅から井の頭線に乗り、アパートのある調布で下りた。でも家には帰らず、行きつけのバーに来た。感情がたかぶっていたから落ち着きたかったのだ。大学の同期のニイヤマも、会社終わりに合流した。

バーといっても、一杯500円の激安ワンコイン。内装は高校の文化祭みたいで(要するに手抜き。良くいえば簡素)、ヒロセとニイヤマ以外の客は、テーブル席にいる若いカップルだけだった。

「半蔵門線も5時間たってやっと再開かよ。ホームの穴は鉄板で応急処置したって。美少女の話は…どこにも載ってないな」とニイヤマは笑ってトイレに立った。「童貞こじらせすぎ」

「好きな人としかやらないって決めてんの!」とヒロセが大声を出すと、「はいはい、キモいキモい」とニイヤマはトイレのドアを閉めた。

マスターが追加のレモンサワーを出してくれる。「おれは信じますよ。出会いって、いつどこであるか、わかんないっすからね」

「だよね! だよね! ねえ、パンダってどこにいると思う?」

「上野動物園か、やっぱ中国なんじゃないっすかね」

「だよね! 中国かー、パスポートはあるんだけど、お金がなー」

「たぶん、行けますよ。想いが強ければ」

ニイヤマが神妙な顔で戻って来た。「まいったな」

「なにが?」「明日、いっしょに出張いくはずだった後輩が、牡蠣にあたっちゃって。無理だってLINEきた」「他の社員は?」「もう23時だろ? 朝一の飛行機だから、今から連絡とか無理だわ」「ちなみにどこ行くの?」「上海」

ヒロセはニイヤマの手を握ってうなずいた。「おれが代わりに行く

(上海。中国。パンダ。おれは無職。パスポートは3年前のグアム旅行で取得。完璧な展開。さっそくパンダに会えるかもしれない)とヒロセは興奮した。

ニイヤマがスマホを操作しながら言った。「空席あったわ。チケット取れた」

見せてくれた画面は、なぜかメモ帳で、

話合わせろ。後ろのカップルは警察

と入力されていた。

振り返ろうとしたヒロセの肩を抱いて、ニイヤマは無理やり乾杯する。タバコを取り出して言った。「ちょっと酔い覚ましに、ヤニ吸ってくるわ」

「じゃあ、おれも一本だけ」とヒロセも席を立って、トイレの脇にある非常口から外に出た。

雑居ビルの地上8階。遠くに新宿の高層ビルが見える。ニイヤマは扉を閉めてすぐに階段を下り始めた。

「逃げるぞ。おまえのこと、ずっと尾行してたんだな。ウケる」とニイヤマ。「おれが『上海』って言ったとき、あの2人、めっちゃ聞き耳を立ててた。あれはカップルじゃない。私服だ」

階段の途中で荷物が積んであり、それ以上進めなかった。非常口にも鍵がかかっていた。ニイヤマは舌打ちして、上から行こう、と言った。

「なんで逃げるの?」とヒロセは小声で質問する。

ニイヤマはそれには答えず、8階を通り越して最上階の9階に来た。非常口は開いていた。

「ラッキー」とニイヤマは言って、エレベータに乗り込んで1階を押す。「おまえの話、信じてなかったけど、私服がいるなら本当かもな」

「だからおれは、ぜんぜんウソ言ってないし」

おまえのこと、マフィアの仲間だと思ってる」とニイヤマは言った。

「は? そんなわけないじゃん! ただの無職だよ! てか、なんで警察だって言い切れるわけ?」

「あれ? おれの会社のこと、言ってなかったっけ?」

エレベータが減速する。嫌な予感。バーのある8階で扉が開いてしまう。カップルの男が立っていた。「ハイ!」とヒロセは右手を挙げる。

すぐに「閉」ボタンを押すも、男が片足をエレベータに突っ込んでくる。ニイヤマが前蹴りで押し戻そうとしたが、上体を反らされ、片手でいなされる。

女が遠くから「動くな!」と銃を構えた。ゆっくりと「警察だ」と付け加えて。

2人は観念してエレベータから出た。考えてみれば別に悪いことはしていない。

「そいつが急に乗り込んできたからぶつかった」とニイヤマは前蹴りを正当化する。「で、どうすんの? 逮捕すんの? 傷害で?」

男は2人の免許証を確認し、どこかに連絡している。女は銃を下ろしていた。2人はカウンター席に戻る。マスターが「大変だね」と言ってレッドブルをサービスで出してくれた。

「申し訳ない」と男が頭を下げる。「渋谷で警官が襲われた。犯人は中国系。おふたりの会話が耳に入って、つい疑ってしまった。まったくの無関係でした」

免許証を返してくれる。「帰ります。お騒がせしました」とマスターに代金を払って、エレベータで下りていった。

「ウソだな」とニイヤマは吐き捨てるように言った。レッドブルを一気に飲み干す。もうすっかり酔いは醒めていた。「メンツを変えて、尾行は続けるつもりだろーな」

「なんでおれを?」

渋谷で七眼のメンバーといっしょに警官を襲っただろ?

ヒロセは沈黙する。あの時のメンバーが、どこの誰かは知らないけれど、危ない連中だったことは確かだ。

「パトカーで護送されてた七眼のリーダーが、仲間に奪還された。いまネットで話題になってる。偽装した救急車で襲ったらしい。おまえの話とそっくりだ」

ニュース記事を見せてくれる。リーダーの顔写真が載っていた。確かにあの巨漢だった。身長は2メートル近く、体重は100キロ超え。

「七眼ならおれも知ってる」とマスターが割り込んできた。「振興の宗教団体。でも実態は、チャイニーズ・マフィア」

「お前といっしょに上海に行ったら、おれも疑われるな」とニイヤマが笑って、スマホをテーブルに置いた。

画面は航空券の予約サイト。東京羽田↔︎上海浦東のチケットが2枚表示されていた。搭乗者はニイヤマと、ヒロセだった。

午前1時。パスポートが必要なので、ヒロセはアパートに立ち寄る。ニイヤマはタクシーの中で爆睡している。

「ただいま」と玄関の電気をつける。部屋の電気は絶対につけない。

カラーボックスの小物入れの中からパスポートを見つける。フローリングの床は、大量の本で埋め尽くされている。ベッドには『彼女』が寝ている。うつ伏せで、長い髪の毛だけが見える。ヒロセはカーペットに腰を下ろして、枕元に向かって話かける。

「ハロウィンの渋谷は、相変わらず人がたくさんいたよ。今から上海に行く。2泊3日。戻ったら、ちゃんと話すね」

『彼女』は眠ったままだ。その耳元に顔を近づけて、ヒロセは小声で言った。

ここまでは、おれたちの、予定どおりだよ

アパートの鍵をかけて、タクシーに戻った。


つづく


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