「たまには英国式ロイヤルホットミルクティーをどうぞ」



あ、緑茶のほうが良かった? でもこのミルクティーもいいから、飲んでみてよ。お湯入れて溶かすだけのやつだけど。

ポイントは、蜂蜜をたっぷり入れてから、よくかき混ぜて、最後に冷たい牛乳を少し入れるの。そしたらほどよい温かさになるから、すぐに口に入れても火傷しないってわけ。甘くて美味しくて、ほっとするから。

ほっとする、っていい日本語だなーといま思った。ほっとするのは大事だよね。東京は人が多いから、なかなか外ではほっとできないかもだけど、寒い日に自販機でホット買って飲むと、、、この発言は撤回したい。でも、今日は後戻りしないって決めたの。なぜなら、普通の会話は後戻りなんてできないからね。

さっきのは駄洒落じゃないけど、会話してたらさ、意図しない駄洒落が混入して、空気が冷たくなることって、たまにあるよね? そもそもよ、日本語って、同音異義語が多いから、普通に喋ってたら駄洒落がちょいちょい混じるよね。

仲のいい人同士なら、「あ、今のはー」とか「違うって!」とか、冷たい空気を味わって笑えるけど、距離があるといかんともしがたい。

難しく考察すると、「セクハラ・パワハラ発言は関係性の中で変化する」と同じ理屈なんだけど、あ、ごめんね。おれすぐに理屈っぽくなるんよ。小さいころから親に「あんたは理屈っぽいな!」って一蹴されてたから。けちょんけちょんに。

うわ、今日はこんな話がしたくて、呼んだんじゃないんよ。なんかたまには、肩の力を抜いて、喋ってみようかなーと思ったの。普段はこんなんだから。

note書くときは、多少なりともイキがってさ、「俺のほとばしる才気をとくとご覧あれ!」みたいなテンションになるわけ。才気があるかどうかは、おれの中の基準だからいいとして、リキんで書いたりするわけ。そんな文章ばっかりだと、読むほうも書くほうも疲れるでしょ。たまにはこんなのもいいななーと。

文語ってさ、一種の伝統芸能みたいなところ、ない? 過去から連綿と続いてる「型」みたいなの。美しい、正しいとされてきた、「型」みたいな。小説独自の文体とか。

良いとか悪いとかじゃなくて、型って多分あって、でもこの型ってさ、時代とともに変わってくるわけじゃない? 日本近代文学は森鴎外が礎を築いたとかさ、あーごめん、イキがって森鴎外とかWikiで調べたけど、よく知らんのよ。

森林太郎さんは知ってるけど。なぜなら、太宰治のお墓の真ん前が森林太郎さんだから。桜桃忌のあたりに、三鷹のお寺にたまに行ってたけど、森林太郎さんの墓は立派だよ。なんせ字がでかい。

ああ、なんで君を呼んだんだっけ? 忘れた。でも、たまにはいいよね。名言とか格言とかライフハックとか秘訣とか大切な5つの事とかさ、そんなもん無くたって。極北の星を目指して歩くだけが人生じゃないし。

あ、ごめん!

きみの飲んでるミルクティー、粉末入れるの忘れてた笑 それ白湯だわ笑

でも白湯は健康に良いって、ばあちゃんが言ってたから全然大丈夫だよ! こ、これに懲りずにまた来てねー!

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